第169話 本音と信頼と家族と
「あぁ、そうか。そういう話になるのか」
なんとも気の抜けた顔で気の抜けた言葉を返してきた東に、こちらまで気が抜けてしまいそうだった。
この調子ならきっと明澄から交際の可否を尋ねられるとは思っていなかっただけだろうから、あんまり心配する必要はなさそうだ。
明澄がまだ安心しきってないのは、詩阿の反応を待っているからだろう。首を横に向けた東が「詩阿、どうかな?」と、彼女に問えばなんとも言えない反応だった。
「そうね。正直私としてはその辺りはあまり興味ないから、好きにしたらいいと思うの」
本音そのままという感じだった。頬に手を当てている顔は困ったという風に見えるまである。
「ええと……その」
「親父、母さん。明澄が困ってるだろ。はっきり言ってやってくれ」
家族の事なので本人たちが拒否感を持っている訳ではないのが庵から分かるのだが、明澄にはどう返していいのかとか認めてくれているのかの見通しすら不明瞭だろう。
愛想笑いを浮かべて戸惑っている明澄を見かねた庵が助け舟を出したと言うよりは、両親への意見する形で介入した。
「ごめんなさい。水瀬さん、私たちとしては息子の事に口出しするつもりはないの」
「そうだね。昔から庵には悪いくらい放ったらかしだったから、こちらとしては庵のする事、決めた事に何かを言うつもりはなくてね。こんな反応になってしまった。すまない」
庵に咎められるとはっとしたようで、口々に申し訳ないように言って、明澄に謝った。
家族らしい家族関係ではなかったが庵はそれでいいと思っていた。けれども両親には負い目があったらしい。
放任主義とするならそれらしいが、庵の出来の良さや詩阿の両親に頼っていたのが実情だ。親として最低限の矜持はあったのか、過去の自分たちの振る舞いに対して、庵にそれなりの決定権を任せるのが筋だとしていた。
故に東も詩阿も、交際を認めて欲しいと言われても反応が鈍かったのだ。
「だからね、今更認めるも何もないのよ。立派に稼いで一人で生活しているし、しっかりとした人格も形成されているのだから、その庵が選んだ人にとやかく言えないわ」
「本当に詩阿の言う通りだね。なんなら庵は私たちより大人かもしれないし」
「そうでしたか。とても納得しました。庵くんはしっかりしてますし、お二人の信頼も頷けます」
庵から聞く両親の印象はドライと言うのが正しい表現になる。変な人なだけ、とは言われていたもののやはり自分の親の事もあり心配が勝っていたから、庵への大きな信頼感にぱちぱちと瞬きをして聞いていた明澄はその動きを止めて、顎を引いた。
どこか恥ずかしげに語る親二人の姿に庵は、逆に親だなあと感じるあたり、感情の抱き方がちぐはぐなのは確かだった。
そして、感情の行き違いをした親の方針が悪い方向へ行ってしまったのが明澄で、良い方向に向かったのが庵になるのだろう。
ただ、少なくともこのスタンスの東と詩阿の存在は、明澄にとって良かったのは間違いない。
「だから、こうして歓迎するくらいしかないと思っていてね」
「いや、歓迎ムードではないだろ。言葉選びがめちゃくちゃ質素すぎて怖かったぞ」
「こっちも緊張してたのよ。いつかはと思っていたけれど、他人と距離をおいていた庵がまさかこんなにも早く彼女を連れてくるなんて思わなかったもの。東さんもなんだかそわそわしてたし、失礼がないように余所行きになってしまったのかしらね」
ごめんなさいね、と少々悪びれる詩阿に東も無言で同調するように眉間をつまんで反省していた。
普段から堂々としている親であり会社でもそれなりの地位にいるらしいので、そんな彼らでも緊張するのかと思ったが、そこは至って普通の人間という事なのだろう。
自分より出来る大人なのに、こういう所では不器用な親に庵は微妙な気持ちになりながらも、まぁいいかと納めた。
「水瀬さん。そんなに怖かっただろうか。申し訳ないことをしたね」
「い、いえ。私も緊張しきりでお気持ちは分かります。私としては、きちんと筋を通したいと思っただけなので、お父様とお母様にそうやって応対していただけて嬉しいくらいです」
