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アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
名の隣を歩く者
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見たいもの

放課後、アトカが学園長室へ入ると、ルトはすでに長椅子へ座っていた。


「兄さん、早いですね」


「戦技科棟の方が近いからな」


ルトの隣には、午前中に見たものと同じ封筒が置かれている。アトカがその横へ座ると、机の向こうでフレデリックが二人を見比べた。


「来てくれてありがとう、アトカ君、ルト君。今日は一般公開日のことで相談したい」


白いローブの袖元には、何枚かの紙が重ねてあった。


フレデリックはすぐにそれを差し出さなかった。


「先に一つ伝えておく。これは参加を頼むために二人を呼んだのではない。学園側へどんな希望が届いているかを説明し、そのうえで二人が何をしたいか聞くためだ」


ルトが腕を組む。


「朝の紙にもそう書いてあったな」


「うん。特に今回は、君たちの名前が企画そのものへ影響している。そこを隠したまま『いつもの公開行事だ』とは言えないからね」


フレデリックが紙を二人の前へ置いた。


そこには、一般公開日の申込書へ添えられた希望が、内容ごとにまとめられていた。


魔導科の授業を見たい。


戦技科の訓練を見たい。


治癒術の講義を見たい。


対魔術師戦を見たい。


その中に、明らかに数の多い項目が三つあった。


キルウェスタの弟子の魔術が見たい。


至光会事件で連結術式を止めたアトカ・アッシュフォードの水が見たい。


対抗戦でアトカ・アッシュフォードを破ったルト・アッシュフォードの剣が見たい。


アトカは何度か読み返した。


最後に、その下の一行で目を止めた。


アッシュフォード兄弟の再戦が見たい。


「再戦……」


「やっぱり来たか」


ルトは驚かなかった。


むしろ、予想していたらしい。


フレデリックが頷く。


「かなり多い。対抗戦を直接見た人だけではなく、あとから話を聞いた人からも届いている。それから、至光会事件の後にアトカ君を知り、対抗戦の記録へ興味を持った人もいる」


アトカは隣を見る。


「兄さんと、もう一度戦ってほしいんですね」


「そう書いてあるな」


「兄さんはどうしたいですか?」


「俺からかよ」


「僕も考えますから」


ルトは紙をもう一度見た。


少しの間があった。


それから、あっさりと言った。


「やらねえ」


アトカはその横顔を見た。


「僕も、そう思います」


今度はルトがアトカを見る。


「早いな」


「兄さんも早かったです」


「俺はいいんだよ」


「ずるいです」


フレデリックが小さく笑った。


「理由を聞いてもいいかな。断ること自体に理由は必要ないが、企画を組み直す参考にはしたい」


ルトは腕を解いた。


「アトカと戦うのが嫌なわけじゃない」


「僕もです」


「むしろ、またやるつもりはある」


「僕は次は勝つつもりです」


「そこは聞いてねえ」


「大事です」


「はいはい」


兄弟のやり取りを待ってから、ルトは続けた。


「でも、アトカともう一回戦うなら、人に言われてやるもんじゃない。俺がこいつと戦いたい時にやる」


アトカも頷いた。


「僕も、兄さんと戦いたい時は自分で言います。対抗戦の時も、僕が兄さんと戦いたくて出ましたから」


三年前に交わした約束があった。


それを果たすために、自分は大将として闘技場へ立った。


兄も、本気で来てくれた。


だから楽しかったし、負けて悔しかった。


次に戦う時も、誰かが見たいからではなく、自分たちの勝負として立ちたかった。


フレデリックは二人の答えを紙へ短く書き留めた。


「分かった。再戦は企画から外そう」


それだけだった。


説得も、「せっかく期待されているのだから」という言葉もない。


アトカは少し肩の力を抜いた。


だが、フレデリックはそこで紙を片づけなかった。


「では、もう一つ聞きたい。再戦ではなく、それぞれの実演についてはどう思う?」


アトカが顔を上げた。


「実演ですか?」


「うん。今の案では、魔導科と戦技科の通常展示とは別に、君たち一人ずつへ時間を取ることも検討している」


フレデリックは別の紙を開いた。


魔導科では、各学年の基礎魔術、属性別操作、魔導具、災害対応などを公開する。


戦技科では、武器ごとの訓練、対魔術師戦、護衛、救助経路への進入などを見せる。


その通常日程とは別に、


アトカの魔術実演。


ルトの戦技実演。


二つの枠が仮置きされていた。


アトカは思わず紙へ身を寄せた。


「僕だけで魔術を使っていいんですか?」


「君が望むならね」


「大きい水もですか?」


ルトが横で吹き出した。


「食いつくとこそこかよ」


「だって、実演ですよ」


アトカは少し頬を膨らませたあと、フレデリックを見る。


「どのくらいまで使っていいんですか?」


その問いに、フレデリックはすぐ「小さく」とは答えなかった。


「そこは、アトカ君が何を見せたいかを先に聞きたい。もちろん使用場所と観客席の距離、結界、担当教員の配置は成人側で決める。だが、『有名になったから小さな術だけにしよう』とも、『期待されているから限界まで使おう』とも、こちらから先には決めない」


