第190話 聖女様と浴衣
「お時間掛かってますけど、大丈夫ですか?」
「待たせて悪い。ワックスが見当たらなくて。もう終わるよ」
夏祭り当日。浴衣に着替える為に余裕を持って準備を始めたのだが、庵は予想外に手間取っていた。
堅い家柄もあって和装は何度かしているので、浴衣の着付けには困らなかった。浴衣は無地でカーキに近い深緑で、帯は白を選んだ。
それは良いものの、浴衣以外の身支度に時間がかかっていたのだ。ワックスを探すだけならまだしも、髪型を決めかねてやり直したりしたせいで、女子の明澄よりも遅くなってしまった。
先に着付けを終えた明澄が心配して、洗面所にひょこっと顔を出した。
「おおー、似合ってるな。綺麗だ」
髪をいじりながら鏡越しに明澄と目を合わせる。
鏡に映る背後の明澄は、当然だが浴衣姿だ。
宗一郎の実家では、和装をしていたらしい詩阿が助言を送ったのもあって、恐ろしいまでに美しく飾られている。
結った髪は透け感のある藤色の花をあしらった簪でまとめていて、花から点々と連なる銀の玉がしゃらんと揺れると、より雅だった。
明澄の浴衣は紺地にくすんだミントグリーンの百合の花をあしらった、ややダークなもの。落ち着いた配色にしたのは、彼女の銀髪を映えさせる為だろう。
少女らしさと大人びた優雅さを兼ね備えた浴衣は、どこまでも清楚に仕立てられている。
また紺色の浴衣の帯はベージュや白系で合わせることが多いのだが、明澄の髪色と被ると思ってか、素朴なデザインの臙脂色。帯留めは金魚を泳がせたとんぼ玉で、蒸し暑い夏の夜に清涼感を与えてくれそうだった。
「詩阿さんと二時間くらい悩んじゃいましたからね」
「あれな。母さんが秘密にするからって、ゲーセンに行ってたけど全然迎えも連絡もなくて変に焦ったっけな」
「その節はご迷惑をおかけしました」
恥ずかしげに身縮みする明澄が頭をかくんと下げる。
先日、祖父母の店から引き上げた後、市外の駅型モールへ買い物に出掛けたのだが、詩阿と明澄が呉服店に籠るように浴衣を選んでいた。
その時間を潰しに東とゲームセンターに赴き、遊べるものは遊んだというのに明澄たちから一向に音沙汰がなく、最終的にはプリクラを撮るかと血迷いかけたりもした思い出だ。
「ははは。安くもなければ浴衣なんて何着も買うものでもないしな。全然、迷惑とかじゃないよ」
「庵くんはほんと心が広いですよねえ」
女性の買い物に付き合う時は男の度量の試され時であり、待てる男になれと東から教えられている。
お洒落に金や時間をかける事には理解出来るし、明澄や詩阿のような見目麗しい女性が完成する為には必須なのだと、庵はきちんと心得ていた。
明澄がお洒落をするのは、彼氏である自分の前で可愛くいたい、綺麗でありたいと思っての事もあるだろうから、それを嬉しいと思う方が先に来るのだ。
「彼女のお洒落なんだし、いくらでも待てる。その分、可愛い明澄が見れる訳だからなあ。遠足前の夜とか、蕾が開くのを待つ楽しみなんかと同じだろうな」
「まーた、そういう事を……」
さらりとなんでもないように言うと、明澄は目を逸らしながら恥じらった。
これでも彼のたらし具合には慣れた方なのだが、天然とは恐ろしいものだ。
「さて、こんなもんかな。どうだ? 今日はセンターパートにしてみた」
散々弄っていた髪も思うように決まった。悩み抜いた結果、センター分けのマッシュウルフをニュアンスパーマで整えた髪型に着地した。
振り返った庵は人差し指で自分の髪を示してみたが、彼女はぽかんと口を半開きにし、心の臓を掴まれた、もしくは射抜かれたように固まっていた。
庵は怪訝に「明澄?」と呼びかければ、ぱっと静止画から映像に切り替わるように、明澄は動きを取り戻す。
「あ、ごめんなさい。あまりにも似合っていて。いつもは前髪重めなアンニュイ系にしてますけど、おでこ出しも良いですねえ。甘めのイケメンさんでばっちり決まってますよ。浴衣ともとてもあっていますし、これは美男子と言うべきでしょうか」
「おぉ、褒めすぎ褒めすぎ。照れるな」
明澄の舌が滑る滑る。歴戦の配信者と言うべきか、饒舌な語りを披露しては庵がたじろぐ程の感想を並べた。
頬をかいて照れる庵は、心の中で小さなガッツポーズ。アップバングとかツイストパーマとかフェザーとか色々悩んだのだが、これに決めて良かったと、彼の口元に角度が付いた。
「庵、明澄ちゃん。いちゃいちゃしてるのもいいけど、早くしないと終わっちゃうわよ」
庵の様子を見に行った明澄が帰ってこないものだから、今度は詩阿が洗面所に顔を出してくる。
「まだ六時前だろ」
「このまま三時間ぐらいやりそうな雰囲気だったけどねえ。ね、明澄ちゃん?」
「わ、私に言われましても……」
同意を求められても明澄も原因の一人だ。
三時間は大袈裟だが、三十分くらいは感想とか褒め合ったりして消費してしまってもおかしくない。
しっかりと思い当たる節があり、困った明澄は彼に目を向けた。
「まぁ、明澄がすんごい褒めちぎってきたからなあ。三時間コースも有り得たかもしれん」
「ちょ、庵くん!?」
「仕方ない。そう、三時間だって仕方ない」
「もー! やめてくださいっ」
助け舟を出さず、フッと笑った庵が肩を竦めて茶化すと、彼女はその口を封じようとバツ印を作るように重ねた手のひらで襲いかかってくる。
回避し損ねた庵は、口元を手で抑えられて半分仰け反ったが、必死に押さえつける明澄の手首を優しく掴んで引き離した。
これ以上暴れるとセットした髪型とか、明澄の化粧などに影響が出るので「分かった、分かった。もう言わないから」と、宥めるも頬はやや膨れたままだ。
一部始終を見せつけられた詩阿が、こほんと咳払いすると、明澄がかあーっと赤面してようやく収まった。
そして洗面所を出る際に、庵は肘でどつかれた。





