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冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
第二章 キャンパスに潜む罪のにおい

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22/62

菱倉家を覆う「過去の死」の影㈠

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 旧理科棟の第三実験室から凄まじい業火が噴き上がった直後、朱鳥女子大学のキャンパスは、秋の夜の静寂を切り裂くけたたましいサイレンの音と、闇を毒々しく染め上げる赤色灯の不吉な閃光(せんこう)に完全に包み込まれた。

 消防車とパトカーが次々と正門を突破して駆けつけ、黒煙は星の見えない夜空へと渦を巻きながら立ち昇っていく。野次馬となった学生たちや近隣住民のざわめき、飛び交う無線機からの無機質な音声、そして建物の構造材が焼け落ちる爆ぜる音が、現場の異常な狂騒を作り出していた。完全な鎮火までに数時間を要する大騒ぎとなることは、誰の目にも明らかだった。

 警察と消防の合同による初期の実況見分が行われる中、エバと油江颯の二人は、安全確保のために後退させられた救急車の傍らで、分厚い毛布にくるまりながら所轄の刑事からの事情聴取を受けていた。

 この場における油江の対応は、犯罪心理学者としての卓越した知性と、異常事態における完璧な冷静さを遺憾なく発揮した、まさに芸術的なものであった。


「ええ、たまたま古い文献を探しに旧理科棟の地下書庫を訪れたところ、上階から微かな異音が聞こえましてね。胸騒ぎがして駆け上がると、菱倉さんが第三実験室の前の廊下に倒れているのを発見したのです。彼女に駆け寄った瞬間、強烈なガス漏れの臭いが鼻をつきました。これは危険だと判断し、意識のない彼女を抱え上げて無我夢中で外へ逃げ出しました。私たちが建物を飛び出した直後に、背後で凄まじい爆発が起きた……。おそらく、戦前から使われている古いガス管の老朽化による大規模な漏出と、何らかの些細な静電気、あるいはネズミなどが配線をかじったことによるショートが引き起こした引火事故でしょう」


 油江は、焦燥に駆られた教授という仮面を完璧に被りながら、これが犯人の仕掛けた計画的かつ悪辣(あくらつ)な暗殺の罠であることを警察には一切告げなかった。極めて自然な、誰もが納得する「不幸な老朽化事故」として論理的に証言を組み立てたのである。

 これは、自分たちを亡き者にしようとした真犯人を一時的に安心させ、完全に油断させたところで、自らの手で逃げ場のない地獄へと追い詰めるための、冷徹極まりない偽装工作だった。エバもまた、その意図を完璧に理解していた。煤で顔を汚し、恐怖に震える可憐な令嬢という演技をこなし、刑事の問いかけに対しては涙目でコクコクと力なく(うなず)くだけに留めた。

 警察や消防は、油江の理路整然とした説明と、実際に大学側の設備管理が平素からずさんであったという背景事情をすんなりと受け入れ、この一件を「不幸な爆発事故」として処理する方向で迅速に動き始めた。エバをこの実験室へとおびき出すために使用された、スマートフォンの教務課を(かた)る偽装メールも、爆発の圧倒的な熱と炎によって第三実験室の灰の中に溶け落ち、サイバー空間へのアクセス経路となる物理的な証拠は完全に隠滅されていた。


 日付が変わり、空気が一層の冷たさを帯びる頃。エバは、菱倉家のお抱え運転手である河上が無言でハンドルを握る黒塗りのベンツの座席に深く沈み込み、ようやく横浜市山手地区の一等地に広大な敷地を占める、菱倉家本邸へと帰り着いた。

 深夜の二時を回っているというのに、豪邸の広大な玄関ホールはシャンデリアが煌々と灯され、まるで白昼のような眩しさに包まれていた。大理石の床の上には、一族の者たちが青ざめた顔で、今か今かと彼女の帰還を待ちわびて勢揃いしていた。


「新子! おお、よくぞ……よくぞ無事で帰ってきた!」


 当主であり、菱倉グループの絶対的な権力者である祖父の剛蔵が、黒檀(こくたん)の杖をガタガタと震わせながら駆け寄り、エバの細い肩をきつく、痛いほどに抱きしめた。


「大学で爆発事故があり、お前がそれに巻き込まれたと警察から連絡があった時は、おじいちゃんは寿命が縮み、心臓が止まるかと思ったぞ! 本当によく生きていてくれた……!」


