第182話 ネコと和解せよ
「ねえねえ、庵くん! お庭に猫ちゃんがいます……!」
「え?」
夕立の予報が立ち、外出中の詩阿から洗濯物を取り込むよう頼まれた庵は明澄と回収作業を進めていた。
全て避難させ終えて、さて畳むかと腕捲りして息巻いていた庵のすぐ隣で、わぁと声を上げた明澄が肩を叩いてくる。
「ほら、あそこに……あれ? どこいったんでしょう」
「どっか逃げたかな」
次に二人が振り向いた時にはもう庭にはいなかった。明澄は「猫ちゃん……」としょんぼりしながら大窓に寄っていくのだが、再びその声に元気が戻る。
「…………あっ、居ました! こっちに寄って来てたみたいですね」
どうやら角度的に見えなかっただけで縁側のすぐ側に移動していたらしい。
目に見えて口角を釣り上げた明澄は、すんとこちらを見つめてくる黒猫に、にこりと笑って小さく手を振っていた。
つられて庵も明澄の傍に寄るのだが、その猫を視認するなり「……出たな。キャスパリーグ」と、眉間に皺を寄せ忌まわしげに口にした。
「きゃすぱりーぐ?」
「こいつのことだよ。この辺で住民が放し飼いにしてる猫。いや、特定の誰かが飼ってるとかではないんだけど、予防接種とかはしてるんだってさ」
「地域の皆さんで飼ってる的な」
「そうらしい。てか、生きとったんかワレ」
「もう。ガラ悪いですよ」
「こいつはなぁ、俺を嫌ってるんだよ。めっちゃ攻撃してくるし、悪さするしで」
「いたずらっ子なんですかね?」
何を考えているのか分からない顔をした黒猫と、ばっちり目が合った庵は目を細めて窓越しに対峙する。
明澄からは可愛らしい一匹の迷い猫だが、庵にとっては敵のようなものだった。
「そんな生易しいものじゃないぞ。こいつは、縁側でサンドイッチ食べてたら奪いに来るわ、出会うなり威嚇してくるわ、度々庭に侵入しては門の前に鎮座して通行の邪魔してきたりでな。極悪猫なんだよ」
「かまって欲しいだけなのでは?」
「だったら良かったんだが、どうにも俺は動物に嫌われるタイプの人間らしいからなあ」
この黒猫はキャスパリーグと庵は呼んでいるが彼が勝手に名付けているもので、本当は別の名前がある。それくらい庵とは因縁があった。
庵以外の人間には威嚇したりしないし攻撃的でもないのが、また彼にとって忌まわしく思ってしまうものなのだ。
呑気ににゃぁ〜ん、と鳴いたりあくびしたりしているのが、どうにも舐め腐った態度に見えてくるほど。
「え、意外です。動物とかとは仲良くしてそうなイメージだったので」
「だったら良かったんだがな。現実は、動物園行ったら馬鹿にしたような顔のチンパンジーに手を叩いて煽られるし、リャマには100%唾を吐かれる。ふれあいコーナーのモルモットも威嚇してくるんだぞ。あと奈良に行った時、何回ブチギレた鹿に突撃された事か……」
腕組みした庵が苦い顔つきで語る。
彼が動物との間に起きたトラブルやらハプニングは、ぱっと思い出せるだけでもかなりの数があった。
大声を上げたり無闇に近付いたりとかしていないし、ルールやマナーは守っているつもりだが、何がそんなに気に食わないのか毎度彼にだけやけに敵意を向けてくるのだ。
怪我をしていないだけマシな部類である。
「友達もいなくて、動物にも嫌われるなんて。かわいそうな庵くん」
よよよ、とわざとらしく明澄は目元に手をやる。
完全に面白がられていた。
「おい、友達がいない下りは必要か?」
「2割冗談です」
「ほぼ本音じゃねぇか。……全く、動物も明澄も酷いもんだ」
可愛らしく笑って言う明澄に拗ねた庵はソファにどっかりと座り込んでいると、彼女は窓を開けて縁側に出て「でも、この子結構大人しいですよ」と黒猫をひょいと拾い上げていた。
長いです、と脇から抱えられている黒猫はみょーんと伸びているが全く抵抗する気配がない。庵が近くにいても他の人であればこのように大人しいのだ。
「引っかかれても知らんぞ」
「そんなことしないですもん、ねー?」
正座した膝上で向かい合った明澄がにこりとしながらそう問いかけると、黒猫はにゃあと一つ返事するように鳴く。
