第186話 聖女様と初めてのバイト
「庵くん……?」
店のウェイター服は見慣れていたはずなのに、明澄が着るとどうしてか目が離せなかった。
我を失うように魅入っていた庵に、彼女は不思議そうに首を傾ける。
「あ、ごめん。見惚れてた」
苦笑した庵は正直に告げた。
彼女が纏うウェイター服はシンプルなものだが、それが明澄の良さを引き出していると言ってもいい。
長袖のカッターシャツは特に袖がゆったりとしたシルエットを描き、上に着た黒地のベストエプロンはプランジネックなものの首元の蝶ネクタイと腰のギャザーで引き締まった印象を受けた。
エプロンに合わせる形で七分丈のテーパードパンツはこちらも黒。いつもはタイツを着用しているが、今日は七分丈なので敢えて素足を見せる事で夏らしさを演出している。
全体的にクラシカルにながらも、機能性を高めた現代的な装いとなっていた。
「この服、可愛らしいですよね」
小さく笑う明澄は普段なら長い銀髪を揺らすのだが、飲食店のためそうもいかないから、今日は後ろで編み込んで丸く纏めている。
少女らしい清楚さを残しながらも、大人っぽくなった彼女に見惚れるなというほうが無理があるだろう。
イラストレーターになっていなければ、明澄と一緒にこの店を継ぐのも良かったかもしれない、と庵に思わせるほど彼女のウェイター姿が彼の琴線に触れていた。
「ほーう、少年よ。大志を抱いたか。いや、抱きたくなったか。彼女を」
「セクハラだぞ。あんた」
「へいへい」
にまにまにやにやとした視線をぶつけてきた静穂に呆れた目を向けて対抗すれば、彼女は気を遣ったのか「先行ってるよ〜」と、ひらひら手を振って一階へ退散した。
「すまんな、変な人ばっかで」
「いえ、こういう賑やかなのは嫌いではありませんし。それで、その……」
明澄は自分の装いが庵にどう映っているのか気になったようで、ちらと彼を上目遣いで見やる。
「ウェイター服似合ってるよ。ちょっとびっくりするくらい良い」
「そう……です、か。ふふ、それはよかったです」
語彙力を失いながらも賛辞を送れば、明澄は噛み締めるようなはにかみを浮かべる。
似合うだろうと事前に何となく想像してはいたが、想定を超えてきた。どんな服でも着こなすだけでなくて、怖いくらいに整った明澄の容姿がより良く見せてしまうのだろう。
過去に資料提供としてメイド服や給仕服に身を包んでくれた事があったが、本物を着るとまた違う雰囲気を放つ。このデザインを採用した祖父母に感謝しなければならないだろう。
「でも、庵くんも……すっごくかっこいい、ですよ?」
「そう?」
もじっ、としながら明澄が切り出す。
店の手伝いなので彼も当然、制服姿。
庵は厨房にも入るので、コックシャツとソムリエエプロンに着替えている。全身の色味は明澄のウェイター服と合わせたもの。
また、あまり触らない髪も今日ばかりは無造作にしているのは許されないので、飲食店での業務だから少量で無香料かつドライ系のワックスを使って整えた。
醸し出される庵の風貌は、見事に料理人へと変身していて少年感が薄れ、お兄さんと呼ばれてもおかしくない。
そのテイストの違いが、ギャップとして明澄にも刺さっていたらしい。
「なんていうか、いつもと違う職人さん? みたいな雰囲気がとっても色っぽいというか、艶っぽいというか。ちょっと当てられてしまいそうです……」
庵を見つめる瞳には熱が籠っているかのよう。
頬を染めた明澄は、ふいと目を背けてしまう。直視する事すら躊躇っているようだった。
「そこまで?」
「がっつりです」
「祖父さんや祖母さんに比べたら着られてる感あるけどな」
「そんな事ないですよ。庵くんがお二人をリスペクトしてるからそう感じるのであって、ちゃんと似合ってます。あ、後で写真撮らせて欲しいくらいですし」
「良いけど、俺も撮らせてくれよ? てか、並んで撮ろうか」
「はい。是非」
今後、同じ制服姿で一緒に働くという機会はそうないだろうし、記念に残しておきたい。
どうせ宗一郎や鈴音も家族写真として撮りたがるはずだ。
いつでも見返して楽しみたいと明澄は思ったらしく、笑顔で承諾したくれた。
「あ、客から写真とか求められてもちゃんと断っていいからな」
