第175話 ご近所付き合い
ある明朝のこと。庵は午前中予定がある両親に代わって、地区の公会堂にて行われる掃除に駆り出されていた。
タイミングよく起きてきた明澄も手伝いを申し出てくれたので、二人で五分の道を歩いて公会堂に顔を出した。
「おはようございます」
「はい、おはようございます。って、あ! 朱鷺坂さんちの!! 庵君ね、大きくなって、まぁー!」
じりじりと照りつける太陽の下、公会堂へ赴いた庵は既に集まっていた集団に声を掛けると、庵を知っているのか三十代後半くらいの女性が彼に向かってやってくる。
懐かしそうにやや声を張り上げて、幾人かを引き連れてきた。
「えーッ!! 朱鷺坂さんちの、帰ってきてたの!?」
「そういえば、今日来るって言ってたわね」
「こっちは、妹さん? 親戚の子?」
瞬く間にぞろぞろ集まってきた女性陣に囲まれる。
怒涛の勢いに気圧されながら庵は朧げな記憶中から彼女らの顔を引き出しているが、いまひとつ思い出せず反応しづらそうにしていても彼女たちはお構いなしだった。
「いえ、彼女で……帰省に付いてきて貰っていて」
「まぁ! 彼女さんなのねー!」
「ご両親にご挨拶にきたのね。橘さんとこの子だし、もう婚約してるのかしら?」
そんなに親しくもないだろうに近所の息子が彼女連れで勝手に盛り上がる女性陣は、そういうものなのだろうか。
好奇の視線は次第に明澄に向いていて「あ、あの、……」と明澄は愛想笑いを浮かべるばかりだ。
人手は多い方がと思って付いてきて貰ったが、失敗したと庵は内心で申し訳なく思っていると、助け舟が入った。
「もう、皆! そこの子たち困ってるじゃないの」
サンシェードキャップ、パーカー付きの長袖、ロングパンツと靴以外全身白色スタイルの女性が遠目から彼女たちを注意してくれた。
「ごめんなさいね! おばちゃんたち若い子に構っちゃいたくなるのよ。ほほほ! 折角、お掃除に来てくれたものね。さっさと済ませてしまいましょ」
初めに絡んできた彼女がその口で言うほど悪びれる様子もなく朗らかに笑えば、持ち場に戻っていき、他もはけていった。
なんと言うか、その様子はやりたいように生きてるようで、ある種の尊敬すら抱くほど清々しい自由さだった。
「大丈夫か? 帰ってもいいんだぞ」
「学校で慣れましたし、そのレベル十くらいと思えば」
隅っこでシャベルと袋を持ち、二人並んで草毟りに勤しむ中、庵はこそっと告げた。
詩阿も明澄を気に入っているようでよく絡んでいるが、見ず知らずの年上の女性から囲まれるのは酷だ。悪辣とまでは言わないがネットと同じように無限の無神経を抱えたコミュニティは、詩阿のそれとはまた別だろう。
だというのに、明澄は苦笑いしながらも首を振った。
「学校は何レベルなんだ?」
「五レベルくらいですかね?」
「倍あるじゃねぇか。ほんと無理しなくていいからな。田舎のおばちゃんたちはあんなのばっかだから」
「うちの地元もそうでしたし、みんな構ってくださるのはどこも一緒なんでしょうね」
庵は悪いと思ったのだが、ふふと笑っている明澄はどこか楽しそうに作業している。彼女は他人と一定の距離を保つタイプではあるものの、なんだかんだ人と話すのは好きらしいから、それもあるのだろう。
一時期配信モンスターと化していたが、長時間雑談をしていても途切れる事なく喋り続けられていたり、元から素養があっての事だ。
特定の話題や庵以外からの恋愛感情を向けられた時は気難しさも発揮しているが、基本は誰にでも優しい聖女様である。
それ故に、
「明澄ちゃん、こっちきな。暑いでな。熱射病なったら敵わんで」
沢山の皺を寄せ、明澄を気にかけて日陰に手招きするご老人や、
「しっかりお水飲んでね! こまめに休憩取るのよー」
このご時世を考えて作業中の安全管理の巡回役の人だとか、色んな人に気にかけられていた。
「それにしても、明澄ちゃんは綺麗なお肌ねぇ」
「そんな、高村さんもお綺麗ですよ」
「やだもう。今の子はお世辞も上手だわ」
「お世辞ならもっと囃子立てますから」
「そお? ふふ、嘘でも元気出るわぁ」
「若い子が来ると気分だけでも若くなる気がするのよね」
「まだまだお若いですって」
「もう、ほんと可愛いらしい子。困った事あったらなんでも聞いちゃうかも」
三十分もすれば休憩がてら、女性陣に混じって談笑までしている。
年齢の差はあっても女性同士。波長も合えばコミュニティの中に入っていけるのだろう。
「――明澄ちゃんも良い男の子に付いてきたわねぇ。朱鷺坂さんちの子だし、あの彼ね、近所でも優しくて挨拶もしっかり返してくれてね。ここお年寄りも多いけど困ってたら声掛けてるみたいだし、礼儀正しくて評判なのよ」
「ふふふ、やっぱり。庵くんらしいです」
もうご婦人チームの一員のようで、まるで新しく越してきた世帯の新妻みたいな扱いだ。
明澄が可愛がられるのは、その容姿だけでないのがきちんと見て取れる。だからこそ、何故両親から愛を受けられなかったのか不思議でならないが。
(本人が仲良くやってるならいいか……)
すっかり馴染んで楽しそうにしている明澄を余所見しながら、庵は口角をほんのりと歪める。
そうやってひたすら草毟りしつつ、満杯になったゴミ袋を軽トラックに詰めに行ったその帰り。新しく袋を貰いに来たのだが、公会堂の裏手から気になる声が聞こえてきた。
「あらぁ、凪沙ちゃん!? また、珍しい!」
「凪沙ちゃんも、お手伝いに?」
「そういえば、今日ね。朱鷺坂さんちのね――」
耳に入る声は女性の声一つだけ。恐らく、声を掛けられている方は無言か小声なのだろう。
サンシェードキャップを被ったあの女性の一方的な会話だけ聞こえて、相手の姿ははっきり見えなかったが、黒髪とブランドロゴ入りのキャップが建物の陰から顔を出していた。
見に行くのも野暮だと思い、壁にもたれて待っていれば「あ、逃げちゃった……!」と聞こえて、同時に明澄と同じ背丈程度の少女が走っていくのが目に留まる。
(なんだ……なにかあったか?)
揉め事かと身構えたがそうではないらしく、話しかけていた女性も首を傾げるだけで、庵が踏み込む事ではないだろうと気にしないようにした。
ただ、その時吹いた生ぬるい朝の夏風が、庵には妙に気持ち悪かった事だけは覚えている。
次回、期待の水着回? です。





