第18話:選ばれなかった世界
暖かな風。
穏やかな空。
壊れていない世界。
クロエは、まだ慣れないまま歩いていた。
隣には、エルがいる。
ノイズはない。
輪郭も揺れない。
静かな横顔。
あまりにも、“普通”だった。
「……なぁ」
クロエが口を開く。
「ここ、なんなんだ」
エルは前を向いたまま答える。
「安定した観測世界」
「侵食反応なし」
「選択衝突なし」
淡々とした説明。
だが。
どこか柔らかい。
クロエは眉をひそめる。
「それ、いいことなのか?」
エルが小さく笑う。
「少なくとも、壊れはしない」
その言葉が。
なぜか、胸に引っかかる。
街を抜ける。
見慣れた顔がいる。
セレス。
ノクス。
誰も傷ついていない。
争いもない。
そして。
ノクスの肩に、梟が止まっている。
静かな瞳。
ノクティス。
クロエが見る。
その瞬間。
ほんの一瞬だけ。
ノクスと梟の輪郭が重なる。
同じ存在みたいに。
クロエの目が細くなる。
「……また」
だが。
誰も気づかない。
セレスが笑う。
「どうしたの?」
自然な笑顔。
穏やかな声。
クロエだけが、そこに馴染めない。
食卓。
笑い声。
何気ない会話。
戦う必要のない時間。
ノクスが気怠そうに言う。
「平和ってのも、悪くないな」
セレスが呆れる。
「珍しいこと言うね」
軽いやり取り。
その横で。
梟だけが、黙っている。
エルが紅茶を置く。
「静かなのは、悪いことか」
クロエは答えない。
ただ。
違和感だけが、消えない。
誰も、迷わない。
誰も、悩まない。
会話が綺麗すぎる。
沈黙すら、完成されている。
クロエが、自分の手を見る。
傷はない。
欠けてもいない。
綺麗な指先。
なのに。
「……軽すぎる」
小さく呟く。
その瞬間。
梟の視線だけが、クロエへ向く。
まるで。
“気づいている”みたいに。
夜。
クロエは、一人で外へ出る。
空を見上げる。
綺麗すぎる夜空。
ノイズもない。
揺らぎもない。
“選ばなくていい世界”。
背後から声。
「眠れないのか」
エル。
クロエは振り返る。
静かな瞳。
優しい声。
壊れそうにない存在。
クロエは、その顔を見る。
長い沈黙。
そして。
「……お前さ」
エル。
「なんだ」
クロエが目を細める。
「そんな笑い方、したっけ」
空気が、止まる。
ほんのわずか。
エルの表情が揺れる。
だが。
すぐに戻る。
「観測結果の差異だ」
「この世界は、安定している」
クロエが小さく笑う。
「違うな」
エルが黙る。
クロエが続ける。
「お前、そんな楽そうな顔しない」
風が吹く。
静かすぎる風。
クロエの目が、少しずつ鋭くなる。
「セレスも」
「ノクスも」
視線が、梟へ向く。
「……お前も」
梟は、何も言わない。
ただ。
静かに見ている。
クロエが空を見る。
争いはない。
痛みもない。
誰も壊れない。
理想みたいな世界。
それでも。
クロエは、小さく笑った。
「……つまんねぇ」
その瞬間。
空間に、ヒビが入る。
エルの瞳が、わずかに揺れる。
ノクスと梟の輪郭が、大きくブレる。
クロエが振り向く。
「痛くても」
ヒビが広がる。
「迷っても」
街がノイズを走らせる。
「間違っても」
空が歪む。
クロエが拳を握る。
「私達、自分で選んでたろ」
世界が、軋む。
エルが静かに言う。
「ここは、お前が望んだ可能性だ」
クロエは首を振る。
「違う」
一歩、踏み出す。
「こんなの――」
大きく、空間が割れる。
「私達じゃない」
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