第183話 祖父母登場
「庵ー。お義父さんから電話だよ。代わってほしいそうだ」
ある日の夜。風呂上がりにうとうとしながらスポーツニュースを眺めていると、電話が鳴り出していた。電話の子機を手に取ったのは東で、暫く畏まった口調で会話していたと思えば彼から呼びつけられる。
あちらの電話口にいるのは東の義父。つまりは詩阿の父で、名は橘宗一郎。庵の祖父にあたる人物だ。
庵は寝惚け眼を擦りつつ、東から子機を受け取って電話に出た。
「あー、もしもし代わりました。庵です」
『こら、お前さん。こっち帰って来とるなら顔を出す約束だろう? 鈴音も寂しがっている。あと私も寂しい』
開口一番、渋く良い声の小言が飛んできた。されど、巫山戯た口調もあったのでおかんむりという訳でもなさそうだ。
孫に会いたくなるのは大抵どこの祖父母も同じだろう。
「いやあ、悪いな。ちゃんと祖父さんたちのとこへ行く予定だったんだが、のんびりしてた」
『まぁいい。ああ、それと彼女が出来たそうじゃないか。嫌でなければ連れてくるように。じゃあ、店で待っているよ』
職人気質らしく、余計な話はせず電話はプツンと切れた。
この家の系譜なのか、皆所々に無骨な一面がある。祖父母はまだ結構ファンキーな方ではあるのだが。
「――という訳なんだが、明澄も一緒に二人の店へ行くか?」
彼女を連れてこいと言われたので明澄の部屋に赴いてそう伝える。
「庵くんのお祖父様とお祖母様のお店ですよね?」
「そう。祖父さんと祖母さんの店」
「勿論行きますっ! 庵くんのお料理の腕前を磨かれた場所ですし、いつも食べているお料理のルーツにはとても興味がありますので」
前々から興味を示していた事もあり、明澄の食い付きはかなり良かった。
ナイトキャップと寝間着姿。もう寝る直前だったろうに、明澄の瞳に少しずつ力が戻っていく。まるで遠足やら遊園地へ行く予定を伝えられた子供のようだった。
「お、おお。なら話が早い。明日、少し早めに出るからそのつもりで準備しといてな」
言って、庵は踵を返し自室に戻る。
部屋に入ってすぐ「あ、お腹は?」と聞こえてきたので、仰け反るように顔だけ出した庵は「昼頃に空くような調整がいいかもな」と返事して、ドアを閉めた。
# # #
翌日の午前。電車で一駅とバスで五分の隣町へやってきた。
小山を切り開いた古い町並みで、風情のある場所に祖父母は自宅と店を構えている。
陽炎が揺らぐ石畳の通りを太陽光に焼かれながら歩いていれば、目的地の軒先にウェイターの格好をした老人が立っていた。
「よく来たね」
「久しぶりだな、祖父さん」
再会を喜んで派手に笑う事はなかったが、機嫌良さそうに両手を腰に当てて庵たちを迎えるこの老人こそ庵の祖父、宗一郎だ。
身長は庵より少し高く、左分けに流したグレイヘアーと髪色と同じ色で蓄えた口ひげがトレードマーク。肌艶の良さ、ピンと伸びた背筋は還暦前とは思えない若々しさだった。
「ふむ。壮健そうで何より。少しデカくなったか? だが何より腑抜けた顔ではなくなったのがいいな」
つま先からてっぺんまで見定めるように庵の事を確かめた彼は、僅かに口角を上げつつ目を細める。
「そうかい。そっちは皺が増えたみたいだな」
「骨密度は減ったがね。しかし、やはり男らしくなった。ナルホド、そこの女性のお陰のようだ」
この軽口の応酬も、この二人にとっては日常茶飯事だ。
軽く肩を竦めた宗一郎は、庵の隣に立つ明澄に目をやって破顔した。
「初めまして、水瀬明澄です」
「初めまして、私は橘宗一郎。庵の彼女だね? 我が娘……詩阿からとてもよく出来たお嬢さんだと聞いている。以後、出来れば末永く宜しくしたいものだね」
「はい。こちらこそ、そうさせていただきたいと思います」
丁寧に腰を折った明澄に好々爺然とした笑みで自己紹介した宗一郎が手を差し出せば、明澄はその手を取り固く握手していた。
孫に会いたがった癖に俺には塩対応かよ、なんて庵は思ったが、胡桃ほどではないもののツンデレっぽい所のある祖父なので呆れ気味に短く息を吐き、野暮な愚痴を飲み込んだ。
「祖父さん。そういや、祖母さんは?」
「あぁ、彼女なら厨房で仕込みをしている。この暑さでは外で待たせられんよ。ただでさえ老い先短い身。我々もまだ棺桶とは縁遠くいたいものでね。さぁ、二人とも入りたまえ」
よく構ってくれたのは祖母で、かなり可愛がられた。その祖母なら宗一郎と並んで待っていると思ったが、彼が猛暑を案じて店内に留めたらしい。
