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第3章 男の稼ぎは男のもの



「離婚って……」


翔太は目を瞬かせた。


「母さん、何言ってんの?」


「聞こえなかった?」


「いや、なんで俺が離婚されるんだよ」


本気で理解できていない。


私は呆れながら答えた。


「あなたが結衣さんにしてきたことは、経済的な虐待だと言われても仕方がないことよ」


「はぁ?」


「生活費を負担せず、自分だけ好きにお金を使う。家事も全部押し付ける。お金の話をしたら怒鳴る」


「あはは!」


突然、翔太が笑った。


「何がおかしいの?」


「母さんさあ」


腹を抱えるようにして笑う。


「最近ワイドショー見過ぎなんじゃない?」


「……何ですって?」


「経済的DVとか、ネットで覚えた言葉使いたいだけだろ」


私は絶句した。


「俺は結衣の金を取り上げてないじゃん」


「そういう問題じゃ――」


「むしろ自由に使わせてるだろ?」


「住宅ローンと生活費で使い切らせておいて、何が自由なの!」


「だから俺は自分の物は自分で買ってるって!」


話が通じない。

翔太は苛立ったように髪を掻いた。


「大体な、世の中の男なんてもっと悲惨なんだよ」


「何の話?」


「うちの佐々木先輩」


唐突な名前が出てきた。


「毎月嫁から三万円しか小遣いもらってないんだぜ? 昼飯代までそこから出してんの」


翔太は鼻で笑った。


「自分で働いて稼いだ金なのにだぜ?」


嫌な予感しかしなかった。


「それに比べて俺は、自分の給料を自分で管理してる。人に頼らず全部自分でやってる。どっちが自立してるか分かるだろ?」


私は数秒考えた。

けれど何度考えても、翔太の言う「自立」の意味が分からなかった。


「家賃も食費も妻持ちの男が?」


「そこは夫婦なんだからいいんだよ」


「あなたさっき、夫婦でも自分の給料は自分のものだと言ったでしょう」


「揚げ足取るなよ!」


結衣さんが静かに口を開いた。


「だったら」


翔太が振り返る。


「その佐々木先輩に聞いてみれば?」


「何を?」


「お給料を家計に入れているかどうか」


「は?」


「全部自分で使って、その上で奥さんから三万円をもらっているんですか?」


一瞬、翔太が黙った。

やがて、鼻で笑った。


「そんなわけないだろ」


「なら、どういう仕組みなんでしょうね」


「……」


「聞いてみればいいじゃないですか」


翔太の顔に、再び自信が戻った。


「ああ、いいぜ」


ポケットからスマートフォンを取り出す。


「ちょうど休みだろうし」


画面を操作しながら、わざわざ文章を読み上げ始めた。


「『先輩、給料って全部奥さんに渡してます? 俺は男の稼ぎは男のものだと思うんですけど』……っと」


送信。

そして私たちにスマートフォンを見せつける。


「これでハッキリするから」


「何が?」


「俺が普通だってこと」


翔太はソファにふんぞり返った。


「母さんも結衣も、ネットの変な話に影響されすぎなんだよ」


私は何も言わなかった。

結衣さんも黙っていた。

カチ、カチ、と。

壁掛け時計の秒針だけが響いた。


数分後。

ピコン。

通知音が鳴った。


「来た!」


翔太が飛びつくようにスマートフォンを取った。


「ほらな」


ニヤニヤしながら画面を見る。


「何て書いてあるか読んでやるよ。『当たり前――』」


声が止まった。


「……」


「翔太?」


返事がない。


「どうしたの?」


「……いや」


翔太の顔から血の気が引いていく。


「なんだよ、これ……」


私は立ち上がった。


「見せなさい」


「いや、これは……」


後ろへ隠そうとする。


「さっきまで見せびらかしてたでしょう」


私はスマートフォンを取った。

そこには、佐々木という人物からの返信が二件届いていた。


『当たり前だろ。給料は家計に入れて、そこから小遣い三万もらってるよ』


そしてもう一件。


『お前、まさか奥さんに生活費渡してないのか? それ普通にヤバいぞ。三年ならなおさら。奥さん大丈夫か?』


私は画面から顔を上げた。


「翔太」


「……」


「読める?」


「いや……先輩は恐妻家だから」


「まだ言うの?」


「だって三万円だぞ!?」


「その三万円の前に、家族の生活費を負担しているでしょう!」


翔太は言葉を失った。

私が続ける。


「あなたが馬鹿にしていた佐々木さんは、家族に必要なお金をまず出して、その残りを夫婦で管理しているの」


「……」


「あなたは家族に一円も出さず、自分だけ好き放題使っていた」


「違う……」


「何が違うの?」


「俺は……」


翔太の唇が震える。


「俺の方が、自立して……」


最後まで言えなかった。


その時。

椅子を引く音がした。

結衣さんが立ち上がった。


「義母さん」


「結衣さん?」


彼女の表情が変わっていた。

疲労は残っている。

けれど。

目だけは、もう虚ろではなかった。


「ありがとうございます」


「え?」


「私、ずっと……」


一度、目を閉じた。


「私がおかしいのかもしれないと思っていました」


翔太が怯えたように妻を見る。


「結衣?」


「毎日言われ続けていると、分からなくなるんですね」


その声は静かだった。


「私が金に細かいのかもしれない。私の稼ぎが多いから仕方ないのかもしれない。私がもっと家事を効率よくすればいいのかもしれないって」


そして翔太を見た。


「でも違った」


「お、おい」


「あなたがおかしかったんだね」


その言葉に、翔太の顔が歪んだ。


「結衣!」


「怒鳴らないで」


「俺は――」


「もう、怖くないから」


翔太が黙った。

結衣さんは、今度こそ真正面から夫を見る。


「翔太」


「……何だよ」


「選んで」


「は?」


「離婚するか」


ひと呼吸置く。


「夫として、家計と家事をゼロからやり直すか」


「何で俺が――」


「それ以外はありません」


有無を言わせない声だった。


「今後は給料日に、決めた額を生活口座へ入れる。家事を分担する。怒鳴らない。新しい趣味の買い物は、自分のお小遣いから」


「俺の給料なのに!?」


「嫌なら離婚」


「……!」


「これまで私一人で負担してきた生活費についても、記録は全部残しています」


翔太の顔が青くなった。


「その上で専門家にも相談します」


「待てよ」


「どちらにしますか?」


完全に立場が逆転していた。

翔太は唇を噛む。

そして。

追い詰められた人間らしく、突然別の方向へ逃げた。


「じゃあ!」


床の空箱を指差した。


「捨てたコレクションはどうするんだよ!」


誰も答えない。

翔太は叫んだ。


「十年後には一千万になるんだからな!」


私は額を押さえた。

まだ終わらないらしい。

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