「大丈夫です。庵くんにしか許しませんので。庵くんも女の子に求められても撮っちゃダメですからね?」
「大丈夫。俺は今までそんな事一回もなかったしな」
「今日は分からないじゃないですか。アルバムで見た中学生の庵くんもかっこいい感じでしたけど、今の庵くんはもっとイケメンさんですので」
明澄が自分を一番好きでいて、また格好良いと思ってくれているのは身に染みているが、見ず知らずの異性から言い寄られるなんて庵は考えもしないのだ。
これでもクラスメイトや同級生など、自分を知っている相手ならまだ有り得るかもしれない、と思えるようにはなってきた。だが、これについては何度明澄と言い合っても当分は決着しないだろう。
故に明澄は楽観視する庵にとても否定的だった。
不満顔で唇を尖らせて、可愛らしく頬を膨らませている。
そして、明澄がそこまで強く心配するのだから、庵側の懸念の増幅具合は推して知るべしだろう。
「……なんつーか、明澄が接客するのやだな」
「それは私もですよ。お客さん……特に女の子に庵くんが笑顔を振り撒いてたら、私は何をするか分かりませんし」
普段は宝石のように輝いている千種色の瞳が鈍く濁り、明澄の浮かべた暗黒微笑が彼の背筋をぞわりと刺激する。
「祖父さんたちのお店だから、怖い事はしないでくれよ?」
「ジョークです。でもずっと嫉妬しちゃうと思います。少しの間でも、好きな人を取られたくないです、もん」
病的なまでの重みを宿していた瞳の色を刹那限りで霧散させた明澄が今度は甘えるように言うと、彼の胸にその額が押し当てられる。
うり、と頭突いて唇を真一文字に絞る明澄に「まぁ、それは俺もだから」と庵はその頭に手を添えた。
見つめ上げる明澄は意を固めたのか、引き締めるように零す。
「……お昼まで修行ですね」
「そうだな。頑張ろう」
「はい。お仕事頑張りましょうね」
ぽんぽんと庵に優しく背中を叩かれた明澄は元気づけられたようで、そうにっこりと微笑む。
次にはもう仕事用の聖女様スマイルへと作り替えていたのは流石だった。
# # #
「そこの店員さーん、注文良いですかー?」
「はい、ただいま伺います!」
人気店だから盛況なのは平時の事だが、より活気に溢れたのは明澄への指名にも近い呼び出しだった。
開店までに庵と静穂が初めての客となり、接客のいろはを短時間で付け焼き刃的にも詰め込んだ甲斐と、その清楚可憐な容姿が相まって、彼女は数時間足らずで看板娘的な立ち位置にまで上り詰めていたのだ。
庵としてはいい顔は出来ないものの、店員を呼ぶのは客側の正当な行為なので、目を瞑っている。
ただ、明らさまな下心を丸出しにした客もいて、そろそろ明澄を奥に引っ込めようかと庵は考え始めた頃だった。
「ねー、連絡先交換してよ」
「申し訳ありません。そちらはご遠慮ください」
若い男性客への接客中、そちらからスマホを向けられ連絡先を尋ねられる。
ナンパや遊びなどのお誘いは普段から断り慣れているのが幸いだっただろう。明澄はマニュアル通り会釈してにべもなく断ると、オーダーだけ取って全く相手にしなかった。
「バイト何時に上がるの? 待ってていい?」
「待っていただいてもお応え出来ませんので、お気を付けてお帰りください」
「全然夜でも迎えに行くよ?」
「いえ、そういう事では……」
面倒くさいのはしつこかったり、話の通じない相手だ。庵や静穂がずっと見ていられる訳でもないので、的確なタイミングでの助け舟を出しづらい。
今度は店内の清掃中に、少々ちゃらけた同世代か少し上の男に言い寄られていた。ナンパのテクニックなのか、明澄の断りに折れる事なく話し掛け続けてやや無理に押し通そうとする。
いつもであれば睨み返して立ち去るとか無視するなりしているのだが、今はバイト中とあって強く出られない。それを相手も分かっていてやっていそうなのが腹立だしくある。
(やっぱこうなるか……)
丁度手が空いたので見かねた庵がフロアに出向こうとするのだが、先に明澄と客の間に割り入った男がいた。
(私に任せたまえ。じじい、動きます)
客席から食器を下げに戻ってきていた宗一郎がそのまま、庵に目配せしつつスマートに出動した。
次回、祖父さん大暴れの巻。孫の彼女に言い寄るとか、許せねぇよなあ?