もう懐いているかのようなリラックス具合だ。
(ちょっとうらやましい……)
動物に嫌われるタイプの庵だが、本人は結構動物好きだ。動物を描く資料集めにしばしば動物園や水族館に足を運んでいたが、それは個人的な好みも含まれていた。
幼い頃以外はまともに犬にも猫に触った事がなく、今明澄は人差し指をくるくるしてそれを猫が前足で追いかけたりして戯れているが、自分もちょっとくらいは触ってみたい気持ちがあるのだ。
そんなふと思ったものが顔に出ていたのか、明澄は部屋の中で大人しくしている彼に手招きした。
「庵くん。私が捕まえておくので撫でられるかもしれませんよ」
「いいよ。嫌がる事をするのは可哀想だし」
縁側まで行くが向こうが嫌がるなら無理にするのは気が引けた。
ただ、庵が近付いても暴れたり威嚇したりする様子はない。寧ろ、じっと見つめてくるだけでいつもの敵意がないように見えた。
「でも、この子も待ってくれてるような雰囲気がありますよ……はいどうぞ」
明澄が優しく抱っこしながら庵が触れやすいようにしてくれる。
猫も嫌がったり逃げる素振りもないので庵は、そぉーっとおっかなびっくり手を伸ばしていく。
ごくりと喉が鳴るくらい緊張しつつ、額へ手が触れるか触れないかというところで、猫はすんすんと匂いを嗅いだのち頭を下げたので、はじめはちょんと触るようにしつつ撫でる事に成功した。
「……おおぉ……!」
触らせてくれた事に感動した庵の瞳に明るいものが帯びる。
二度三度と指先を往復させるように撫でてやると、黒猫は気持ち良さげに目を細めていて、もうすっかり庵を許していた。
「ね。言ったでしょう。きっとタイミングか庵くんの目付きが悪かっただけですよ」
どうして撫でられたのかは分からないが、聖女様とまで呼ばれる彼女の何かがそうさせたのかもしれない。
明澄からいじられても「……愛想なくて悪かったな」と言うだけ言って、彼は猫を撫でる事に夢中になっていた。
因みに庵が動物から避けられたり威嚇されていた原因だが、以前までのとげっとしていた庵の雰囲気を動物が敏感に感じ取っていたからというもので、明澄の揶揄いはある意味的を射ていたりする。
「可愛いですねぇー。にゃあ? にゃにゃにゃあー」
明澄も虜になっているようで、彼女は猫に頬擦りしたり鳴き声を真似しながら可愛がっている。
近距離で見つめたりしていれば、あちらからも顔を寄せていたりともう完全に野生を失っていた。
「わ。庵くん、キャスパリーグちゃんがほっぺにチューしてくれましたよ」
遊んでいた猫の口が微かに触れたようで明澄は、きゃあと嬉しそうに庵を見やる。
「は? おい、てめぇ。明澄にしていいのは俺だけだぞ。てか、こっちは帰省してから殆ど……」
さっきまで子供っぽいはしゃぎようだったくせに、ふてぶてしい顔で見てくるこのメス猫に庵は一気に顔を険しくさせる。
可愛がってはいるものの、因縁ではあるのだ。勿論、本気で怒っている訳ではないが。
数秒睨み合うと、ぷいと顔を背けた彼女は明澄の手から逃れて庭へと駆け出して、門をすり抜けてどこかへ行ってしまった。
「な、なんて大人気ない……こんなのノーカンですよ。……ほら、怖がって行っちゃったじゃないですか、もう」
「いや、あいつはすぐどっか行くぞ。それに、もうすぐおやつの時間だしな。誰かの家に貰いに行ったんだろ」
「おやつあげたかったです」
「まぁまぁ。今日は親父が、おやつにゼリーを置いていってくれてるからさ。俺らがおやつを堪能しようか」
逃げられてしまって、しゅんとあからさまに落胆する明澄の肩を叩いた庵は、親指で冷蔵庫を指した。
「猫ちゃん……」
肩を落として部屋に戻った明澄は、庵がおやつを用意するまでそう何回か庭に目を向けては彼女が戻ってきていないか確認していた。
それが、少し申し訳なくて明澄のおやつにはキャラメルも2個添えておいた。
長くなったのでこの後の甘い甘いお話は、おまけにとして次話にします。
多分、20時くらいにもう一回更新すると思います。





