第189話 バイトの終わりと夏祭りの約束
「本日は大変勉強になりました」
夕方前になり客足も落ち着いた頃、その店の軒先。臨時バイトも終わり、着替えた明澄が宗一郎たちにぺこっと頭を下げていた。
「そんなそんな。明澄ちゃんが手伝ってくれて助かったわ。今すぐにでも雇いたいくらい。庵もありがとうね」
「昔ほど手伝ってやれなくて悪いな」
「気にしないでいいの。ブランクがあるのに完璧だったら、私たちの立つ瀬がないわ。それに手伝って欲しかったんじゃなくて、顔を見たかっただけですもの。また二人でいらっしゃい」
「また来年か年末あたりに帰ってくるよ」
一年半ほど会ってなかった孫に会えただけで嬉しいのだろう。
にこにこと柔和に笑っている鈴音に、庵は片手を上げて返事をして引き上げようとするが、大事な話があったようで鈴音が静穂に顔を向けながら続ける。
「来年はともかく、再来年はちゃんと帰ってくるのよ。静穂ちゃんの結婚の話があるから」
「そうか静穂さんは再来年なのか」
「うんにゃ。わかんない。卒業後かなぁってうちの人と話してるけど、今のところ予定も予定。向こうも仕事あるしねぇ」
静穂の婚約者に会った事はないが、静穂には世話になっているし、そういった場には親戚が皆呼びつけられるので、庵も顔を出すように言われるはずだ。
ピアノを弾くように頼まれたり、余興などに駆り出されそうで気が乗らないのだが、鈴音もそんな庵を見越して今の時点で伝えてきたのだろう。
静穂の為なので欠席という選択肢はないので、その時は引き受けるしかあるまい。一番の問題は明澄を連れて行くかどうかという点だ。
「だから結婚はあくまで予定なの。でも、結婚式にはちゃんと二人とも呼んであげるからね」
「私も良いんですか?」
「そりゃあ、庵は身内だから呼ぶしね。それにうちは古い人たちが多いから、若い独り身は結婚の予定とか聞かれるんだよね。庵が一人で来たら、東さんと詩阿さんは凄い人たちだし、見合いに自分の娘を勧めようとしてくる人もいると思う。だから明澄ちゃんが魔除けとして付いてきてあげた方がいいと思うんだよねー」
「……な、なるほど。それは私が居た方がいいかもしれませんね」
明澄は納得して少し引き気味で顎を引くが、令和にしては時代錯誤な環境だったからだろう。
そうでなければ力強く静穂の手を握り返したに違いない。
明澄でさえ引くのだから、庵は明澄を親戚が集まる場所には連れて行きたくないのだが、将来の事を思えば覚悟はしておいた方がいいだろう。
「というか親戚みんな来るし、もうそこで婚約してますー、くらい言っちゃっていいんじゃない? それに庵は稼いでるんでしょ? 来年十八だし、なんなら結婚は庵たちの方が早いかもしれないしねぇ?」
「え、えっ、い、いやっ……そ、それは……!」
静穂の明け透けな口ぶりに明らさまに動揺した明澄が、バグったように庵と宗一郎たちへ交互に顔を振っていた。
将来的には無論そのつもりなのだが、今はまだ早いし、かといって否定するのも失礼だ。答えようによっては明澄を悲しませるかもしれないし、どう答えたものかと迷いから庵の表情が固まった。
ただ、年長者の口と手が早かった。ぺし、と静穂の二の腕にチョップが入る。
「こら静穂ちゃん。二人はまだ十代なんだからね。やりたい事も考える事も沢山あるのよ。まあ、うちはみーんな早い家系だから、そのうちそのうち。身内の幸は楽しみにとっておくものよ」
「なるほど……! 勉強になります」
「だからね、二人とも色々経験して大人になるのよ。今しか出来ないこといっぱいあるし、あんまり大人を気にする必要はないから。ねぇ? あなた」
「然り。季節の移ろいのように人生の変化も緩やかかつ多彩なれば、いずれは傑作、珠玉となるもの。静穂もそうは思わないかね」
「え、どういうこと? 庵、解説して」
「焦る必要も、焦らせる必要もないって事だと思う」
妙な言い回しで宗一郎が静穂に視線を送ると、彼女から横流しでパスされる。
庵は何となくで解釈しつつ「なあ? 祖父さん」と目を向ければ、後ろ手を組んだ宗一郎が明後日を見つめながら答えた。
「概ねそうだ。うちの親父が最近、そんな風なことを言っていてね。私も若者への接し方には思うところありなのだよ」
「あー、そっか。ひぃおじーちゃんブチ切れてたしね」
「そういや聞き損ねたなその話。で、曽祖父さんがキレたって何があったんだ?」
「それね、実は朝……おっと、」
