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冥府令嬢の天秤1〜三途の川からお嬢様女子大生へ!冥界エリートの華麗なる事件簿〜  作者: たくみふじ
序 章 冥府からの片道切符

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三途の川の憂鬱(ゆううつ)な窓口業務㈡

三途の川の『奪衣婆だつえば』、現世では可憐なお嬢様女子大生!?

 くたびれた事務服に身を包み、墨を流したように艶のある長い黒髪を、無造作に安物のクリップで後ろに束ねている。彼女こそが、三途の川で六文銭を持たぬ死者の衣服を剥ぎ取り、その罪の重さを量ると恐れられる老女の鬼、奪衣婆(だつえば)である。剥ぎ取った衣類は傍の懸衣翁(けんえおう)に渡し、衣領樹(えりょうじゅ)に掛けられて罪の軽重が判断されるシステムになっていた。

 しかし、「老女の鬼」というのは人間界からの勝手な想像に過ぎない。彼女の本来の姿は、誰もが息を呑むほど容姿端麗なツンデレ系の美女であった。彼女の名前はエバ。

 エデンの園でアダムと暮らしていたが蛇の誘惑で禁断の知恵の実を食べ、エデンの園を追放された最初の人間ではないかという噂や、閻魔大王がアダムではないかという囁きが絶えない謎多き存在である。彼女は女性や子供の守護神という側面も持っており、歯の痛みを癒やし、容貌を美しくする歯科や美容整形、化粧やスタイリスト等の特殊な能力にも長けているとも言われている。

 彼女はかつて、天界のエリート育成機関である「天使養成校」を優秀な成績で卒業し、冥界のトップである閻魔大王の妻として奪衣婆長の地位にあった存在である。同級生には天照大神(あまてらすおおみかみ)や、天界の反逆者となった素戔男尊(すさのおのみこと)、そして閻魔大王がいるという、天界と冥界における正真正銘の超エリートであった。

 天使養成校の教育理念は極めて厳格であった。「秩序より調和を、調和より永遠を」というスローガンのもと、宇宙の恒久的な平和と調和を維持する管理者を育成するため、絶対的「善」の探求と、完璧なる「美」の体現、そして不確かさの排除が徹底的に教え込まれていた。「善」とはいかなる私情にも左右されない絶対的な天秤であり、「美」とはその天秤が示す完璧な調和の状態である。宇宙の調和を乱す最大の要因は「不確かさ」であり、中でも個人的な感情に起因する「愛」は最も不確かで予測不可能な変数として、公的な判断において完全に排除されるべき個人的な感情であると教育されていた。

 だが、現在の彼女の顔には、エリートとしての矜持(きょうじ)も、かつての圧倒的な輝きもなかった。あるのは、ただ果てしない退屈と、業務に対する虚無感だけである。

 エバはバツ二であった。閻魔大王と離婚したのち、業務上のパートナーであった懸衣翁(けんえおう)と再婚させられたが、それも結局は離婚に終わった。懸衣翁との離婚後は、なんと懸衣翁の業務まで兼任させられており、一人で黙々と途方もない数の亡者の処理をこなす日々だ。日本支部だけでも、一日に約三千八百人もの亡者の対応をしなければならない。

 彼女の業務は、死者の魂に付着した「生前の記憶」という名の衣を剥ぎ取り、魂を初期化して川の向こう岸、すなわち閻魔大王の庁へと送り出す、ただの窓口業務と化していた。冥府のシステムは効率化の波に飲まれて久しく、そこには魂への慈悲も何もない。稀に亡者との会話があるが、声は発しておらず思念でのやり取りに過ぎない。飲食もしないため尿意や便意もなく、睡眠をとることもないし、住まいという概念すらない。汗も出ず汚れることもないため服を着替えるという概念すら彼女にはなかった。ただひたすらに、業務遂行だけが目的であり、その他のことを考える必要がない環境に置かれていたのだ。

 本来、エバには選別する中で「死神としての素質がある」と判断した亡者に対し、「黒き学び舎」への推薦状を書く権限があった。推薦を受けた者が死神になれば、推薦者に対しては守護者となるというメリットがある。しかし、彼女は「面倒だ」という理由や、魂を無機質なシステムの一部にすることへの無意識の抵抗から、これまで一切推薦状を書いてこなかった。そのため、彼女には守護者となる死神が一人もいない、孤立無援の過酷な状況に陥っていたのである。


