表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
第二章 キャンパスに潜む罪のにおい

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/62

理科実験室に仕掛けられた甘い罠㈡

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 空気には、長年蓄積された埃の匂いと、薬品のツンとした刺激臭が染み付いている。廊下の蛍光灯は半分以上が切れかかっており、チカチカと神経を逆撫でするような点滅を繰り返していた。

 無色であり、無臭であった冥界の三途の川のほとりに比べれば、人間界の古びた建物が発するこのおどろおどろしい雰囲気は、いかにも「悪意が潜む場所」という安っぽい演出に満ちていた 。


「第三実験室は、この廊下の突き当たりです。気をつけてください、菱倉さん。犯人が物理的な凶器を持って潜んでいる可能性もゼロではない」


 油江が声を潜め、エバを庇うように少しだけ前を歩く。その広い背中を見つめながら、エバはまたしても胸の奥がトクンと鳴るのを感じた。利害の一致によってのみ成立するはずの同盟関係において、自らの危険を顧みずに他者を守ろうとする行為。それは、黒き学び舎の掟では「任務全体の成功確率を下げる非合理的な判断」として厳しく禁じられているはずのものだった 。しかし、人間である彼は、ごく自然にそれを実行している。


(本当に、人間というのは不可解で、そして……厄介な生き物ね)


 エバは自らの心臓の鼓動を無理やり静めながら、油江の後に続いて第三実験室の前に立った。

 重々しいスチール製のスライドドアには、電子制御のオートロックが取り付けられていた。油江がマスターキーのカードをかざすと、ピピッという電子音とともに、重いロックが外れる音がした。

 油江が慎重にドアを引き開ける。

 室内は真っ暗で、ブラインドが完全に下ろされていた。窓の隙間から差し込むわずかな光だけが、無数のビーカーやフラスコ、そして埃を被った実験台の輪郭を不気味に浮かび上がらせている。


「誰も、いないようですね」


 油江が壁の照明スイッチに手を伸ばそうとした、まさにその瞬間であった。

 エバの全身の産毛が、凄まじい危機感によって一斉に逆立った。


「待って! スイッチに触らないで!」


 エバが鋭く叫び、油江の手を乱暴に払い除けた。

 その直後。

 背後のスチール製ドアが、まるで意志を持っているかのように凄まじい勢いで自動的に閉まり、ガシャンッ! という鼓膜を破るような金属音とともに、分厚いロックが完全に施錠されたのである。


「なっ……! ロックが外から強制的に掛けられた!? 私のマスターキーでも反応しない!」


 油江が慌ててカードキーをかざすが、読み取り機のエラーランプが虚しく赤く点滅するだけだった。さらに彼はスマートフォンを取り出したが、画面の電波状況を示すアンテナマークは完全に圏外となっていた。


「小型のジャマー(電波妨害装置)まで仕掛けられている。完全に密室に閉じ込められましたね」


 油江が舌打ちをしたその時、暗闇の実験室の奥から、シューッ……という微かな、しかし気味の悪い気体の漏れる音が響き始めた。

 それと同時に、室内の空気が急速に変化していくのをエバの鋭敏な嗅覚が捉えた。

 甘い。

 熟れすぎた果実のような、あるいは強烈なアーモンド臭のような、ひどく甘ったるく、そして鼻腔の奥を直接突き刺すような刺激臭が、密室となった実験室内に猛烈な勢いで充満し始めたのである。


「……この臭い、まさか!」


 油江が口元をハンカチで覆い、顔を青ざめさせた。


「有毒ガスですか?」


 エバも慌てて制服の袖で口と鼻を覆ったが、その瞬間、彼女は人間界に転生して以来、最大の「肉体的な恐怖」を味わうこととなった。

 眼球が焼け付くように痛み、ボロボロと制御不能な涙が溢れ出す。喉の奥が刃物で切り裂かれたように激しく痛み、気管支が痙攣して激しい咳が止まらなくなったのである。


「ゲホッ……! ゴホッ、あ……っ!」


 酸素を求めて肺が悲鳴を上げ、脳に供給される血液が急激に汚染されていく感覚。視界がグラグラと揺れ、立っていることすら困難になり、エバはその場に崩れ落ちそうになった。

 気温、湿度、明暗を意識することもなく、呼吸すら必要としなかった冥界の霊体とは違い、人間の肉体というものは、これほどまでに脆弱(ぜいじゃく)で、環境の変化にあっけなく屈してしまうものなのか。エバは、自身の魂を入れているこの「菱倉新子」という器の圧倒的な不便さと脆さを、死の恐怖とともに骨の髄まで痛感していた 。


「菱倉さん! しっかりしろ! なるべく床の近くで、浅く呼吸をするんだ!」


 油江がエバの体を支え、床に伏せさせた。彼自身も激しく咳き込みながら、絶望的な視線で暗闇の室内を見回している。


「シアン化合物……いや、それに揮発性の高い可燃性ガスが混合されている。青酸ガスによる毒殺と同時に、わずかな火花でも引火して大規模な爆発を引き起こす気だ。だから照明のスイッチを入れさせなかったんですね。……見事な直感だ。しかし、このままでは数分で私たちは確実に死ぬ」


 油江の言葉は、犯人の仕掛けた罠の恐るべき悪辣(あくらつ)さを正確に物語っていた。

 有毒ガスで意識を奪い、その後に爆発を引き起こす。そうすれば、証拠はすべて炎に包まれ、単なる「理科実験室での不幸な爆発事故」として処理される。新子が教務課の呼び出しメールを見てやってきたという証拠も、スマートフォンごと熱で溶解してしまえば隠滅できる。


(……なんて、なんて薄汚く、そして狡猾な殺意なの……!)


 エバの脳裏に、焦熱地獄の業火で焼かれる罪人たちの姿がフラッシュバックした 。

 しかし、彼女はただの非力な女子大生ではない。天界の天使養成校を卒業し、閻魔大王の妻として冥界に君臨した奪衣婆である。そして何より、彼女には人間界における「覚醒能力」が備わっていた。

 彼女は、喧嘩、武器使用、乗り物運転操縦、詐欺、強盗、ハッカー、拷問など、ありとあらゆる悪事の方法を知識として完全に知り尽くしており、それを即座に活用することができるという、チート級の異能を持っていたのである 。


(有毒ガスと可燃性ガスの混合気体による密室暗殺。そして遅延着火式の隠蔽工作……。悪事の手口としては古典的だけれど、理にかなっているわ。でも、完璧な罠などこの世に存在しない。人間の作ったシステムには、必ず物理的な『抜け道』がある!)


 エバは薄れゆく意識を強靭な精神力で繋ぎ止め、涙で滲む視界を必死に凝らして暗闇の実験室内を素早くスキャンした。

 強固なスチール製の扉を力ずくで破ることは不可能。スマートフォンのライトをつけるだけでも、微小な静電気や電子回路のスパークで引火する可能性がある。窓ガラスは防犯用の分厚い網入りガラスであり、椅子を叩きつけたくらいではビクともしないだろう。

 ならば、どうするか。

 火花を一切散らすことなく、この密室の壁を破壊し、外の新鮮な空気を取り入れるしかない。


「教授……! ゲホッ、あそこの、実験台の下……!」

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