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風が吹いている。
私のドレスと足元の草花を、さあ…っと軽やかに舞いあげたそれから、精霊の穏やかな気持ちが汲み取れた。
冬から春に変わる季節。
少し冷たくも感じるその温度が、私の中の熱量を下げていくように感じた。
空を見上げると、雲が流れている。その隙間から青い太陽がちらりと覗く。まぶしさに目を細めた。
青い太陽なんて気持ちが悪いと思っていたのに、もう違和感を感じない。
そうか、もう3年目なのか、と。
そう思うとまた気持ちが荒ぶりそうで、ゆっくりと深呼吸をした。
神々の気持ちが、揺らぐ。
まだかと誘う。
ゆっくりしなくちゃだめなんだと、私は意地悪く笑ってみせた。
芝生を踏みしめる音がした。その主により、私の短いスロータイムは終わりを告げる。
「おい、神子様」
傲慢な態度で歩いてきたそいつは、庭に座り込んでいた私の真横に立ちふさがった。
相変わらず、敬ってんのかなんなのかわからない言葉遣いである。
またか、と思いつつ、私はその少年に向かって、にこりと笑いかけた。なんてできた人間であろう。
「いかがなさいましたか、殿下」
すると、殿下はふん、と鼻を鳴らした。もう、見慣れた仕草だ。
光に当たると金色にも見える銀髪が、彼の動作にあわせて、さらりと揺れる。それをなんとなしに見て、ああ、彼の銀とは違うのだなと思った。けれど、すぐにその思考を停止させる。
そんな私に気づくことなく、冷たく、けれど未だ幼さを残した整った顔を、殿下は不遜な笑顔に歪めた。
「神子様、今日暇だろ」
決めつけはどうかと思うよ少年。けど、そんなことは言わなかった。
この世界で、私は《神子様》だ。清く、気高く、心優しく、清廉で、温厚で、清楚で、慈悲深く、神に愛された、存在。そうでなければ、ならない。そうでなければ、私は存在を許されていない。
「来い」
殿下は14歳とは思えないほど幼い仕草で、城のほうへ顎をしゃくった。これも慣れた。14歳にしてこの態度。行く末が怖い。
「申し訳ございません、殿下。私はこれから、お稽古がございます」
にこりと笑顔でかわす、これもいつものことだ。
とたん、殿下は不機嫌になる。せっかく綺麗な顔をしているのにもったいないことである。
「神子様はいつもそれだな!」
殿下は、どん、と地団駄のように片足を踏み下ろした。
怒ったように言う彼に好意を抱かれていることなど、もうとっくに知っていた。
知っていたけれど、今はまだだと呟く。
「申し訳ございません、殿下。またお誘い下さいませ。次は、ぜひ」
あたかも申し訳なさそうに、私は眉をさげて呟いて見せた。そして、先ほどまで作っていた花束を、彼にそっと手渡す。
白くて可愛い花。あの、愛しい世界の花によく似ている。
感傷に浸りかけた気持ちを立て直し、意識して、より妖艶に微笑んでみる。ここに来て、無駄な特技ばかりが増えた。
彼の琥珀色の瞳が揺れる。
きゅっと手を握りこめば、唇の端が強張るのも見て取れた。
「では、御機嫌よう、セシル様」
最後にもう一度ふわりと微笑み、私はセシルに手を振った。そして、私の居住空間である宮殿へ足を進めた。
先ほどまでいた場所を、名残惜しく思う。この時間になると、セシルはあそこへくる。私がそこへいると、わかっているからだ。案の定、私は暇なときは常にあそこにいる。私は、シロツメクサに良く似たあの花が好きなのだ。この世界でも、どこにでも勝手に生える雑草のような植物だと教えられたが、頼んでわざわざ中庭の一画に植えてもらった。
あそこにいると、自分が、まだ、……地球に、日本に、いるのじゃないかと、そんな錯覚を起こしてしまいそうになる。
ふう、とため息をつく。
嘆くことは、もう飽きた。私がやらなければならないことは、たくさんあるのだ。全て終わらせてから、また、泣けばいい。
ちらりと振り返ると、セシルが花束を大事そうに抱えて、王宮へ去って行く後ろ姿が見えた。
宮殿と王宮は、広大な中庭を挟んで対角に位置しているのだ。
仲が悪いくせに、ご苦労なことである。
宮殿の廊下へ足を踏み入れた瞬間。
「何をしていた」
不意に、冷たい声が響いた。
—————きた。
私は密かにほくそ笑んだ。
けれど、すぐに口元を引き締め、驚いたような表情を作る。
毎回毎回、同じところで声をかけられたら驚いたも何もないとは思うのだが、まあ仕方ない。何かしらの表情を浮かべなければならないし、にこりと振り向いても良いが、声だけで誰なのかわかったのだと思われたら癪なので。
「ノエル様…」
くるりと振り向けば、底冷えするような美貌がそこにいた。
170cmの長身の私が、少し見上げなければならない程度の高身長の彼。艶やかな銀色の髪は、耳のあたりで切りそろえられている。氷のような色の薄い碧色の瞳は、何を考えているのかわからないほど冷たい。
セシルをそのまま大きくしたような、けれどセシルよりも愛嬌はないわ表情はないわでないない尽くしの最低男だ。この国の、正統王位継承者。第一王子のノエル。
ここで私は、にこりといつもの笑顔を浮かべたが、自分の感情が急速に冷めていくのを感じていた。
「セシルと何を話していた」
なんの抑揚もない、感情のかけらもない声でノエルが言う。いつもこれだ。いい加減、この流れに飽き飽きしてきた。いつもこの時間にここにいるなんて、どんだけ弟のことが心配なのだか。このビッチと罵られただけある。あれはびっくりした。
「他愛ないことです。ノエル様が気になさるようなことではございません」
このブラコンが。
なんて思いつつ、笑ってみせる。
世間話ですよ、なんて言えば、どうだかと目を眇められた。失礼極まりない。
「ノエル様はどちらへ?」
小首をかしげ、話題転換を試みる。
今にもドロドロとした醜い感情が、腹わたから溢れかえりそうで。
いつになっても慣れない感情だ。こんな気持ちを、綺麗な地球にいた私は知らなかったのだから。ばれない程度に深呼吸をして、黒いそれを抑え込む。
「ノエル様は、いつも忙しそうでございますね」
笑顔を絶やさず、私は問う。
「お前よりは忙しいだろうな」
言い捨てるような口調に、少しムッとした。
感情の読みとれない瞳。まったく、わかりやすい弟を見習うべきだ。
「お前、ですか…」
傷ついた顔を作りながら、それを隠そうとして微笑む。…ような演技をする。
「神子様とでも、呼んでほしいのか。浅ましい…」
「ちっ、違いますっ」
軽蔑したような眼差しを向けるノエル。
心の中で嘲笑した。
何も知らない、ノエル。
異界からの召喚方法を見つけた、ノエル。
弟想いの兄を演じる、ノエル。
召喚を推奨した、ノエル。
—————憎い憎い、ノエル。
強い憎悪が体中を駆け巡り、笑顔を保てる気がしなくて思わず俯いた。
「やはり、メリーとは、…呼んで下さらないのかと思いまして…」
メリー。
それを口にし、私は少し笑えた。ようやく顔を上げて、ノエルに微笑む。
「わたくし、楽しみにしていますから。あなたに、いつか認めてもらえることを」
真剣な目をして、私は言葉に力を込めた。ノエルの冷たい瞳を見つめ、私はにこりと笑った。