「そう、とても立派な方ね。立ち振る舞いから対応、言葉遣い、所作、どれも文句が出ないわ。庵、良いお嬢さんを捕まえたわね」
「捕まえたというか捕まったというか。まぁ、これ以上の女性はいないよ」
どこまでも謙虚に丁寧な明澄に、詩阿は感心するように呟いてから、庵に微笑みかける。
明澄が褒められて嬉しくなった庵は、はにかみながらはっきりと明澄への気持ちを表明した。明澄が誠意をもって筋を通したのだから、庵も彼氏としてきちんとした交際である事を親にアピールしておく必要があると判断した。
隣で静かに聞いていた明澄の頬が僅かに染まり、嬉しそうに口元を緩める姿を確認した東と詩阿、揃って笑っていた。
「うん。庵がこの通りだし、私から言うことはないかな」
「私も東さんと同意見です。どうぞこれからよろしくね。家のもの好きに使ってくれていいし、難しいかもしれないけど、家族のように思って接して貰えれば嬉しいわ」
「家族……」
仄かに目を丸くした明澄がぽつりと呟く。
「あ、ごめんなさい。いきなりは……」
「いえ、そうではないんです。私、凄く嬉しいです。初めは認めてもらえるかなとか、迷惑じゃないかなと考えていたので、そう言っていただけるのが本当に嬉しくて……」
踏み込み過ぎたと慌てた詩阿だったが、明澄はふるふると首を振る。
それから零れるように浮かんだ笑みを携えて優しく否定する声がほんの僅かに波打っていたのは、それほど喜びに打ち震えていたのだろう。
「そう? 良かったわぁ。庵が彼女を連れてくるなんて初めての事だから、こちらこそ変にならないか心配で」
「ちょっと変にはなったけどな」
「こら、庵。茶々を挟まない」
誤解が解けて安堵する詩阿を揶揄った庵は、ぴしゃりと父に軽く睨まれる。その間に、隣では母と彼女が更に距離を縮めようとしていた。
「これからはお名前で呼んでも良いからしら?」
「はい、是非!」
前のめりになりそうなほどの素早い返事をする明澄は、にぱぁと大きな笑みを作る。
「じゃあ、明澄ちゃんて呼ばせてもらうわね。私たちも、名前でいいから」
「分かりました。東さん、詩阿さん、どうぞ永くよろしくお願いします」
「うん、よろしく。明澄さん」
「明澄ちゃん、よろしくね」
ぺこっと頭を下げる明澄だが初めの頃のような重さはもうなかった。受け入れてもらえた喜びが全面に出ている。
また嬉しそうなのはどちらかといえば母の詩阿の方で、それを東もまた嬉しそうに眺める。妻の喜びが自分の喜びと言わんばかりだ。
その三人のやり取りから肩の荷が降りた庵は、ぐだぁとしようとしたのだが、詩阿が余計なことを言い始めたので、それは許されなかった。
「あぁ、それから明澄ちゃん。庵の事もよろしくお願いしちゃうけどいいかしら?」
「は、はいっ! 勿論です。私の方こそよろしくされていますし、庵くんをいただきますね」
「え。俺、もらわれるのか? 俺がもらうつもりだったんだけど?」
「あ、言葉の綾というか、一応そういう形というか……ええと、その、私がもらわれます……はい」
明澄の家庭事情的に庵が貰う側だと認識しているし、明澄もそのつもりだろう。
ただ、つい勢いで出てしまったようで、訂正する彼女は声を細くしながら最後は庵に肯定する形で小さく赤らんだ。
「ふふ。睦まじくて微笑ましいわ」
「若い頃を思い出すなあ」
「そこ、温かく見守るな。気まずいだろ」
自然と流れた彼らの惚気けに顔を見合せて笑い合う夫婦に、庵が突っかかっていく。
親からそういう目で見られる言われるのは気恥しさがかなり勝つ。これから十日この家で過ごすし、今後も長い付き合いだ。
是非やめて欲しいと目で訴えるが。
「今のは見せつけた庵が悪いよ。それに会社の同僚が言うにはこれも親の楽しみらしいからね」
「つい表に出てくるくらいなのよ」
「口にも表にも出さないで楽しんでくれ」
「まぁまぁ、庵くん。お二人が喜んでくれるのでしたら、いいじゃないですか」
正論を唱える東に詩阿が同調し、明澄が加勢して庵は劣勢に立つ。
ぐぬ、と庵は食い下がってみるが、結局三対一は多勢に無勢。言い返すのも苦労した。
