強欲と嫉妬が導いた殺意のパズル㈡
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
エバはゆっくりと扉に手をかけた。
香々美の私室は、足の踏み場もないほどの惨状を呈していた。普段は完璧に整えられているはずのペルシャ絨毯の上には、高級ブランドの衣服や宝石箱の中身が散乱し、開け放たれた大型のトランクケースが無造作に転がっている。壁に飾られていた絵画は傾き、一族の崩壊を察知して己の財産だけを掻き集めようとする、浅ましくも滑稽な姿がそこにあった。
「……誰!?」
荷造りの手を止め、弾かれたように振り返った香々美は、入り口に立つ三人の姿を認めた瞬間、顔面を蒼白に引き攣らせた。
「し、新子……!? あなた、どうして……。それに、そこの男たちは……」
「お久しぶりですわね、香々美お姉様」
エバは床に散らばる宝石を冷酷なヒールで踏みにじりながら、部屋の中央へと歩みを進めた。
「外の騒ぎを聞いて、慌てて逃げ支度といったところかしら。でも、無駄ですわ。勉叔父様が築き上げた裏金のルートは、すでに特捜部が完全に押さえています。あなたが海外の口座に移そうとしているその資金も、明日にはすべて凍結されますのよ」
香々美の喉の奥から、ヒュッと息を呑む音が漏れた。
しかし、彼女はすぐに持ち前の女優のような狡猾さを取り戻し、引き攣った頬に無理やり「心配性で優しい姉」の仮面を貼り付けた。
「な、何を言っているの新子? 私はただ、この騒ぎが落ち着くまで安全な場所へ避難しようとしていただけよ。……あなたこそ、昨日の爆発事故で怪我はなかったの? お姉様、ずっと心配していたのよ」
その白々しい嘘に、エバの背後に立つ真喜が、怒りで全身を震わせた。
「ふざけるな……! 新子をストーカーに襲わせ、屋上から突き落として殺そうとした張本人が、よくそんな口が聞けるな!」
「……え?」
香々美の顔から、完全に血の気が引いた。彼女の瞳孔が恐怖と焦燥で激しく収縮する。
「すべては白日の下に晒されていますわ、香々美お姉様」
エバの瞳が、絶対零度の冷たい光を帯びて香々美を射抜いた。
「あなたが勉叔父様と密約を交わしたこと。邪魔な私を消し、次期当主の座と財産を独占するために、私のストーカーであった犬飼を言葉巧みに操ったこと。……旧理科棟の屋上で私を突き落としたのは犬飼ですが、その背後で糸を引き、狂気の背中を押したのは、他でもないあなたです」
「ち、違う! でたらめよ!」
香々美は金切り声を上げ、後ずさった。
「証拠はどこにあるのよ!? 私が犬飼に指示を出した証拠なんて、どこにもないはずよ! あいつが勝手に暴走して、お前を襲っただけじゃない!」
必死に罪から逃れようと足掻く香々美。しかし、その醜い抵抗を断ち切るように、油江が冷徹な足音を立ててエバの横に並び立った。
心理的な防壁が崩れかけた犯人を完全に追い詰めるための、絶対的な「最後の一手」を突きつけるために。
「証拠なら、ここに揃っていますよ。香々美さん」
油江の低く、冷徹な声が私室の張り詰めた空気を切り裂いた。彼はコートの内ポケットから、きっちりとファイリングされた数枚の書類を取り出し、香々美の足元へと無造作に投げ捨てた。
「警察の捜査が勉に向かっている隙に、私があなたの個人口座から不自然な金の流れをすべて洗い出しておきました。……勉のダミー会社を経由し、あなたの裏口座から、犬飼が抱えていた多額の借金返済に充てられた送金記録です。さらには、あなたが『使い捨ての携帯電話』を使って犬飼に指示を出していた、消去済みの通信ログの復元データもね」
床に散らばったその書類の束を見て、香々美の喉がヒュッと鳴った。
「素人が裏社会の真似事をして資金洗浄や証拠隠滅を図ったところで、私の前では薄いガラス張りも同然だ。……あなたは、勉と同じように他人を金で釣って完璧に操れると高を括っていたのだろうが、デジタルタトゥーという自らの足跡を見くびりすぎた」
油江の突きつけた絶対的な物理的証拠。それは、彼女が必死に纏っていた「無実の令嬢」という皮を、論理という名の刃で残酷に切り裂く最後の一撃だった。
「……あ……ちが、う。私は……」
香々美は震える手で書類を拾い上げようとしたが、指先から力が抜け、そのままペルシャ絨毯の上にへたり込んだ。
数秒の、息の詰まるような沈黙。
やがて、彼女のうつむいた顔の奥から、クツクツと、地の底から湧き上がるような不気味で歪んだ笑い声が漏れ始めた。
「……あははっ。ふふふ……そう、バレちゃったのね」
ゆっくりと顔を上げた香々美の表情には、先ほどまでの可憐さや焦燥は微塵も残っていなかった。そこにあったのは、どす黒い嫉妬と強欲によって完全に崩壊した、醜悪な怪物の素顔だった。
「でも、悪いのは私じゃないわ!」
香々美は金切り声を上げ、エバを憎悪の目で見据えた。
「お前が……お前が全部悪いのよ、新子! 私の方がずっと美しくて、ずっと賢くて、ずっとこの家のために尽くしてきたのに! ただ長男の娘というだけで、お前が次期当主としてもてはやされる! おじいさまも、周りの人間も、みんなお前ばかりチヤホヤして! そんな理不尽なこと、絶対に許されるわけがない!」
これまでひた隠しにしてきた人間の最も醜い感情のヘドロが、堰を切ったように香々美の口から吐き出されていく。
「だからあのストーカーを使って、屋上から突き落としてやったのよ! あのままコンクリートに頭を打って、死んでいればよかったのに! お前さえいなければ、私はこの菱倉のすべてを手に入れられたのに!」
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