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魔法が全く使えない「言語学者」、異世界の古代語を解読したら全ての呪文の"誤訳"に気づいてしまった  作者: なは
第5章:地下の翻訳教室

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前夜再び

 脱走の前夜。


 地下教室に全員が集まっていた。


 十四人。エルネスト、ティア、レオンハルト。そしてライナー、クララ、テオの三人と、後から加わった八人の生徒たち。ディルクだけが、この場にいない。


 全員の顔に、緊張と覚悟が同居している。


「明日の消灯後、ここに集合する。荷物は着替えと食料を一日分だけ。杖は必ず持て。南門外にレオンハルトの手配した馬車が二台。それに分乗して灰ノ原に向かう」


 エルネストが最終確認を淡々と行った。


「移動中は詠唱を禁止する。魔力の放出は探知される可能性がある。追手が来た場合に限り、レオンハルトが殿を務める」


「追手が来た場合の交戦規則は?」


 レオンハルトが問うた。


「殺傷は禁止。足止めだけでいい。相手は学院の教官か鎮語官——どちらも本来は味方であるべき人間だ。殺すべき敵ではない」


「了解」


「明日になったら、もう——学院には戻れないんですよね」


 後発組の一人が、かすれた声で言った。


 沈黙。


「その通りだ」


 エルネストの声は静かだった。


「学院を出れば、君たちは『脱走者』だ。経歴に傷がつく。家族にも迷惑がかかるかもしれない。だから——今ならまだ、残る選択ができる。誰も責めない」


 誰も動かなかった。


「……先生」


 テオが挙手した。


「僕、質問があります」


「何だ」


「灰ノ原に着いたら、教室は続けるんですか?」


 エルネストは少し驚いたように、テオを見た。


「続ける。場所が変わるだけだ。正しい古代語の文法を教えること——それが僕の仕事だ。学院の中でも外でも、変わらない」


 テオは満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、行きます。教室があるところに行きます」


 クララも、ライナーも、後発の八人も——全員が頷いた。


     * * *


 最終確認が終わり、全員が解散した後。


 地下教室に残ったのは、エルネストとティアの二人だけだった。


「この前を思い出しますね」


 ティアが壁にもたれかかりながら言った。


「この前?」


「武闘祭の前夜。あの時も、旧練習場で二人きりで話しました。私が転生者のことを見抜いた夜」


「ああ。……そうだったな」


「あの時、エルネストは言いましたよね。『前世の知識がなかったら』って。言いかけて、止めた」


「覚えているのか」


「全部覚えています。あの夜から——ずっと」


 ティアはエルネストの横に座った。肩が触れるか触れないかの距離。


「また、全部を捨てて新しい場所に行くんですね。学院を出て、辺境に。でも今回は——」


「今回は?」


「一人じゃないですよ」


 エルネストは天井を見上げた。乾いた石造りの天井。かつて水が満ちていた地下貯水槽の、枯れた底。


 ここが教室になった。ここで弟子たちが育った。ここで——前世で叶わなかった夢が実現した。


「ティア」


「はい」


「ありがとう」


「感謝は灰ノ原に着いてからにしてください」


「……ああ。そうだな」


 二人は地下教室を出た。


 螺旋階段を上り、錆びた鉄扉を押し開ける。夜空が広がっていた。


 星が——滲んでいた。


 以前よりもはっきりと。複数の星座で、古代文字の輪郭が崩れ、意味が解体されている。


「前よりひどくなっている」


「ええ。……世界の文法が、壊れ始めている」


 エルネストは封印碑銘録の重みを外套越しに感じながら、滲む星空を見上げた。


「急がなければ」


 明日——新しい旅が始まる。


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