「俺が良くねぇよ。それとも何か、俺があんたらの仲を揶揄っていいのか」
「別に? 妻を愛するのは何も恥ずかしい事ではないだろう?」
「そうそう。何歳になっても、気分良く惚気けるくらいで丁度いいの。ね、明澄ちゃん?」
「はい。その通りだと思います」
当然と胸を張る東と笑う詩阿が明澄に問うと、彼女は力強く頷く。
すっかり夫婦の味方らしい。詩阿が「ほらあ」とどや顔をするのをうざったらしく見ながらも、庵も内容を認めながらも、言い負けるのが嫌で納得いかなそうに抵抗した。
「いやまぁそうなんだけどさ。俺もそうなんだけどさあ」
「なに? それともあなたは明澄ちゃんに愛情表現してあげないの?」
詩阿の目付きがやや鋭くなる。母は自分の息子が彼女への扱いをぞんざいにしてないか見極めようとしているのだ。
「するよ。ちゃんとする。してるよな?」
「は、はい。ちゃんと庵くんはしてくれてますし、満足させてくれますので……」
親に恋人とのスキンシップについて話すのは恥ずかしいものがあるが、否定しようものなら喝が飛んでくる。
中学生でもないし、素直に認めて明澄に同意を求めると、明澄はゆっくり赤くなった顔を縦に振る。その言い方が怪しくて庵がドキッとした時には、母の顔つきはニマニマとしたものに変わっていた。
「そう言えば、昨日は庵の誕生日だったわね。何かあったかしら」
「……う。え、っと、……」
黙っていれば古風な雰囲気のある和美人な詩阿だが、興味のあるものに対して少女のように目を輝かせて構いがちなのだ。
首を傾げて二人を揶揄う詩阿に、明澄は昨晩の事を思い出したのだろう。
一線を越えた訳じゃないし健全の範囲内だが踏み込んだものではあったから、刺激的な昨夜の光景が彼女の脳裏を鮮明に過ぎったのか、ぼうっと明澄は真っ赤になってしまって、より勘違いされてしまいそうだった。
咄嗟に胸元に手をやらなかっただけマシだが。
「詩阿。あまりそういうのはやめてあげなさい」
羞恥に晒されるこちらの身にもなれと、庵が辞めさせようとしたが、先に東が詩阿を諌めた。
「私ったら、つい嬉しくて。明澄ちゃんごめんなさい」
「あ、そんな。別に、で、でも、揶揄われるのは庵くんだけでお腹いっぱいなので」
「へぇ。へぇへぇへぇ?」
「ほんとそう言うとこやめろって言ってるんだよなあ。明澄に嫌われるぞ。というか親父もよく付き合ってられるな」
「こんなもので尽きる愛想なら庵も生まれてないだろうからね。迷惑はよくないが、その範疇なら可愛らしいものだよ」
「あ、そうですか。もう惚気はあっちでやってくれ」
「庵もしたくせにね」
「うるせぇよ」
マイペースな詩阿と我が道を行く庵が住まう朱鷺坂家のストッパーは東だ。しかし、愛する女性には愛情深い、という性格を庵にも分けただけあって、詩阿への愛は本物であり、基本的に詩阿の肩を持つ。
息子である庵との関係がさっぱりしているだけで、良好な夫婦関係を築く二人の間には挟まるものなどなく、生暖かく庵があしらうのが丁度いいと覚えている。
一年半ぶりに会ってもそこは変わらなくて、二人に辟易していると、不意に隣からくすくすとした笑い声が聞こえてきた。
「ふふ……」
もう緊張の面影すら失くした明澄が、口許を抑えて穏やかに笑っていた。
「なんだ?」
「いえ、睦まじいのは庵くんたちもだなぁと」
「うちはこんな軽口の応酬ばっかだぞ」
「そういうのがいいと思うのです」
そんな良いものじゃないぞ、頭を傾けた庵を見上げた明澄は羨みから瞳を細める。
平均的な一般家庭ではないと自覚している庵からすれば、もっと普通な方が安心して彼女を迎えられると思ったが、明澄が抱える複雑な家庭環境とは比べるべくもないほど温かく感じるのだろう。
察した庵は両親に向けていただるそうな顔を、ふっと微笑に変える。
「そうか? ま、今後は明澄にも入ってきてもらう事になるけどな」
「はい。お邪魔しますね」
明澄も家族の一員だなんて言うのは重過ぎるだろうと庵は控えて、遠回しにその意味を包みこんで言えば、明澄は愛おしそうに微笑んだ。