詩阿さんたちじゃん! と、静穂が庵たちの背後に向けて手を振る。
結局また曽祖父の事を聞きそびれてしまったが、そんな事より両親が来るとは聞いておらず「ええ、母さんたち?」と庵は少々間抜けな声で振り返った。
「静穂さん、久しぶり。庵も明澄さんもお疲れ様。二人とも疲れてるだろうからね、迎えに来た」
「わざわざいいのに」
「今日は外食にしようと思ってねえ。それに夏祭りも近いし、明澄ちゃんに必要なものがあれば、ついでに今から揃えに行くつもりだったから気にしなくていいわ。明澄ちゃんはどうする? 浴衣とかレンタルもあるし見に行くかしら?」
「いいんですか! 行きたいです」
週末に町内の夏祭りがある。先日から明澄とどうしようかと話していたのを詩阿も聞いていたのか気を利かせてくれたらしい。
詩阿はもう実の娘かのように明澄に接すしているが、彼女もすっかり遠慮がなくなっていて、庵の方が置いてけぼり気味。
そんな彼は「明澄ちゃんの浴衣良かったねぇ」と、静穂に肘で突かれる。
「それじゃ、お母さん、お父さん。庵たちは引き取るわね。忙しいでしょうに、色々ありがとう」
「ふふふ、いいのいいの。いっぱい手伝ってくれたから」
「こちらが呼んだからね。ただ、お前たちはもう少し、庵に関わってやりなさい。高校生の子供が一年半も帰らない家庭は普通ではないだろう」
「そうね。でも、そこは東さんと話したから心配しないで」
「すみません、私が至らないばかりに」
鈴音は仏のように笑っていたが、宗一郎が二人に厳しく指摘したのは彼も親だからなのだろう。
耳が痛い話に東と詩阿は身を縮めるように恥じている。特に東は、妻の父親に良い家庭を築けていないと思われたのだから、申し訳なくて仕方がなさそうだった。
「祖父さんたちも気にしなくていいのになあ」
話し込む親たちを少し離れたベンチから眺めながら真面目な人らだ、と庵は思う。実家に帰らなかったのは庵の意思によるものなので、叱られている東たちに悪い気がするが、庵が言っても収まるものでもないので口は挟まないでおいた。
「それでいいと思わないから大人なんだと思いますよ。……それより、庵くんは夏祭りで浴衣を着ますか?」
「どうしようかな。着ないかも」
「えー、私は庵くんの浴衣を見たいんですけれど」
夏祭りで浴衣を着るか否か尋ねられた庵は腕組みをして首を捻った。
そうすると、明澄が大層残念そうにするので彼は悩ましげに顔を顰め、翻意しそうになる。
(いざって時に動きづらいからな……)
浴衣を着るのが嫌とかではなく、夏祭りの人混みや変な輩に絡まれるかもしれない事を考えれば動きやすい方が良いと思っての事だ。
明澄は浴衣を着たいようだから好きに着てもらいたいが、庵はどちらでも構わないので男の自分が備えておきたいと考えていた。
「私も着ますから、庵くんのも見たいです。お願い、聞いてくれませんか?」
恋人には弱くて甘い。
きゅるる、と潤んだ瞳で彼女に可愛らしく見つめられてしまえば、簡単に承諾してしまうのが男の性だ。明澄は聖女様ときどき小悪魔なのである。
「……う。まぁ、明澄がそんなに言うなら」
「やった……!」
不承不承、庵が折れると明澄は小さくガッツポーズして喜んだ。
そんなに見たかったのだろうか。ただ、願われるのは魅力の裏返しではあるし、悪い気はしなかった。
「なんか派手に喜ばれてるなぁ」
「だって、庵くんの浴衣ですよ。絶対良いに決まってます。今日の制服も良かったですし、これは今後庵くんに色々着せないといけないと思いまして」
「俺は着せ替え人形じゃないんだぞ」
「たまにコスプレさせてくる人に言われたくないです」
む、と明澄がほんのり唇を尖らせる。
コスプレを庵からお願いする事がない訳ではないが、始まりは明澄からだし、定期的に彼女が提供してくれる。なんなら可愛らしい衣装を着られるので、ノリノリな方が多い。
近くに家族もいるし、いくら資料のためいえど彼女にコスプレをしてもらっていると知られるのは恥ずかしい。狼狽えるように反論しようとするが騒ぐとバレるので、結局は明澄の企みを受け入れざるを得なかった。
「い、いや、俺はさせてないだろ。どっちかつうと、明澄が……はいはい。着るよ、着ます」
「約束、ですからね」
「へい」
浴衣を着るだけのはずが変な展開になった、とがくりと項垂れる庵から、しっかり言質を取った明澄は、小指を立てて満足そうに笑った。
次回、夏祭り編です。