詩阿と東は相当のおしどり夫婦だが祖父母も負けず劣らずだ。というよりそれを見て育った詩阿が愛情深い東を選んだという経緯の方が正しいだろう。
そんな宗一郎は背を向けつつ冗談を飛ばしながら、一足先に妻がいる店内へと戻って行った。
「庵くんのお祖父様って、凄くダンディな方ですね」
ひそっと、明澄はそう口にする。
今のやり取りだけ見れば、宗一郎はスマートな老紳士に映るだろう。蓋を開ければ割と巫山戯た男なのだがそれもギャップとして映り、彼のシュッとした顔立ちと共にマダムたちからも人気なのだ。
自分も歳を取ればああなりたいものだが、今はまだ遠い場所にいる祖父なのだと、庵は小さな尊敬を抱きつつ自嘲気味に笑った。
「俺とは似てないだろ」
「いえ、結構似てますよ」
「そうかあ?」
庵を褒める時にはあまりお世辞を言わない明澄だから、きっと本音なのだろう。きょとんとした顔が物語っている。
憧れの人間ではあるので庵は内心嬉しさを隠してスカしつつ、明澄の手を取り木組みのドアを引いた。
「庵! 久しぶりね!」
ドアベルがカランカランッと鳴る中、涼やかな店内に入ると正面にはレジがあり、その奥にある厨房から女性が早足で飛び出してきた。
まるで少女のように軽やかな足取りの彼女は濡れた手をエプロンで拭いながら、こちらへやって来ては喜びに満ちた表情で庵にハグをする。
「久しぶり。暫く顔見せてなくて悪いな」
庵が申し訳なさそうに笑いかけた人物は、彼の祖母である鈴音。すらっとした体躯だが、袖を捲った腕は細いながらも歴戦を感じる鍛え方をされており、その手も熟練者を思わせる皮膚の厚みがあった。
「いいのいいの! 会えるだけで嬉しいものよ。それに、こんなに可愛らしいお嬢さんを連れてきて…………! 私、感動しちゃうわあ」
庵の両肩を力強くポンポンと叩く鈴音は、一歩下がった位置にいる明澄に目を向けて感無量で瞬間的に言葉を失い、それから顔を綻ばせた。
明澄のもとへ歩み寄って「橘鈴音です。庵がお世話になってるわね」と彼女の両手を取り腰を低くする。
「初めまして。水瀬明澄です。庵くんにはいつも美味しいご飯を食べさせていただいているので、その庵くんが敬意を持っているお祖父様とお祖母様にお会いしたかったんです。今日はお招きいただき、とても嬉しいです」
と、明澄は再び丁寧に腰を折り鈴音に挨拶してから、宗一郎にも目配せして喜びを全面に出す。
その一つ一つが鈴音には嬉しかったようで、その場ですっかり明澄を気に入ってしまった。
「とても所作が美しいわ。素敵なお嬢さん捕まえたのねえ」
「母さんと同じ事言ってる……」
「あの子と親子ですもの。それより、仕事は上手くいってる? 活動だけ見れば良いように見えるけど、何か困り事はない?」
「そうだな。あるとすれば順調過ぎて怖いくらいか。心配されるようなのは何もないよ」
東や詩阿は信頼して放任しているが、この祖父母はそれ故に甘やかしてくれる。
特に鈴音はその色が強く、あれやこれやと気にしてしまうので、それもあって庵は軽い連絡だけしつつ祖父母には会いに行っていなかったのだ。
ただ、寂しがらせたのと余計に心配させてしまったようだが。
「そう。元気でやってるなら何よりね。明澄ちゃんは? 何か困ってないかしら?」
「わ、私ですか?」
世話焼きが過ぎて、それは明澄にも伸びていた。
彼女ももう自分の孫認定されているらしく、そんな鈴音に明澄もびっくりしている。
しかし、驚くにはまだ早く、鈴音が次に発した言葉には庵も含めて度肝を抜かれる事となった。
「うん。だってVTuber活動って大変なんでしょう?」
「え?」
「は?」
鈴音や宗一郎には明澄の事を一切話していない。詩阿が庵に彼女が出来たと世間話程度に話したくらいで、東も詩阿もペラペラと口は軽くないから明澄の個人情報を漏らしたりはしていないはずだ。
だから、なんでもないように言った鈴音に二人して上擦った声が飛び出た。
「だって、あなた京氷菓さんでしょう?」
「え、えと、あの……」
優しげな笑みのまま鈴音は小首を傾げると、明澄が口ごもったのち勢いよく庵に振り向く。
明澄がVTuberをやっている事は言ってもなんの事か分からないかもしれないと言うつもりはなかったのだが、もしかして伝えていたんですか、とその顔に書いていた。
当然、何も言ってないので庵は汗を垂らした顔でぶんぶんと頭を振った。
(俺の彼女、身バレしてるじゃねぇか!)
約八ヶ月ぶりの身バレ問題に庵は、心の中で盛大に叫んだ。





