第170話 それぞれの職業
「はい、明澄ちゃん。一応使ってもらう部屋はこの庵の隣の部屋を想定してるけど、全部空いてるからどこでも好きな部屋を選んでね」
二階に上がってすぐの所で詩阿が奥の部屋へ向けて片手を広げる。
堅苦しく話しても仕方ないので挨拶を程々に切り上げると、先に送っていた荷物も届いたので、明澄が寝泊まりする部屋の選定に移ったのだ。
広い家とあって、二階には大小合わせて八部屋ある。小さい部屋は人が過ごす環境ではないので実質五部屋だが、そうだとしても明澄は困るだろう。
実際明澄はどうしましょう、という顔をしていた。
「新品のベッド買ってあるから、選んだ部屋に移動させるだけだし遠慮しなくていいわ」
「新しいの買ったんだ」
「どうせなら今後を見据えても新しいのがいいかと思ってねえ。それとも同じベッドが良かったかしら」
「要らん気を回さんでいい。明澄も俺の隣とかじゃなくていいからな」
真っ白なベッドが少し開いた扉の隙間から見えている。用意が良いと庵は感心したが、もう次には詩阿がにやけた顔で余計な事を言うので、しっと追い払った。
「あ、いえ。お隣にお邪魔しますね」
「決まりね。私たちがいるからって遠慮せず、お互いの部屋を好きに行き来したり寝泊りしていいからね」
「だから要らん気を回さないでくれ」
ベッドを動かす手間に気を遣ったり、純粋に庵の隣の部屋の方が良かったから明澄はそちらを選んだのだろうが、詩阿は機嫌良さそうに明澄にウインクしていた。
何度か添い寝したが親もいる実家で同部屋で暮らす勇気もないし、まだそういった関係ではない。
誕生日のくだりといい何か勘違いされているようで頭痛がしてくる。東は黙っているが、それも分かってるぞと達観した理解によるもののようで、こちらにも後で言う事がありそうだ。
しかし、明澄が満更でもなさそうな顔をしていたのに気付かなかったのを数日後、庵は後悔する羽目になる。
そんな事をいざ知らず庵は「……全く。さて、荷解きするか」と、荷物に手を付けていた。
「あっそうだ、親父、母さん。最近俺が配信始めたんだけど知ってるよな?」
「四月に始めてたね。もしかして家で配信でもするのか?」
「いや、当たらずも遠からず。ほら明澄」
「あの、詩阿さん、東さん。実は私、VTuberをやっているんです」
「え、ああそうなの?」
「もしかして、京氷菓さんって方かな?」
「そうです、そうです。京氷菓の中の人です。よくお分かりに」
「庵の彼女でVTuberやってるって言われたらピンとくるよ」
「庵がキャラデザやってるみたいだけど、とても人気の方よね。凄いじゃない」
東と詩阿には、タイミングを見てどこかで明澄の両親の事と明澄がVTuberである事を明かすと決めてあった。
予定通り一つ打ち明けたが、大騒ぎした師匠の吉斗とは違って二人の反応が淡白なものだったのは、ここへ彼女を連れてくると知った時にはなんとなく予想していたのだろう。
「いえ、とんでもないです。色々と庵くんのお陰なので」
「謙遜し過ぎだろ。伸びるか伸びないかの大部分は本人次第だし。なぁ、親父?」
「そうだな。明澄さんの実力だと思うよ。まぁ、それはいいとして。庵、クライアントに手を出したのかい?」
大体を把握した東に優しげな笑みのままじろっと睨まれる。
ただ庵は十日ほど前に同じような事を言われたので動じず冷静に返した。
「あんた師匠と同じこと言うな」
「そりゃあ、吉斗もそう言うだろうね」
「まぁ、聞いてくれ。深い訳があるんだよ」
二度目ともあって説明はスムーズだった。両親の話など複雑な部分は除いて、明澄との出会いからざっくり話すと東も詩阿も疑う事なく耳を傾けてくれ、最後には納得していた。
「なるほど、そういう出会いか。だったらセーフにしておこうかな」
「画面越しから隣の部屋越し、それで今は隣にいる……と。運命的で良いじゃないっ。私はそういうの好きよ」
東が厳しい目つきの緊張を解き、その横では詩阿が大人しい見た目に反して少女マンガとかラブコメが好物だからか、一人でちょっと盛り上がる。
依頼を受けて仕事をする立場である庵へ考えての事だろうし、東も詩阿も問題がないと分かれば安心しているようで、誤解されずに済んだ庵は胸を撫で下ろした。
「分かってくれたようで何より。ま、それはいいとして話を戻すが、配信はしないんだけどさ、動画収録くらいの音は出してもいいか?」
「動画収録? 二人で撮影とかするのかい?」
「いえ、動画用のナレーション収録とか軽いものになります。外には大きな音を漏らさないようにしますので、許可をいただけませんでしょうか」
会釈程度だが明澄は真摯にお辞儀した。