 普段は冷徹な経営者である剛蔵の目には、明らかな涙が浮かんでいた。エバの父である慶太も、母の朋美も、安堵のあまり気の利いた言葉も出ない様子で、ただハンカチを顔に押し当ててしゃくり上げている。兄の剛志に至っては、エバの煤で汚れ、毛先の焦げた髪を震える手で優しく撫でながら、静かに、しかし地を()うような激しい怒りを滲ませた声で呟いた。


「絶対に許せない……。由緒ある大学の安全管理がどうなっているんだ。明日、すぐにグループの専属弁護士団を動かして、大学の理事会に対して徹底的な責任追及と損害賠償の請求を行う。新子に万が一のことがあれば、あの大学を更地にしてやるところだった」


 家族たちの純粋な愛情、そして心底からの心配の念が、冷え切り、張り詰めていたエバの心にじんわりと温かく染み込んでくる。仮初めの家族とはいえ、彼らが「菱倉新子」に向ける愛情に嘘はない。

 しかし、その温かく感動的な家族の輪の背後で、まるで墓場から蘇った幽鬼のように生気を失い、ただ立ち尽くしている三人の姿を、エバの鋭い視線は決して逃さなかった。

 専務としてグループの実務を取り仕切る叔父の勉、その息子である友貴哉、そして新子の従姉にあたる香々美である。

 彼らの顔に浮かんでいたのは、姪の無事を喜ぶ「安堵」などでは断じてなかった。信じられないもの、あってはならない異常な事態を目の当たりにしたような「驚愕」と、底知れぬ「恐怖」によって、彼らの顔面は青黒く引き攣っていた。

 特に勉の様子は異常だった。瞳孔は見開かれたまま固定され、額にはべっとりと冷や汗が浮かび、微かに震える唇は何かをブツブツと呪文のように呟いている。香々美の異様に引き()った口元は痙攣を繰り返し、友貴哉に至っては、エバと目を合わせることを恐れるように、焦点の定まらない視線を虚空へ泳がせていた。

 それらすべての反応が、彼らが事前に「今夜、新子が旧理科棟で確実に死ぬこと」を熟知していた何よりの証拠であった。


(あら、ずいぶんと顔色が悪いこと、勉叔父様。私が有毒ガスに巻かれ、あの大爆発の炎に焼かれて、今度こそ確実に死んだと思っていたのでしょう? それが無傷で、こうして平然と帰ってきたものだから、さぞかし本物の幽霊でも見たような気分でしょうね)


 エバは内心で冷ややかに、そして残酷に毒づきながら、わざと足元をふらつかせ、よろめくような足取りで勉たちの前へと歩み寄った。


「勉叔父様……。本当に、思い出すだけで震えが止まらない、恐ろしい体験でしたわ」

 エバは、か弱い令嬢の震える声を完璧に作り上げた。


「誰もいないはずの密室に突然閉じ込められ、どこからともなく、ひどく甘い臭いのするガスが充満してきて……息ができなくなって……もし、あのタイミングで油江教授が助けに来てくださらなければ、私は今頃、あの実験室で骨も残らず燃え尽きていたはずですのよ」


 エバが、犯人しか知り得ない「甘い臭いのするガス」――すなわち、致死性の猛毒である青酸(シアン)化合物を暗示する決定的なキーワードを、わざと声のトーンを変えて強調して口にした瞬間だった。

 勉の肩が、まるで高圧電流を流されたかのようにビクッと大きく跳ね上がった。


「そ、そうか……! それは本当に、不運で……恐ろしい事故だったね……。とにかく、無事で何よりだよ、新子ちゃん……」


 勉の声はかすれ、ひどく上擦っており、呼吸すら浅くなっている。言葉の端々に、隠しきれない動揺とパニックがへばりついているのが手に取るように分かった。友貴哉も香々美も、エバの方を一切見ようとせず、ただ薄ら寒い玄関ホールの中で、互いの身を寄せ合うようにして縮こまっている。

 エバの持つ「異能の目」は、人間の隠された感情を色彩として視認することができる。今、勉の魂の奥底から立ち上っているのは、どす黒い「焦燥」と、得体の知れない事象に対する「恐怖」、そして自分の完璧なはずの暗殺計画が狂ったことへの激しい「瞋恚(怒り)」の感情だった。それは泥のように濁った、おぞましい赤黒いオーラとなって彼の全身を包み込んでいる。

 キャンパスの旧理科棟に微かに漂い、エバの鼻腔を突いたあの禍々しい「罪のにおい」。それと寸分違わぬ悪意の色彩が、目の前にいる叔父から放たれていた。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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