アトカは目を瞬いた。


先程聞かれた言葉が蘇る。


今度、魔術見せてよ。


あの時は、「見せてもいい時なら」と答えた。


今が、その「いい時」になるかもしれない。


胸の奥に、少しずつ楽しさが膨らんだ。


自分の魔術を見られることが、いつも嫌なわけではない。


自分の身体のことを勝手に調べられるのは嫌だ。


話したくないことを聞かれ続けるのも嫌だ。


けれど、自分が学んできた水を、自分で見せると決めるのは別だった。


「僕、やりたいです」


答えは自然に出た。


「魔術実演、やりたいです」


フレデリックが確認する。


「至光会事件の再現ではなくても?」


「はい」


アトカは少し考えた。


「至光会で使ったのと同じ形にする必要はないです。僕の魔術を見たいなら、僕が今できることを見てもらいたいです」


「小さく見せる必要もない?」


「ないと思います」


返事をしてから、少し笑った。


「大きいのも見せたいです」


ルトが隣で笑う。


「言うと思った」


「兄さんだって、剣を見せたいんじゃないですか?」


「まあな」


今度はフレデリックがルトへ向く。


「ルト君は?」


「やる」


こちらも早かった。


「せっかく剣を見たいって言われてるなら、剣を振るところ見せりゃいいだろ」


「災害救助や護衛ではなく、戦闘の実演でいいのかな」


「救助もやってるけど、俺が剣士なのは別に隠すことじゃないだろ」


ルトは腰の剣へ軽く触れた。


「対抗戦でアトカに勝ったところだけ知られてるなら、なおさら今の俺を見せた方が早い。あの一戦だけで止まってるわけじゃねえし」


アトカがすぐに頷く。


「兄さん、あの時より強くなっています」


「お前が言うとまた面倒が増えるぞ」


「ここにはフレデリック先生しかいません」


「学園長が一番面倒増やせる立場だろ」


「私は勝手には増やさないよ」


フレデリックが穏やかに返し、ルトが一瞬黙った。


アトカは笑いをこらえきれなかった。


ルトが横目で睨む。


「笑うな」


「すみません」


「全然悪いと思ってねえだろ」


「少しだけです」


「どっちだよ」


笑いが落ち着いたところで、フレデリックは二人の希望を書き加えた。


再戦は行わない。


アトカは単独の魔術実演を希望。


ルトは単独の戦技実演を希望。


その三行が同じ紙へ並んだ。


アトカはそこを見て、少し不思議に思った。


「断ったのに、二つ増えましたね」


「そうだね」


フレデリックが答える。


「断ることと、何もしないことは同じではないから」


アトカはその言葉を聞いて、紙へもう一度目を落とした。


兄との再戦はしない。


でも、自分の魔術は見せたい。


兄も、自分の剣を見せたい。


どちらも同時に本当だった。


ルトが別の紙を指で叩いた。


「で、これは何だ?」


一番下に、まだ内容の薄い欄があった。


公開混成演武。


魔導科と戦技科が同じ競技区画へ入り、魔術と武器の両方を使う公開形式。


組み合わせ未定。


内容未定。


参加希望者から選出。


「まだ案の段階だよ」


フレデリックが言う。


「魔導科と戦技科を別々に見るだけでなく、互いの技術が同じ場でどう働くか見たいという希望もある。これは君たちの名前から出た企画ではない。もともと両科の教員から提案があったものだ」


