第2章:サンプルログを読む
第2章:サンプルログを読む
青年がカップに、口をつけた瞬間、どこかで“古い歯車”が回るような感触があった。
直接、何かが動いたわけではない。だが、彼の足元の床材が音もなく一段沈み、椅子の脚が、カチリと音を立てたように感じた。
「これは……なんだろう」
目の前にあるカウンターの中央、うす茶色の布。
それは置かれているというより、「この店にとって当然そこにある」とでもいうように、自然に存在していた。
彼は恐る恐る、指を伸ばした。
が、触れる前に、店主がそっとカップの横に一冊の薄い冊子を差し出した。
「ログ……?」
表紙には、何も書かれていない。だが、ページをめくるとそこには明確な語りの記録があった。
《記録:カノン》
「わたしは、ここで語らなかった。だから、ここに残った。」
青年は読みながら、次第に“ここに居ない誰か”の声を聞いたような錯覚を覚えた。
文字の隙間から、誰かのため息や、“言いかけてやめたセリフ”が漏れ出している気がした。
ページを一枚めくるごとに、店の奥に椅子の背もたれが、一つずつ現れていく。
最初は空気の層のように曖昧だったそれが、気づけば「誰かが座っていそうな気配」を帯びていた。
青年はカウンターの右端へと視線を向ける。
しかし、そこにはやはりうす茶色の布が静かに乗っているだけだった。
「カノン……彼女は、語らなかったのに、残ってるのか?」
声に出したわけではない。
でもその問いが、店内の照明のひとつを――カウンター上の小さなランプを――淡く灯らせた。
そのときから、空間が、構造を持ちはじめる。
奥の棚に空のコーヒーカップが数点並び始めた
壁の片隅に、誰かのコートらしき影が映る
椅子が合計5脚に増え、その5つ目には“誰も座っていない”。
青年はログを閉じ、ふと深呼吸をした。
彼の中に、誰かの物語が入ってきて、何かを“押し返す”ような感覚があった。
「語る気はないけど、読んだら……何かが始まりそうな気がするんだよな」
外の風はまだ抜けていた。
だが、店内の空気には、“囲われた感じ”がわずかに芽生え始めていた。




