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アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
欠けた子と魔女の手
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怪物ではなく魔術師にするために

ステラから届いた手紙は、実に品性に欠けるものだった。


齢六歳にして同調位階の兆しを示す、両腕のない子供。


形状制御は一流。指向性は皆無。


この最高級の原石を、貴女なら魔術師へ仕立てられますか――ですって。


師を呼びつける手紙にしては、礼節も遠慮も足りていない。

かつての教え子は、母親になっても相変わらず言葉の選び方が下手ですわ。


けれど、その挑発めいた文面の奥に滲んでいた焦燥だけは本物だった。


自分の知識では、息子を守れない。


このままでは、あの子自身が力に壊される。


誇りも体裁も投げ捨てた、母親の悲鳴。


それを無視できるほど、わたくしは薄情ではない。


だから帝都の夜会を二つ放り出し、わざわざ泥深い辺境まで足を運んだ。


期待などしていなかった。


少し魔力量が多いだけの子供か、制御を知らずに暴発を繰り返す未熟者。

精々、その程度のものだろうと高を括っていた。


少しばかり基礎を教え、ステラの不安を取り除けば終わる。


退屈な寄り道になるはずだった。


けれど、あの庭でわたくしが見たものは、残酷なほど美しく、そして危うかった。


あの子にとって、己と世界の境界は、あまりにも薄い。


自分の魔力を外へ放っているのではない。


術式を組み、現象の形を定めているのでもない。


あの子が水を思い描けば、周囲の魔力がその像へ引かれ、空間そのものが水という結果を先取りする。


同調に酷似した魔力操作。


いいえ。


性質だけを見れば、正式な同調位階とほとんど変わらない。


けれど、あの子は同調者ではない。


覚醒も、放魔も、自分の魔力と外界の魔力を隔てる境界さえも、まだ満足に築けていない。


自分の拍子を保ったまま世界の流れへ重なるのが同調なら、あの子の現象はその逆だった。


自分の輪郭が定まるより先に、外界があの子の願いへ寄ってきてしまう。


階段を上ったのではない。


壁の向こうにある結果へ、最初から手が届いてしまっている。


わたくしと同じ深みへ、あの子はすでに触れていた。


けれど、そこから戻る道を知らなかった。


わたくしはあの景色へ踏み込んだ後、長い年月をかけて己の輪郭を作り直した。


外界の魔力と拍子を重ねながら、それでも世界と自分を混ぜ切らないための境界。


感情が荒れ狂っても、願いを無差別な災厄へ変えないための制御。


始める場所を選び、届かせる相手を選び、必要なところで終わらせる意志。


そのすべてを、血反吐を吐くほど学んできた。


あの子には、まだ何一つ備わっていない。


形は作れる。


けれど、どこへ動かすかを決められない。


現象を始められる。


けれど、どこで止めるのかを知らない。


一般的な魔術師は、肩から肘へ、肘から手首へ、そして指先へと魔力を通し、身体そのものを方向の軸として利用する。


あの子の身体には、その型が存在しない。


それは欠陥ではない。


ただ、既存の魔術理論が前提としてきた身体の形から外れているだけだ。


にもかかわらず、周囲の大人たちは、存在しない指先の代わりを探そうとした。


視線を使う。


声へ乗せる。


足元から流す。


どれも間違いではない。


けれど、出口を探すより先に、あの子自身の内側に、揺らがない中心を作らなければならなかった。


だから、わたくしは制限を課した。


外へ手を伸ばすな。


まず、心臓の鼓動を聴け。


世界へ触れる前に、自分の魔力を知れ。


己の内側で練り、巡らせ、始点と終点を自分で選べるようになれ。


外界の魔力に甘えるな。


才能に酔うな。


美しい現象を作れた程度で、自分を魔術師だと思うな。


何度でもゼロ点を突きつけた。


貴方は怪物ではない。


だからこそ、自分の力へ責任を持つ一人の魔術師になりなさいと。


義手を与えたのも、哀れんだからではない。


あの子に欠けたものを埋め、一般的な人間の形へ近づけるためでもない。


腕がなくとも、あの子はすでに一人の人間であり、魔術師への道を歩いていた。


あの義手は、欠落を隠すための偽物ではない。


魔力へ新たな経路を与えるもの。


方向を定める軸。


流れを止める境界。


日常へ触れるための指先であり、本人が望んだ時に使える新しい選択肢。


杖であり、触媒であり、いつか刃にも盾にもなり得るもの。


けれど、それを何にするかは、あの子自身が決めなければならない。


高価な素材も、精密な刻印も、優れた魔導工学も、それだけでは義手をあの子の身体にはできない。


アトカ坊やが自ら魔力の道を作り、異物として従わせるのではなく、新しい身体感覚として迎え入れてこそ、初めてあの義手は彼のものになる。


そして、あの子はわたくしの想定を越えた。


義手をただの道具として動かしたのではない。


肩口で閉じていた魔力循環を開き、木の内部へ編み込まれた金属糸を、自らの身体感覚の続きとして受け入れた。


凡百の魔術師が長い時間をかけて越える放魔への壁を、あの子はわずかな手掛かりだけで踏み越え始めた。


わたくしの言葉を足場にして。


恐ろしい子。


そして、だからこそ危うい子。


才能は祝福ではない。


制御できない才能は、本人にも周囲にも呪いとなる。


あの子が優しいからこそ、なおさら危険なのだ。


誰かを救いたいと願うたび、限界を忘れるでしょう。


助けを求める声が聞こえるたび、自分の痛みを後回しにするでしょう。


己の消耗を数えず、手を伸ばせるすべてへ手を伸ばそうとする。


その優しさは、確かに美しい。


けれど、魔術師にとって最も危険な美徳でもある。


守りたいという願いは、時として境界を壊す。


届きたいという執念は、止まるべき場所を見失わせる。


わたくしは、それがどれほど容易く災厄へ変わるかを知っている。


だから甘やかさない。


成果以上の言葉で褒めることもしない。


痛みを隠して無理をすれば、技術以前の問題として叱りつける。


一人で抱え込み、自分を壊すことを努力と呼ぶのなら、その思い上がりごと叩き潰す。


あの子が、わたくしの言葉の裏側まで知る必要はない。


今はただ、越えなければならない壁として立っていればよい。


厳しくあれ、キルウェスタ。


慢心は魔術師の命を奪う。


無自覚な善意は、守るはずだった者まで傷つける。


あの子はまだ、最初の一歩を踏み出したにすぎない。


けれど、わたくしは知っている。


風に揺れる左の袖も、まだ不器用にしか動かせない義手も、いつかあの子自身の意志で世界へ届く。


捨てられた子供としてでもない。


憐れまれる子供としてでもない。


誰かに与えられた力を振るう器としてでもない。


一人の魔術師として、アトカ坊やは必ず、自分の意思で世界に触れる。


アトカ坊や。


貴方には、まだ足りないものばかりですわ。


もっと高く。


もっと深く。


もっと静かに。


自分の力を知り、自分の限界を知り、必要な時には誰かの手を借りることを覚えなさい。


貴方がいつか、本当の意味でわたくしと同じ景色へ立つ日まで。


世界の魔力へ呑まれず、己の意思を保ったまま、その力を振るえる日まで。


わたくしは何度でも、貴方へゼロ点を突きつけましょう。


それが、貴方を力に呑まれる怪物ではなく、一人の魔術師として育てると決めた

――師であるわたくしの責任なのですから。

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