駆けつけた二人の救世主㈢
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
油江が閃光の残滓を切り裂いて駆け出し、真喜がそれに続く。
真喜の息遣いは荒く、警棒で打たれた肩からは嫌な熱が発せられているはずだ。背中を撃たれるかもしれないという恐怖もある。しかし、彼の背中と胸板は、エバにとってこの世のどんな強固な結界や防盗壁よりも温かく、絶対の安心感に満ちていた。
迷路のような旧館の廊下を駆け抜け、非常階段を一気に駆け下りる。
荒れ果てた庭園へと続く隠し扉を油江が蹴り破り、三人はついに屋敷の外へと飛び出した。
秋の深く冷たい夜風が、火照った三人の身体を包み込む。
白檀の忌まわしい残り香が夜気によって完全に洗い流され、エバの肺に澄んだ酸素が流れ込んできた。魂を締め付けていた見えない楔が外れ、エバの異能の波動がゆっくりと、しかし確実に自らの肉体の奥底へと定着していくのを感じる。
庭園の暗がり、生い茂る木々の影に、真喜が乗ってきた頑丈な黒のSUVがエンジンをかけたまま待機していた。
「後部座席に乗せろ。私が運転する」
油江が素早く運転席へ乗り込み、真喜はエバを大切に抱き抱えたまま後部座席へと滑り込んだ。
ドアが閉まると同時、SUVはタイヤを激しく軋ませながら、屋敷からの追っ手が完全に組織される前に、菱倉の敷地を覆う深い森の闇の中へと爆発的な加速で飛び出していった。
車内のヒーターが効き始め、極限まで張り詰めていた空気がわずかに緩む。
後部座席で、エバは真喜の腕の中にすっぽりと収まり、彼の広い胸に頬を預けていた。真喜は、まるで永遠に失いかけていた宝物をようやく取り戻したかのように、震える手で何度も何度もエバの髪を撫で、その生気を取り戻しつつある青白い頬に触れていた。
「よかった……本当によかった。新子、苦しくないか? どこか痛いところはないか?」
「……はい。真喜さんが、助けに来てくれたから。……でも、肩、打たれていましたよね……」
エバが微かに震える手を伸ばし、真喜の痛む肩にそっと触れると、彼は痛みを堪えるように少しだけ顔を歪めながらも、すぐに太陽のような眩しい笑顔を作ってみせた。
「こんなの、お前が死にかけたことに比べれば、蚊に刺されたようなもんだ。……お前が無事なら、俺はなんだって耐えられる」
その言葉に嘘偽りは一切なかった。真喜の目から再び安堵の涙が溢れ出し、エバの髪を濡らした。
冥界から憑依した異能の存在であるエバにとって、無条件で自己犠牲を伴う人間の愛情など、これまで一度も理解したことのない概念だった。しかし今、彼女の魂は真喜の純粋な熱に当てられ、どうしようもないほどの愛おしさと、彼を騙し続けていることへの微かな罪悪感に苛まれていた。
その光景を、運転席の油江はバックミラー越しに、静かに、しかし複雑な感情が渦巻く冷徹な瞳で見つめていた。
油江はコートの内ポケットに触れた。そこには、勉を破滅させるための絶対的な証拠――沙代夫人が遺したカプセルが確かに収まっている。ミッションとしては、これ以上ない完全な勝利だ。
しかし、彼の明晰な頭脳は、今夜の出来事を通して、一つの決定的な「真実」に到達していた。
(……サリンなどの化学兵器でもない、ただの香木である『白檀』の煙。それが、彼女の生命活動をあそこまで劇的に奪い、力を封じ込めた。あの常人離れした精神力と、不可解なまでの証拠発見のプロセス……)
油江はハンドルを握る手をきつく握り締めた。
彼女は、ただの人間ではない。無力な令嬢「菱倉新子」の皮を被った、現世の理を外れた超自然的な存在。あるいは、地獄の底から復讐のために舞い戻ってきた悪魔のようなものかもしれない。
だが、その事実に行き着いてもなお、油江の心に恐怖や忌避感は一切生まれなかった。
むしろ、その底知れぬ深淵と血の匂いこそが、彼の犯罪心理学者としての知的な執着をさらに燃え上がらせ、彼女という存在を独占したいという暗い欲望を駆り立てていた。
(君が人間でなかろうと、どんな宿業を背負っていようと構うものか。君のその暗闇を完全に理解し、底まで付き合えるのは私だけだ。……たとえこの先、この隣で君を抱きしめる愚直な青年と、君の心を奪い合うことになろうともな)
油江は暗闇の道路を睨みつけ、心の中で密かに、しかし決して揺るぐことのない誓いを立てた。
一方のエバは、真喜の温かい鼓動を聞きながら、静かに目を閉じていた。
エバの正体に薄々気づきながらも、すべてを肯定して共犯者となってくれる大人の男、油江の知的な魅力と深い包容力。
エバの正体を知らず、ただ「新子」という一人の少女を無条件で全肯定し、命を懸けて守り抜こうとする真喜の、過保護なまでの真っ直ぐな愛情。
対極にある二人の「救世主」。
その間に挟まれ、エバの中に生じた「恋」という名のバグは、もはや修正不可能なまでに彼女の魂の奥深くまで根を張り、人間としての脆弱で甘い感情を激しく乱高下させていた。
(私は……この感情を、どうすればいいの……)
SUVは、横浜の街の光をナイフのように切り裂きながら、安全な隠れ家へと向かって疾走していく。
背後に残された菱倉本邸では、やがて地下の爆発に伴う業火が立ち上がり、一族の罪を焼き尽くすための葬送の鐘となって響き渡ることになるだろう。勉が守り抜こうとした強固な城壁は、油江の懐にあるたった一つの証拠によって、間もなく完全に崩壊する。
しかし、最大の敵を打ち破ろうとしているにもかかわらず、エバの心はかつてないほどの激しい嵐に見舞われていた。
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