庵はそんな大袈裟なものやわざわざ許可を取るほどのものでもないとしていたが、一応家主には伝えておくべきと明澄が強く譲らなかったのだ。
その甲斐あってか「問題ないだろう」と短く確認しあった夫婦は快く承諾してくれた。
「それくらいならどうぞ。防音はしっかりしてるし、多少なら問題ないわよ」
「どうもありがとうございます。助かります」
「明澄さん。どうせなら、流石に配信機材はないけど、PC周りで必要なのがあれば、私の書斎から持っていって構わないよ。後で見に来るかい?」
「俺とか母さんの部屋にもあるし、そっちからでもいいぞ」
「そうね。明澄ちゃんなら好きにしてくれて良いわよ」
「えぇ……そんな至れり尽くせり」
デスクトップを持ってくるまではしなかったから、荷物を見て最小限の周辺機材に留めたと東は察したのだろう。親心なのかサポートする気満々だった。
それに庵と詩阿も乗っかれば、まさかここまで歓迎されるとは思ってなかったのか明澄は申し訳なさそうにしつつ、小さく開けた口を両手で抑えて驚いていた。
「遠慮しなくていいわ。うちは仕事柄一人一台持ってるからねぇ」
「庵くんから聞きましたけど、お二人はゲーム会社にお勤めされてるんですよね」
「そうよ。昔はバリバリクリエイターやってたんだけどねぇ。いつの間にか偉くなっちゃって、もう半分ほどそっちの仕事は若い子に譲ってしまったからクリエイターって感じでもないけれど」
「よければ、詩阿さんと東さんの職種をお聞きしても?」
「私は、プログラマーで詩阿はグラフィックデザイナーだね。後は二人で企画もやってたよ」
「わ、凄い。もう庵くん含めた三人でゲームとか作れてしまいそうですね」
それは無邪気な一言だったろう。明澄は率直に思った事を口にして笑っていたが、それがクリエイター三人に火をつけてしまう。
ふむ、と顎に手を当て一つ思案した庵から口火が切られた。
「……確かに。というか明澄も入れてやるなら、親父たちの会社に企画出しても通りそうだけど」
「え、私は何の役にも立ちませんよ」
ぶんぶんと立てた手を左右に振る明澄だが、庵はまた謙遜してと眉を寄せる。
学生と配信者の両立で手一杯なので明澄は仕事をセーブしているが、歌手アーティストとして事務所からデビューを勧められるほど歌が上手いし、断ったらしいが声優の仕事もオファーがあった。
作品作りにおいて充分貢献出来る才能があるし、これで何の役も立たないなんて言うのは嫌味ですらある。
「明澄は声と歌でいけるだろ。少年ボイスからお姉さんボイス、年寄りの声やってる動画の切り抜きバズってたし。めっちゃ良かったしな。それだけやれりゃあ通せるよな? 親父」
「ああ。きっちり企画練れば、明澄さんの氷菓とかんきつの名前を出していいなら通せるよ。そのネームバリューがあれば、なんなら私が予算と人員を引っ張ってくるし。いけそうならぷろぐれすに話を持っていこう」
どうかな、と東が朗らかな笑みを明澄に向ける。
「いや、え、そんなこと出来るんですか」
「断るなら断っておいた方がいいぞ。親父と母さんはやる。ビジネスだからな、売れるならやる」
受ける受けない以前に目の前で企画を通せる豪語する東の権限の強さにびっくりしている明澄に、庵は忠告に近い助言を耳打ちした。
なぜなら権限があるのは、ビジネスマンとしての手腕があるからだ。彼らがやる気であるなら、本人の返事一つで金も物も人も動くし、動かす。それが企画屋としても、旬とチャンスを逃さず実績を積んできたの目前の夫婦である。
「そ、そうですよね。あの、光栄な話ですけれど、今は忙しいので……」
庵の助言を受けた明澄は、にこっと愛想笑いを浮かべて首を振った。
「そっか仕方ないわね。でも、いつでも待ってるわ。ぷろぐれすの顔の一人に、売れっ子絵描き。しかも、親娘揃って。こんなに話題性抜群な事ないもの」
「そうだね。詩阿、今のうちから企画作っておこうか。明澄さんとぷろぐれすに納得して貰えるような良い企画を、ね」
しかし、二人は諦める様子もなく休暇中でありながらも仕事モードに入っていた。
それを傍観していた庵は、職業病に冒された両親に「あーあ、始まった」と呆れるような視線を向ける。これまで庵と両親に温度感があったのは、こういう面もあったからで、元気にもりもり仕事する二人をそっとしておいたというのがそうさせていたのだ。
「あはは……また、いずれの機会に」
一度スイッチが入って前のめりな東と詩阿に気圧されながら、明澄は微量に汗ばんだ笑みを張り付かせて、半歩後ずさる。
忙しい今はまだそうやって寝かせた方がいいだろう。
けれども、まさかこの話が膨らんでとある企画に参加するのはまだ未来の話。人も仕事もどこに縁が転がっているかは神のみぞ知ると、いつか彼らは呟くことになる。





