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アトカの空白の腕  作者: 鷺沼鳩屋
欠けた子と魔女の手
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ガラクタと呼ばれた少年

豪雨と雷鳴が、王城を激しく揺らす夜だった。


「――お生まれになりました!陛下、元気な男児にございます!」


重い扉が乱暴に押し開かれた。濡れたマントを翻し、部屋へ入ってきたのは、この国の絶対君主、国王エドヴァルド・アルザードだった。


「おお……! 我がアルザードの血を引く、至高の後継者がついに生まれたか!」


歓喜の笑みを浮かべ、エドヴァルドは寝台へ大股で歩み寄る。


だが次の瞬間、王の動きは完全に凍りついた。


差し伸べられた両手の前で、赤ん坊の左右の袖が、空っぽのまま垂れ下がっていた。


生まれつき、その赤ん坊には両腕がなかった。


「……何だ、その不細工な姿は」


王の顔から笑みが消える。代わりに浮かんだのは、底冷えするような嫌悪だった。


「腕がないだと……? 我がアルザード王家に、このようなガラクタを置いておけるものか」


「お待ちください、エドヴァルド陛下……っ!」


寝台の上で、出産を終えたばかりの王妃エルシアが震える声を上げた。


「この子は、間違いなく私と陛下の……!」


「黙れ。私の期待を裏切りおって」


雷鳴が部屋を揺らす中、王は赤ん坊から完全に興味を失った目で命じた。


「すぐに連れて行け。国境の森へでも捨てろ。アルザード家に、そのような不完全な紛い物は不要だ」


「陛下……っ!」


エルシアは這うように寝台の端へ手を伸ばした。けれど王は、振り返ることすらしない。


意識が遠のくほどの絶望の中で、彼女は最後の願いを叫んだ。


「せめて……せめて、この子に名前だけでも……!名をお授けくださいませ……!」


エドヴァルドは足を止めることなく、心底どうでもよさそうに吐き捨てた。


「名だと? そんなガラクタ、『あ』とかで十分だ」


「……あ……とか……」


エルシアは呆然と呟いた。


「あの子の名前は……アトカ……」


それは、哀れなほど純粋な誤認だった。


王は一瞬だけ足を緩めたが、すぐに鼻を鳴らし、部屋を去っていった。


エルシアは震える手でシーツを引き裂き、自らの指を噛み切った。溢れた血をペンの代わりにして、白い布切れに三文字を刻む。


【アトカ】


そして上質なおくるみで我が子を包み、その胸元へ血文字の名札を押し込んだ。


赤ん坊を連れていくために近づいてきた近衛兵の手を、エルシアは必死に握り締める。


「頼みます……せめて、優しく……。魔物の少ない国境の森へ、そっと置いておくれ……!生きて……どうか、生きて……!」


王妃のあまりに悲痛な姿に、兵は何も言えなかった。


ただ無言で深く頷き、おくるみに包まれた赤ん坊を両手で受け止める。


そして王の命令通り、処分するために、激しい雨の夜へと連れ出した。


両腕を持たず、名付ける価値すら否定された赤ん坊は、母の悲しい温もりと血文字の名札だけを残され、冷たい闇へ運ばれていった。


数時間後。


国境の森の大木の根元に、ひとつのおくるみが置かれていた。


嵐の音に紛れ、小さな泣き声が響いている。


その声に気づいた者がいた。


近くの農村に住む農夫、ガイルだった。


「うわっ、なんだこの雨の中……って、赤ん坊じゃねえか!」


ガイルは慌てて駆け寄り、ずぶ濡れのおくるみを覗き込んだ。


「こんな高そうなおくるみに包まれて……。なんだ、この布切れは。血文字か? ……ア、ト、カ……?」


雨に打たれながら泣き続ける赤ん坊を前に、ガイルは息を呑んだ。


「……腕がないのか。かわいそうに。こんなところに置いておいたら死んじまう」


彼は迷わなかった。


「よし、おいで。母さんも、きっと分かってくれる」


不安を隠すように小さく笑い、ガイルは赤ん坊をそっと抱き上げた。


そして雨の中、我が子を抱くように胸へ寄せ、小さな家へと急いだ。


――それが、のちに世界を掴む少年、アトカの始まりの夜だった。

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