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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第6章:完了形の必殺技

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永遠の灰の守り手

 光が、灰ノ原を包んだ。


 十六基の碑石から放たれる白い光の環が、円を描きながら広がっていく。城壁を越え、灰色の荒野を覆い、北東の森の縁まで——静かに、しかし止まることなく。


 結界の光に触れた瞬間——。


 鋼牙獣の群れが、足を止めた。


 数千頭の魔獣が、一斉に。


 攻撃したのではない。結界が放つ循環因果の波動が、魔獣たちの体内に染み込んだ古代の狂暴化因子を——「完了」させたのだ。


(千年前の結界が解けて、放出された魔力が魔獣を狂暴化させていた。だから、結界が完全に『完了』すれば——魔獣を狂暴化させていた未完了の魔力も、消える)


 エルネストが、中央広場で膝をついたまま理解した。


 鋼牙獣が——座り込んだ。


 牙を収め、目の光から殺意が消え、ただの大きな獣に戻っていく。角甲獣が角を下げ、地面に額をつけた。黒鱗蟲は地面の亀裂の中に潜り込み、二度と出てこなかった。


「……嘘だろ」


 グスタフが城壁の上から呆然と見下ろした。


 ついさっきまで壁を破壊し、人を殺そうとしていた魔獣たちが——眠るように穏やかな姿に変わっている。荒野全体が、戦場から牧場に変わったような光景だ。


「浄化……されたのか……?」


「狂暴化因子の完了だ。結界の循環因果が、魔獣の体内に残存していた千年前の未完了魔力を解消した。——もう暴れない」


 エルネストの声は力なく掠れていたが、言語学者としての解説だけは正確だった。


「先生ッ!」


 ティアが駆け寄ってきた。エルネストの体を支え、額の汗と鼻血を袖で拭う。


「動かないでください……十六基同時同期の負荷が——」


「大丈夫だ。頭は痛いが、死にはしない。E判定は出力が低い分、暴走しても致命傷にならない。——これが、弱い魔力の利点だ」


 エルネストは苦笑した。


     * * *


 朝の光が強まるにつれて、結界の姿がはっきりと見えるようになった。


 十六基の碑石を頂点とする十六角形の光の壁が、灰ノ原の街と周囲の森の一部を覆っている。光はもう激しく輝いてはいない。穏やかに、呼吸をするように明滅している。碑石の循環因果が、静かに永遠のサイクルを刻んでいる。


「あれが……永遠の結界」


 ライナーが、城壁に背を預けて見上げた。左腕一本で戦い続けた右腕は、まだ痺れたままだ。だが、その顔には達成の光がある。


「先生の言葉が、やっぱ一番強えな」


 隣でクララが泣いていた。声を出さずに、ただ涙を流していた。彼女の声帯は限界を超えていた。もう声が出ない。だが——それでいいのだ。戦いは終わった。


「テオ!」


 ティアが意識を失ったままのテオドールに駆け寄った。魔力枯渇で倒れてから数時間。命に別状はない。


 テオドールの傍らには、自警団の若い団員たちが寄り添うように座っていた。彼が命を削って維持した防壁は崩れたが、あの壁が稼いだ時間が——結界起動までの命綱だった。


 テオドールが薄目を開けた。


「……壁は……」


「壁はもう要らないよ、テオ」


 クララが嗄れた声で、小さく笑った。


「先生が、もっと大きい壁を作ったから」


 テオドールはぼんやりと空を見上げ、十六角形の光の結界を見た。そして——安心したように、再び目を閉じた。


     * * *


 結界の外側では、鎮語官の残党が数人、森の中に退却していた。


 ディルクが城壁の上から彼らの背中を睨んでいた。


「追うか」


「追わなくていい」


 エルネストが広場の石畳に座り込んだまま答えた。


「結界の中に入れない以上、彼らにできることはもうない。灰ノ原は守られた」


「甘いな」


「甘くて結構だ。僕は言語学者であって、軍人じゃない」


 ディルクは鼻を鳴らしたが、それ以上は何も言わなかった。


 グスタフが城壁から降りてきた。顔中が煤と汗と血で汚れている。だが、その目は晴れていた。


「先生!」


 グスタフがエルネストの前に立ち——深々と、頭を下げた。


「……先生。この街を守ってくれた。百年間、壊れ続けていた結界を……二十七秒で、永遠に直してくれた」


「二十七秒じゃない」


 エルネストは首を振った。


「六日間の準備と、一晩の防衛戦と、君たち全員の力が合わさった結果だ。僕一人では碑文を解読することすらできなかった」


 グスタフは顔を上げ、自警団を振り返った。


「聞いたか! 先生のお言葉だ! 全員の力だとよ!」


「「「おおォォォッ!」」」


 自警団の生き残りたちが、杖を天に掲げて歓声を上げた。


 声が枯れている者も、杖が折れている者も、腕が動かない者もいた。だが全員が笑っていた。


 長老ニナが、誰かに支えられながらエルネストの前に立った。白濁した目が、光の結界の方角を向いている。


「見えぬが——聴こえるよ。碑石がな。千年ぶりに、正しい文法で歌っておる」


 長老は嗄れた声で笑った。


「わしが『春の風を留める歌』を歌い継いできた意味が、今日はっきりした。あの歌の文法を、お主が碑石に返してくれた。——ありがとうよ、言語学者」


 エルネストは何も言えなかった。ただ、頭を下げた。


 風が吹いた。


 結界を通り抜けた春の風が、灰ノ原の街を吹き渡る。灰色の塵を巻き上げ、空の彼方へ運んでいく。


 風の中に、かすかに口笛の旋律が混じっていた。


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