第6話:静かな日常、ズレた輪郭
人の声がする。
笑い声。
足音。
遠くで鳴る、何かの音。
クロエが、ふと立ち止まる。
「……普通だ」
目の前には、街。
崩れていない建物。
整った道。
行き交う人影。
セレナが周囲を見る。
「……安定しているな」
エルが解析する。
「空間構造、固定状態を確認」
「時間同期――正常」
クロエが苦笑する。
「逆に怖いって」
だが。
ここには、“歪み”が見えない。
だからこそ――
クロエは、ゆっくり歩き出す。
人の間をすり抜ける。
誰も、こちらを気にしない。
まるで。
“最初からそこにいない”みたいに。
クロエが呟く。
「……ねえ」
セレナを見る。
「私たち、見えてる?」
セレナは少しだけ周囲を見る。
人々は、笑い、話し、通り過ぎる。
視線は、向かない。
「……必要とされていないだけだ」
クロエが笑う。
「それ、結構くるやつ」
エルが補足する。
「外部認識との干渉――極小」
「観測優先度が低い可能性」
クロエが肩をすくめる。
「要は、モブ扱いね」
少し歩く。
パン屋の前。
焼きたての匂い。
クロエが立ち止まる。
「……これ」
手を伸ばす。
パンに触れる。
――触れている感覚はある。
だが。
「……軽い」
セレナが問う。
「何がだ」
クロエが、パンを持ち上げる。
「重さ、ない」
エルが即座に解析する。
「物理干渉――不完全」
「存在優先度の差異を確認」
クロエが苦笑する。
「食べても意味なさそうだなぁ」
それでも、一口かじる。
味はある。
だが。
「……残らない」
飲み込んだはずの感覚が、消える。
セレナが静かに言う。
「記録されていない」
クロエが、目を細める。
「エルと同じか」
エルは、わずかに沈黙する。
「……類似」
その時。
子供の笑い声が、すぐ近くで弾ける。
クロエが振り向く。
小さな子供が、走り抜ける。
その手に――風船。
赤い風船が、空に浮かぶ。
一瞬だけ。
その色が、“ズレる”。
赤が、黒に滲む。
クロエの目が細くなる。
「……見た?」
セレナが答える。
「ああ」
エルが解析する。
「局所的観測ズレを確認」
クロエが小さく笑う。
「やっぱり、普通じゃないね」
空を見る。
青い空。
だが。
ほんのわずかに、揺れている。
セレナが言う。
「この世界は、“安定しているように見せている”」
エルが続く。
「選択の影響を隠蔽する表層構造と推定」
クロエが息を吐く。
「……じゃあさ」
足を止める。
「ここで選んだら、どうなる?」
沈黙。
セレナが答える。
「同じだ」
エルが補足する。
「表層の安定性に関わらず、内部構造は変化する」
クロエが頷く。
「そっか」
少しだけ、笑う。
「じゃあ――」
その瞬間。
子供の風船が、弾ける。
音はない。
だが。
空間が、わずかに歪む。
クロエの視界に。
“別の風景”が、一瞬だけ重なる。
崩れた街。
紫の空。
すぐに戻る。
子供は、何も気づかず笑っている。
クロエが、呟く。
「……重なってる」
セレナが低く言う。
「ああ」
エルが記録する。
「層構造の部分露出を確認」
クロエが、ゆっくり前を見る。
普通の街。
普通の音。
普通の世界。
だが――
その下に。
“全部ある”。
クロエが、小さく笑う。
「いいね」
その声は静かだが、どこか覚悟を含んでいる。
「壊れてる方が、本物っぽい」
セレナが呟く。
「皮肉だな」
エルが補足する。
「安定は、仮初の可能性」
三人が、並ぶ。
人混みの中。
誰にも気づかれないまま。
歩き出す。
その背に。
わずかな“欠落”を残しながら。
日常は、続く。
――ズレたまま。
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