EP 12
化学と家事の錬金術
ギチチチチッ!!
老人の頭上に、死甲虫の巨大な角が断頭台の如く振り下ろされる。
恐怖にすくみ上がり、老人が目を閉じた——その刹那。
「——させないッ!!」
大地を蹴り、老人の前に滑り込んだ俺は、斜めに構えたチタン合金棒でその一撃を迎え撃った。
ガキィィィィンッ!!
激しい金属音が夜気を震わせる。
まともに受け止めれば、俺の細腕など一瞬で粉砕されていただろう。だが、俺は棒の角度を絶妙にずらし、宝蔵院流の『引き』の技術で、角の軌道を強引に横へと逸らした。
ズゴォォォンッ! という地響きと共に、巨大な角が老人のすぐ脇の地面に深く突き刺さる。
「おじいさん、今のうちに下がって!」
「あ、赤木……くん……! すまない……っ!」
腰を抜かした老人を、駆けつけた他の村人たちが引きずって後退する。
「大地!? 馬鹿な真似はやめて! あいつらの装甲は私の炎すら通さないのよ!」
遠くからダイヤの悲痛な叫び声が響く。
確かに、至近距離で見る死甲虫の装甲は異常だった。黒光りする分厚い甲殻。刃物も魔法の炎も弾き返す、完全なる防御力。
だが、その表面には微かな白い筋と、独特のヌメリがあった。
俺の脳内で、『毒物劇物取扱責任者』としての化学知識と、『日本農業技術検定』の土壌分析の記憶がフル回転する。
(……あのヌメリと光沢。それに、炎魔法を弾く異常な耐熱性。ただの金属じゃない。おそらく、周囲の鉱物と自身の分泌液を混ぜ合わせた『超高密度のカルシウム合金』、あるいは『特殊なケイ酸塩』の類だ)
農機具にこびりつく頑固な泥汚れや、水回りのカチカチに固まった水垢(カルシウム結晶)。
それらを落とすための、家事と清掃における『絶対の法則』がある。
——アルカリ性の汚れ(カルシウム)は、酸性で落とす。
「ダイヤ!!」
俺は死甲虫の追撃をチタン棒の足さばきで躱しながら、ダイヤに向かって叫んだ。
「お前の『魔導バズーカ』の弾薬筒を一つ、こっちに投げろ!」
「えっ!? ば、弾薬筒!? でもあいつらには爆発は効かないわよ!」
「いいから寄越せ! 俺が『調理』する!!」
大地の気迫に圧され、ダイヤが魔法ポーチから円筒形の弾薬を放り投げた。
俺はそれを見事にキャッチすると、同時にエプロンのポケットに『金貨一枚』をねじ込んだ。
『ユニークスキル【家庭科】。対価を確認。要求物を召喚します』
俺が召喚したのは、食材ではない。
業務用サイズの『超高濃度・酸性トイレクリーナー(塩酸ベース)』。さらに『重曹』と『クエン酸』、そして掃除用の粘度増粘ジェルだ。
「さぁ、化学と家事の特別授業だ」
俺は死甲虫の攻撃を紙一重でかわしながら、手元で恐るべき速度の『錬金術』を開始した。
弾薬筒の蓋をこじ開け、中の『魔導火薬』をバケツにぶちまける。
そこに、召喚した酸性クリーナーと増粘ジェルをドバドバと注ぎ込み、最後に重曹とクエン酸を投入。
シュワァァァァァッ!!
酸とアルカリが急激に反応し、魔導火薬を巻き込みながら、猛烈な勢いで泡立ち始めた。
ただの爆弾ではない。これは、触れたものを溶かす超強力な酸性ジェルを、爆発の威力で広範囲に撒き散らす『特製・飛散式クレンザー爆弾』だ。
「ダイヤ!! こいつを奴らの群れのど真ん中に撃ち込め!」
俺は泡立つバケツを、ダイヤに向かって思い切り蹴り飛ばした。
「ええっ!? な、何が何だか分からないけど……信じるわ!!」
ダイヤは迷わなかった。空中に浮いたバケツ目掛け、彼女の魔導式拳銃が火を噴く。
ドォォォォォォンッ!!!
群れの中心でバケツが弾け飛んだ。
だが、それはいつものような灼熱の炎ではない。緑色に発光する『酸性の粘着泡』が、周囲の死甲虫十数匹の巨体にべっとりと降り注いだのだ。
ギ……ギチィィ!?
ギギギギギギャアァァァァァァッ!!!
直後、夜の村に死甲虫たちの絶叫が響き渡った。
絶対無敵を誇っていた黒光りする複合装甲が、まるで熱湯をかけられた角砂糖のように、シュワシュワと白い煙を上げてドロドロに溶け始めたのだ。
「う、嘘……!?」
キャルルが目を見開く。
「炎も闘気も弾き返したあの装甲が、ただの『泡』で溶けていくなんて……!」
「カルシウムベースの装甲なら、高濃度の酸と熱反応で脆くなる。トイレの尿石落としや、トラクターの頑固な汚れ落としと同じ原理だ。……いくら硬かろうが、化学反応からは逃げられない」
俺はエプロンについた泡を払いながら、チタン合金棒を横に振った。
ドロドロに装甲が溶け落ちた死甲虫たちは、もはや無敵の城塞ではない。
その中身は、白く柔らかい、ひどく無防備で脆弱な肉の塊(虫けら)だった。
「さぁ、お前ら」
俺は、唖然として立ち尽くすキャルル、ダイヤ、ルナ、リーザに向かってニヤリと笑った。
「一番厄介な『焦げ付き(装甲)』は落としておいたぞ。あとは……得意だろ?」
俺の言葉に、四人のヒロインたちの顔に、一気に獰猛な笑みが広がった。
ハンデは消えた。村を吹き飛ばすような大技を使わなくとも、装甲の剥がれたあいつらなら、通常の攻撃で十分に狩れる。
「……ふふっ。愛しのオカンに、そこまでお膳立てされちゃあねぇ!」
キャルルがダブルトンファーを構え、ダイヤが天魔竜聖剣を抜く。
絶望の淵にあったポポロ村の防衛戦は、一人の農業高校生の『家事スキル』によって、完全なる反撃(蹂躙)のフェーズへと移行したのだった。




