揺れる心と「恋」という名のバグ㈠
三途の川の『奪衣婆』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?
朱鳥女子大学のキャンパスに隣接する、蔦の絡まるクラシカルなレンガ造りの純喫茶。セピア色に染まった店内には、静かなクラシック音楽と、深く焙煎された珈琲の香りが満ちていた。
窓際の奥まったボックス席で、エバ――表向きは菱倉家の令嬢である「新子」――は、両手でティーカップを包み込むようにして、目の前に座る青年の顔をじっと見つめていた。
「新子……! 本当に、本当に怪我はなかったんだな? 煙を吸って気分が悪いとか、火傷の跡が痛むとか、少しでも異変があるならすぐに病院へ行くべきだ!」
別の大学に通っているはずの真喜は、テーブルに身を乗り出すような勢いで、エバの白く細い両手を自らの大きな手で力強く、しかし壊れ物を扱うかのような慎重さで包み込んでいた。
昨日、旧理科棟で発生した凄まじいガス爆発と火災。新子がそれに巻き込まれ、あわや命を落としかけたというニュースを知るや否や、真喜は居ても立っても居られず、自分の大学の講義をすべてすっぽかしてキャンパスまで駆けつけてきたのだ。
彼の端正な顔は極度の心配と疲労で青ざめ、綺麗に整えられているはずの髪も、何度も自らの手で掻きむしったのか、無造作に乱れていた。
「大丈夫ですわ、真喜さん。……ごめんなさい、こんなに心配をかけてしまって。でも、本当に無傷でしたから」
エバは伏し目がちに潤んだ瞳を向け、可憐で儚い令嬢としての完璧な微笑みを浮かべた。
「無傷だろうと関係ない! 俺は、ニュースで『朱鳥女子大で爆発、女子学生が巻き込まれた』と聞いた瞬間、心臓が止まるかと思ったんだぞ……!」
真喜の大きな手から、痛いほどの熱がエバの手のひらへと伝わってくる。
「俺がお前の傍にずっとついていれば、あんな恐ろしい目に遭わせることはなかった。……新子、これからは俺が毎日、大学への送り迎えをする。もう二度と、お前を一人で危険な場所には近づかせない。絶対にだ」
それは、常軌を逸しているとさえ言える、過保護なまでの愛情と庇護欲だった。
真喜の瞳の奥にあるのは、純度百パーセントの、一片の曇りもない「菱倉新子」への盲目的な愛だ。彼は、目の前にいる少女が、自らを罠にかけた実行犯を冷酷に尋問し、冥界から「浄玻璃鏡」という異能の小道具を召喚して一族の血塗られた罪を暴き出している、冥界の化身「エバ」であることなど、微塵も疑っていない。彼が愛しているのは、あくまで無垢で、無力で、守られるべき令嬢としての幻影に過ぎない。
本来であれば、冷徹な裁定者であるエバにとって、このような盲目的で暑苦しい愛情は「滑稽な観察対象」でしかないはずだった。
しかし――。
(……どうして。真喜さんのこの熱い手が、こんなにも心地よく感じてしまうの……?)
エバの胸の奥底、氷の論理回路で満たされているはずの中枢に、チクリとした痛みを伴う甘い熱が走った。
人間の感情などという不確かなものは、判断を鈍らせ、作戦を致命的なエラーへと導く無用の長物でしかない。
頭では完全に理解しているのに、真喜のまっすぐな瞳に見つめられ、その不器用で必死な愛の言葉を浴びるたびに、エバの中で硬く凍りついていた「何か」が、音を立てて溶け出しそうになるのだ。
「真喜さん……。あなたのそのお気持ちだけで、私は十分に救われていますわ」
エバは自らの胸の奥で暴走しそうになる感情を必死に抑え込みながら、真喜の手をそっと握り返した。
その瞬間、真喜は少しだけ安堵したように目尻を下げたが、すぐにその端正な眉を険しくひそめた。
「……新子。お前を火事の中から助け出したという、あの油江とかいう教授のことなんだが」
「油江教授が、何か?」
「俺は、あの男を信用できない。ニュースの映像で少し顔を見ただけだが……あいつの目は、お前のことを『守るべき女の子』として見ていない。まるで、得体の知れない実験動物か、危険なパズルでも解き明かそうとするような、そんな冷酷な目をしていた」
真喜の直感は、ある意味で恐ろしいほどに正確だった。
「できれば、あの男にはもう近づかないでほしい。新子のことは、俺が全力で守るから」
エバは小さく息を呑んだ。
真喜の過保護な優しさは、まるで春の陽だまりのように温かく、エバの心に生じた「人間としての揺らぎ」を優しく包み込んでくれる。だが同時に、その光が強ければ強いほど、エバ自身が抱える「血塗られた真実」との絶対的な乖離が、鋭い棘となって彼女の心を突き刺すのだ。
(真喜さんは、私の正体を知れば、きっとこの温かい手を離してしまう。……私が、人間ですらない冥界の亡霊だと知れば)
「……ええ。気をつけておきますわ、真喜さん」
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魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。




