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冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
第三章 閻魔の小道具と白檀の罠

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揺れる心と「恋」という名のバグ㈡

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 エバは微かな痛みを胸に秘めたまま、完璧な令嬢の微笑みで真喜の忠告を受け流した。

 一時間後。真喜の度重なる心配の言葉を背に受けながら喫茶店を出たエバは、キャンパスの銀杏並木を抜け、迷うことなく文学部棟の奥深く――油江颯の個人研究室へと足を向けた。

 重厚なオーク材のドアを開けると、先ほどの喫茶店とは全く異なる、ブラックコーヒーと古い洋書、そして微かな煙草の香りが入り混じった、冷たく知的な空気が彼女を出迎えた。


「遅かったじゃないか、菱倉さん。……別大学の彼氏殿の、過保護なカウンセリングでも受けていたのかね?」


 アンティークデスクの奥から、油江が皮肉めいた笑みを浮かべて声をかけてきた。彼はエバの行動をキャンパスの裏からすべて把握しているかのように、鋭く、そして楽しげな視線を向けてくる。


「ええ。真喜さんは、私がただの無力で可憐な令嬢だと信じ切っていますから。彼の純粋な庇護欲を刺激しておくのも、このキャンパスで目立たずに立ち回るための立派なカモフラージュになりますわ」


 エバは先ほどの儚い令嬢の仮面を瞬時に脱ぎ捨て、冷徹で傲慢な裁定者「エバ」としての顔を取り戻し、革張りのソファへと優雅に腰を下ろした。

 油江はコーヒーカップをデスクに置き、両手を組んでエバを真っ直ぐに見つめた。


「カモフラージュ、ね。……まあいい。それよりも、昨晩の『特別調査』の結果を聞かせてもらおうか。勉の妻であった沙代夫人が遺した、殺害の決定的証拠。君のその……警察には到底不可能な『超自然的な伝手(つて)』とやらは、無事に機能したのかね?」


 油江の言葉には、エバが「ただの人間ではない」という事実に対する、強い確信と知的な好奇心が滲み出ていた。

 彼は、エバがどのような手段を用いたか(冥界から浄玻璃鏡をレンタルしたことなど)の具体的なオカルトの理屈までは理解していないかもしれない。だが、彼女が常人の理解を超えた力を行使する異能の者であることを、その明晰な頭脳ですでに薄々と気づき、受け入れ始めているのだ。


「ええ。完璧に機能しましたわ、教授」


 エバは冷たい微笑を浮かべ、油江の挑戦的な視線を正面から受け止めた。


「沙代夫人は、確かに勉叔父様の手によって毒殺されました。睡眠薬を盛られ、心不全に偽装されて。……そして、彼女が死の直前に隠した決定的証拠――勉の暗殺指示の裏帳簿データは、現在も菱倉本邸の空き部屋となっている、沙代夫人の元私室に眠っています」


「場所は?」


「アンティークの化粧台の引き出しの奥。二重底のさらに下にある、精巧な隠しスペースの中です」


 油江は満足げに目を細め、喉の奥で低く笑った。


「素晴らしい。これで、勉という男の息の根を完全に止めるための、最後の一手が揃ったわけだ。……君という存在は、本当に私の犯罪心理学の常識を心地よく破壊してくれるよ、菱倉さん」


 油江は立ち上がり、エバの座るソファの背後にゆっくりと歩み寄った。そして、彼女の耳元に身を(かが)め、囁くように言った。


「真喜くんのような、光の世界の住人が向ける純粋な愛も悪くはないだろう。……だが、君のその美しい手にこびりついた『血の匂い』と、君が抱える常人離れした深い闇の底まで理解し、共に地獄へ堕ちてやれるのは、私だけだ。……そうだろう?」


 油江の放つ、ブラックコーヒーのほろ苦い香りと、大人の男特有の危険な色気。

 それは、真喜の陽だまりのような優しさとは対極にある、底知れぬ深淵からの誘惑だった。

 エバの背筋に、先ほどとは全く異なる、痺れるような甘い悪寒が走る。

 真喜の、無垢な「新子」への過保護で純粋な愛情。

 油江の、謎を秘めた菱倉新子への共犯としての知的な執着。

 光と闇、全く異なる二つのベクトルの間で、冥界の者であるはずのエバの魂は、いよいよ本格的な「エラー」を起こし始めていた。彼女は、自らの内に芽生えたこの圧倒的な矛盾と渇望こそが、人間だけが持つ「恋」という名の、最も美しく、最も恐ろしいバグであることを、ついに明確に自覚し始めていたのである。

 油江の放つ、低く熱を帯びた囁き。それは、真喜が向けてきた陽だまりのような純粋な愛情とは対極にある、甘く危険な猛毒だった。

 エバの背筋を駆け抜けた痺れるような悪寒は、決して恐怖からくるものではなかった。自分という存在の最も深い、最も邪悪な部分を完全に肯定され、共に破滅の淵まで歩むことを誓い合うような、背徳的な歓喜の震えだった。


「……随分とロマンチストなことを仰るのね、教授。犯罪の心理を解剖する冷徹な学者の口説き文句としては、少々情熱的すぎるのではありませんこと?」


 エバは必死に平常心を装い、わざと艶然とした冷笑を浮かべて、油江の顔を正面から見つめ返した。その瞳の奥で生じている激しい感情の乱高下を、決して彼に悟られないように。

 油江はふっと息を抜き、エバの耳元から離れて自身のデスクへと戻っていった。


「事実を述べたまでだよ、菱倉さん。光の世界しか知らない人間に、深淵の底を這いずる者の孤独は永遠に理解できない。君がどれほど完璧に『令嬢・新子』を演じようと、君の魂の渇きを癒やせるのは、同じ闇を知る者だけだ」


 油江はマグカップの残りのコーヒーを飲み干し、再びノートパソコンのキーボードを叩き始めた。先ほどまでの危険な色気はすっと身を(ひそ)め、頼れる共犯者としての知的な顔へと一瞬で切り替わっている。その完璧な自己制御の切り替えすらも、今のエバにとってはひどく口惜(くちお)しく、そして魅力的に映った。


「さて、甘い感傷と哲学の時間はこれくらいにしておこう。本題だ」


 油江のモニターに、菱倉家本邸の広大な見取り図が展開された。


「君の『超自然的な伝手』がもたらした情報によれば、証拠は本館二階の東翼、沙代夫人の元私室にあるアンティーク化粧台の隠しスペースだね」


「ええ。五年間、誰も触れていないはずの場所よ」


「だが、油断は禁物だ。昨日の大学での爆発失敗を受け、勉は極度の疑心暗鬼に陥っているはずだ。君という標的を仕留め損なった以上、彼が次に恐れるのは『過去の罪の露見』に他ならない。あの狡猾な男が、沙代夫人の部屋を何の警戒もなしに放置していると考えるのは、いささか楽観的すぎる」


 油江の指摘は、氷のように冷徹で的確だった。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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