 彼女が死者の衣を剥ぎ取る際、そこに染み付いた「記憶」が彼女の心に流れ込んでくる。幸福な人生、後悔に満ちた人生、誰かを深く愛した人生。それらの断片的な記憶が、地獄を知らない彼女の魂に少しずつ影響を与えていた。罪を裁き魂を地獄へ送るシステムを管理する立場にありながら、彼女は地獄が実際にどのような場所なのか、肌で感じたことは一度もない。

 地獄道には恐ろしい階層が存在する。いたずらに生き物の命を絶つ者が落ちる等活地獄。殺生のうえに盗みを重ねた者が落ちる黒縄地獄。さらに邪淫を重ねた者が落ちる衆合地獄。酒に毒を入れて人殺しをしたり悪事を働くように仕向けた者が落ちる叫喚地獄。さらにその十倍の苦を受ける大叫喚地獄。邪見を持つ者が落ちる焦熱地獄や大焦熱地獄。そして極悪人が落ちる最下層の阿鼻地獄、別名無間地獄。これらの地獄は、死んでもすぐに肉体が再生して何度でも責め苦が繰り返される恐ろしい世界だ。

 しかし、彼女にとって地獄とは、膨大なデータと減価償却の計算式、そして時折冥府の奥底からサーバールームの排気音のように響いてくる絶望の残響音で構成された、遠い世界の出来事に過ぎなかった。感情を殺して業務をこなす日常の中で、時折見せる人間的な戸惑いや、無意識に抱く「生への憧れ」が、エバの心の奥底で静かに、しかし確実に垣間見え始めていたのである。冥界では「自我」があやふやな状態になるのが普通だが、彼女の中ではその自我がはっきりと見え隠れしていた。

 そんなエバの姿を、冥府の頂点に君臨する閻魔大王は、遠く離れた閻魔庁から静かに見つめていた。冥界では瞬間移動が可能であり物理的な距離は意味を持たないが、彼は執務室から彼女の微細な変化を察知していた。

 閻魔大王は、硬直化した冥府のシステムに対して強い苛立ちや問題意識を感じていた。効率重視で魂の尊厳を軽視し始めた死神たちの報告を受けるたびに、静かに不快感を示していた。また、かつての妻であるエバとの会話の中で、彼女の純粋な疑問に答えられない自分自身の不甲斐なさに深く苦悩する統治者であった。十王で唯一の神であり、最も重要な存在である彼でさえ、彼女の魂の揺らぎを前にしては無力感を覚えていた。

 奪衣婆長であり妻であった彼女と離縁し、懸衣翁と再婚させて三途の川の現場勤務としたのは他でもない自分自身だ。しかし、淡々と業務をこなしている彼女の自我が消えかかっているのを見るのは忍びなかった。天使養成校で学んだ「愛は不確かな変数」という教えに逆らうように、彼の中には元妻への特別な感情が捨てきれずに残っていたのである。


「不憫な奴だ……」


 閻魔大王は、誰にも聞こえない声で呟いた。そして彼は、そんな彼女を不憫に思い、自らの絶大な権限で「人間界」への転生を行使することを決意した。

 人間界では今まさに、菱倉新子という少女が死の淵にある。魂が肉体を離れた直後であれば、エバの魂を定着させることが可能だ。それは、冥界のトップである閻魔大王だからこそ可能な、完全なる超法規的措置であった。

 次の瞬間、三途の川のほとりで、無表情に亡者の服を剥いでいたエバの体が、突如として眩いほどの強烈な光に包まれた。


「えっ!? ちょっと、何これ!」


 エバの声にならない叫びは、音のない静寂の空間にむなしく吸い込まれていった。彼女の魂は次元の境界を強引に引き裂かれ、横浜の病院のベッドで心停止状態にある菱倉新子の肉体へと、猛烈な勢いで引っ張られていく。光の奔流(ほんりゅう)の中で、エバはこれまで経験したことのない凄まじい引力と浮遊感に翻弄(ほんろう)された。無色透明で無痛だった世界から、眩しい光、暑さ、そして様々な色や音がうるさいほどに溢れる人間界へ。

 それが、三途の川の窓口業務からお嬢様女子大生へと転生を遂げる、冥界エリートの華麗なる事件簿の幕開けとなることを、この時のエバはまだ知る由もなかった。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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