第158話 聖女様への誓い
体感にして三十秒はあった。ただ、実際には五秒あったかどうか。
驚きに満ちた千種色の瞳は瞬きを繰り返し、口が塞がれながらも声が漏れ、そうして唇は離れる。
次にまた合った目は戸惑い気味に揺れて、明澄はさっと指先でその唇を触っていた。
「……いきなりで悪かった」
「あ、いえ、べ、べつに嫌ではないです……けど。やっぱり、いきなりはびっくりしちゃいました」
勝手にしておいて謝ったら怒られるかなと思ったが、反射で謝罪が出た。
これで嫌われたり避けられたりするほど距離感や関係値を見誤ったつもりはないが、唐突なキスに右往左往している明澄には、ムードもへったくれもなかった、と反省にしながらももう一回「ごめん」と謝った。
「わ、私だって、その……し、したいな、とは思ってました、し。でも、なんで? というのはなくは、ないかもです」
へにゃと折った指の背で唇を確かめながら、明澄は困惑を露わにしていた。
怒りはなさそうなものの、許可もなく奪われたファーストキスの理由を知らず終いというのは、乙女として納得出来かねるだろう。
「……ど、どうしてキ、キス、したんです、か?」
「好きだから。じゃあ、駄目か?」
嫉妬したから、なんて恥ずかしくて言えそうになくて情けなく視線を外して誤魔化した。
けれども、明澄にそれだけな訳がないとじっと見つめられて、結局は白状する。
「そうだなぁ。多分、俺は嫉妬したんだろうな」
「……嫉妬、ですか?」
「うん、明澄がさ。澪璃さんが、澪璃さんが――って言ってるのを聞いてると、俺を見て欲しいなぁとか、俺だけじゃあ寂しいのかなって思って、つい」
「そう……ですか。ふふふ。庵くんも嫉妬するんですね」
予想外の返答だったようで明澄は一瞬だけ驚きを表情に映し、それから嬉しそうに小さく笑った。
庵が醜いと思ったり傷付けると思って抑えた感情や衝動は両手の指の数に収まりきらない。
まさか朴念仁だと勘違いされていたのかと、つい笑ってしまいながら「そりゃあする。嫉妬しないなんて無理だよ」と、苦笑と本音を零した。
「あと、これは単なる独善ではあるんだけどさ」
「……はい」
「澪璃がいなくても寂しくないようにとか、俺が居るから安心して欲しいというか……ま、一言で言えば明澄を奪い去りたくなった。嫉妬もそうだけど、寂しそうにしてる明澄を見るといつもそう思うんだよ。明澄をそこから奪ってやりたくなるんだ」
嫉妬が先に逸ったが、本音として占める割合はこちらの方が多い。
もう彼女の生い立ちや性格からくる孤独や不安とは無縁でいて欲しくて、自分だけのものにする気でいるのだ。
そのつもりで伝えたのだが明澄は「もうとっくに奪われてますよ……」と、赤らんでぽしょりと呟いた。
「だから既に私は庵くんのもの、ですもん」
「あ、うん。付き合ってるしそういう事になるか」
「余計な心配させちゃいましたね」
「そうだぞ。俺、明澄の事に関してはちゃんと寂しいと思うんだからな。まぁ、こんな形でキスしたのは謝るけど」
非の比率で言えば庵だが、ここでしっかり意志を伝えておくべきだろう。
家族や友人には庵は割り切って、そんなものだと執着しないが、恋人に至っては無理なのである。
「だったらもう一度、お願いしてもいいですか? 初めてが、いきなりだったので、そ、その、余韻がほしいな、って……ね?」
明澄は熱と恥じらいを含んだ声で求めるように庵を見上げて目を瞑る。
きゅっと、閉じられた桜色の唇と緊張や期待から赤らんだ頬はとても色っぽく、受け入れる準備を整えた姿に鼓動を高鳴らせて、庵は明澄と唇を重ねた。
余韻を、と願われたので最初は感触を味わったり確かめたりするようなキスではなく、食んだ唇に押し当てるだけにとどめる。
それから、ゆっくりと角度を変えたりして唇を味わった。
柔らかさと瑞々しさの中にやや甘さを感じられたのはリップに含まれたものだろうか。唇を動かすたび、明澄が揺らす髪にくすぐったさを感じながら口づけを楽しむ。
とはいっても、余裕があるわけではないので、明澄の様子を伺うのが精一杯だ。明澄も明澄でただ庵のすることを受け入れているのだが、こそばゆいのか、時折そわそわと手先が動いていて可愛らしかった。
込み上げてくる愛おしさと、幸せな時間が惜しくてもう少し続けていたいと、数回ほど離しては噛み付いたりを繰り返す。
明澄はたまに「ん」と喉を鳴らしたり、口づけの合間の息づかいを頑張っていて意地悪したくなるが、色々と限界を迎えてしまったので唇を離した。