「俺たちも出られるのか?」


ルトが聞いた。


「希望するなら候補には入れる。ただし、二人一組で行うか、もっと大きな班にするかもまだ決まっていない」


アトカは欄を見つめた。


兄と再戦するつもりはない。


けれど、兄と同じ側へ立つことまで嫌なわけではなかった。


対抗戦では、闘技場の反対側に兄がいた。


自分の水を斬って、避けて、最後には目の前まで来た。


もしあの剣が、自分へ届くためではなく、自分の水の隣で振るわれたら。


そこまで考えて、アトカは口を閉じた。


まだ何をするかも決まっていない。


今ここで答える必要もない。


ルトも同じ欄を見ていたが、すぐに参加とは言わなかった。


「これは後で決めていいんだな」


「もちろんだ」


「じゃあ保留」


「僕も保留にします」


フレデリックが二人分の欄へ印を付ける。


「分かった。公開混成演武については、内容が固まってから改めて説明する」


アトカは少しだけ残念なような、楽しみなような気持ちになった。


それを見たルトが言う。


「何だよ」


「何でもないです」


「顔に出てるぞ」


「兄さんも見ていました」


「俺は内容確認してただけだ」


「僕もです」


「絶対違うだろ」


フレデリックは二人の言い合いを止めず、次の紙へ移った。


「では、単独実演の方を決めよう。まずアトカ君。君の場合、通常の一年生展示とは別枠にする」


「僕だけですか?」


「君の出力と制御範囲を、一年生の標準課題と同じ基準で並べると、展示の意味が分かりにくくなるからね」


アトカは少し考えた。


それは分かった。


自分が一年生だからといって、周りの一年生へ自分と同じ量の水を求めるのはおかしい。


反対に、自分だけが周りへ合わせて本来の魔術を隠す必要もない。


「普通の水属性展示にも、一年生として参加していいですか?」


フレデリックが少し目を細めた。


「参加したい?」


「はい。僕も一年生ですから」


「特別実演もするのに?」


「両方やったら駄目ですか?」


「駄目ではないよ」


アトカは嬉しくなった。


「じゃあ、両方やりたいです」


「分かった。通常展示では、ほかの生徒と同じ課題へ参加する。特別実演では、アトカ君自身の魔術を見せる。二つを分けよう」


「はい!」


返事が少し大きくなった。


ルトが横で笑う。


「楽しそうだな」


「楽しいです」


今度は迷わず言った。


誰かに必要とされたからでもない。


自分がやりたいと思った。


それが嬉しかった。


フレデリックはルトにも同じように尋ねた。


「ルト君は通常の戦技科展示にも出る?」


「出る。そっちの担当はもう決まってる」


「では、特別実演の内容は担当教員と相談してくれ。対抗戦の再現ではなく、今の君が見せたい剣技を組んで構わない」


「相手は?」


「複数人を希望してもいい。安全条件は教員側と詰める」


ルトの口元が上がった。


「じゃあ、そうする」


アトカがすぐ隣を見る。


「複数人とやるんですか?」


「まだ決めてねえよ」


「やる顔です」


「どんな顔だ」


「楽しそうな顔です」


さっき言われたことをそのまま返すと、ルトは一瞬黙り、アトカの白い髪を乱すように頭へ手を置いた。


「兄さん、見えません」


「知らん」


「ずるいです」


アトカが頭を振って逃げると、ルトはようやく手を離した。


フレデリックは最後に、仮の日程表を二人へ向けた。


午前。


魔導科・戦技科の通常展示。


アトカの特別魔術実演。


ルトの特別戦技実演。


午後。


各学科の公開授業。


そして最後に、内容調整中の公開混成演武。


「今の時点ではこうだ。変更はある。アトカ君の特別実演については、魔導科の担当教員と何を使うか相談してほしい。ルト君も同じだ。こちらから『これをやれ』とは決めない」


アトカは日程表を受け取った。


自分の名前の隣に、はっきりと「特別魔術実演」と書かれている。


隠されていない。


小さくもされていない。


けれど、兄との再戦はない。


それも、自分たちが決めた。


「フレデリック先生」


「何かな、アトカ君」


「ありがとうございます」


「まだ何も始まっていないよ」


「それでもです」


アトカは紙を見ながら笑った。


「僕、何を見せるか考えてみます」


フレデリックも頷く。


「楽しみにしているよ」


学園長室を出ると、夕方の廊下は昼より静かだった。


アトカとルトはしばらく並んで歩いた。


「兄さん」


「ん?」


「本当に再戦しなくてよかったですか?」


ルトは前を向いたまま答えた。


「よかった」


「僕もです」


「でも次やる時は勝つからな」


アトカはすぐにルトを見る。


「それは僕の台詞です」


「先に言った方の勝ちだ」


「そんな決まりありません」


「今できた」


「勝手です」


アトカがむっとすると、ルトは声を上げて笑った。


分岐で二人の道が分かれる。


ルトは戦技科の訓練場へ戻り、アトカは魔導科側の担当教員へ予定表を届けることになっていた。


「じゃあな。でかいの出しすぎて公開日前に怒られんなよ」


「出す前に相談します」


「そこじゃねえんだよな」


「兄さんこそ、相手を増やしすぎないでください」


「考えとく」


「それ、増やす人の返事です」


ルトが手を上げて去っていく。


アトカも反対方向へ歩き出した。


魔導科の訓練場へ着くと、水属性展示を担当する教師が、参加予定者の名簿を机へ広げていた。


「ちょうどよかった、アッシュフォード君。通常展示の方にも参加すると聞いたよ」


「はい。お願いします」


「こちらこそ。特別実演については別に相談しよう。まず通常展示の練習日を決めたい」


教師が名簿をアトカの方へ向ける。


同じ一年生の名前が並んでいた。


その中の一つへ、教師の指が止まる。


「明日の練習では、この子と同じ組になる予定だ」


アトカはその名前を読む。


ノエラ。


まだ話したことのない、水属性の一年生だった。


「分かりました」


アトカは頷き、それからもう一度、自分の予定表へ目を落とした。


通常展示。


特別実演。


そして、まだ空欄の多い混成演武。


見たいと言われたものを、全部そのまま見せるわけではない。


けれど、見たいと言われたから全部隠すわけでもない。


何を見せるかは、自分で選べる。


アトカはそれが、思っていたよりずっと楽しみだった。


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