ぷは、と苦しさから解放された明澄がもたれかかってくる。
呼吸を整える明澄の瞳はすっかり濡れていた。
「……お、お上手すぎませんか? 経験がないので、これが普通なのかもしれませんが」
「いや、俺も分かんない。下手くそにならないように気を付けたぐらいだし。というか、多分これがっついてる方だぞ」
「まぁ、その、欲望をぶつけられてる、なとは感じました」
「ごめん、次は気を付ける」
「い、いえ……求められるのは嬉しいですから。それに私、きす、が好きみたい、です」
顔を逸らして、それからまたこちらを覗き上げてそんな事を言われたら全身の血管がどくりと強く脈打つ。
それでまたしたくなったのだが、それががっつく原因なのだと寸でで衝動を抑えるも、明澄に察知されて「いいですよ」と囁かれたら、自然と背中と後頭部に手を回していた。
しっとりとしたリップ音を響かせまた唇を重ねると、触れ合うだけの優しいキスで味わった。
余裕がなかった明澄も徐々に慣れたのか、彼女からアプローチしてきて濡れた唇を食まれる。
静寂な月夜にただ僅かに漏れる声とキスの音は、扇情的で高揚感を煽り身体が熱くなるのを感じた。
「んっ、……好き、……好き、ですよ」
キスが少し休憩に入ると、明澄はそう微笑み庵を見上げる。それからまた口づけを強請られたので、啄むように口づけて今度は長めに楽しんだ。
「やばい。めっちゃ、良いかもしれない」
「ね。ハマってしまいそうです」
「まだ夏休み序盤なのが怖い。明日も求めたらごめん」
「ふふ。良いじゃないですか。こんな幸せなんですから。また、して下さい」
何度もしたら嫌がられないかと危惧していたが、明澄は目を細めて愛らしく笑うのでその心配はなさそうだ。
再三したキスもまだ足りないかのように明澄を求めて軽く口づける。柔らかさと甘味のようにゆるやかな刺激を味わい続ければ、明澄は最後にゆるゆるにとろんと溶けた表情を見せてくれた。
「もしかして眠い?」
「はい、ちょっとだけ」
「あっち送るよ」
「えぇ? 今日は帰したくなかったんじゃないんですか」
まだ一緒に居たいとは願ったが、朝まで付き合わせる気は毛頭なかった。
だけど、明澄は半目開いた顔をしていじってくる。
どうやら、キスにあてられて帰るつもりがなくなったらしい。
「寝間着はいいのか?」
「今日はこれにします」
ひと息付いたら帰る予定だっただろうから、Tシャツとインナー、ショートパンツとラフな装いをしていたが、明澄はここでの就寝と引き換えに着替えを諦めたらしく、庵の胸にもたれてきた。
「じゃあ、寝室のベッド好きにしていいから」
「わー、庵くん紳士だな〜」
「なんだよ」
「なんでしょうね」
「……はぁ。どうなっても知らないぞ」
「庵くんに出来ますかね?」
「うるせー。ほら、連れてくぞ」
キスした上に共寝の欲を出したら怖がらせるだろうと一歩引いたが、彼女は拗ねる素振りで所望してきた。
これ以上手を出さないのはバレているからこそのものだろう。分が悪いと悟った庵は明澄の膝裏と腰に腕を回して抱き上げると、明澄はきゃっ、と可愛らしい声を上げる。
お姫様抱っこをされるのは予想外だったのか、明澄は腕の中で瞳を大きくさせていたが、恥じらいながらも身を委ね庵の二の腕に掴まって優しく寝室に運ばれた。
「御到着でございますよ。これから如何なさいますか」
「はい。ん」
そうふざけて優しくベッドの上に降ろすと、腕を差し伸ばしてハグを要求してきた明澄に、やれやれと抱き締めてソファと同じ体勢に戻る。
「寝ないのか?」
「庵くん次第ですね」
「今日はなんか好き勝手言うなぁ」
庵がキス以外に奪うつもりがないのをいい事に、明澄は思いのままに振る舞っていた。
ちょっとくらいビビらせてやろうかと企んだのだが、多分負けるので一緒にベッドへ転がる前に庵は、明澄と唇を交わしてから鼻先の距離で笑い合う。
「だって折角ですもの。要求出来るものはしておかないと」
「ほんと、甘え方が上手くなったな」
こてんと、明澄を抱いたまま倒れ込んで至近距離でそんな睦言を行き来させながら、二人してずりずりとベッドの中央に寝転がった。
ほんのりハグを緩めて楽な姿勢を取ったら、明澄は上目遣いで息を溜める。
「庵くんのせいです。責任取って下さいね」
「そのつもりだよ」
ひそっとそんなどこまでも愛したくなる事を小さく笑って囁いた明澄に、笑い返した庵は同じ愛を誓って唇を奪った。





