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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第三章 お社の人
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遭遇


 世の中はゴールデンウィークに突入したというのに、父はお店、法子は午前中だけ学校があった。


 学校からその足でお社に行くと、社務長の井村さんが困惑している。何かあったらしい。


「信也さんが境内をうろうろして、何人かの参拝客を驚かしてしまった。氏子たち、せめて信者さんなら説明もできるんだが、ここ京都は観光客や一見の参拝者も多い。


 あの髭面で社の横から出て来て、境内を横切り鏡池のほうに走り、止まったかと思うとまたお茶室のほうへ。呼びとめたのに返事もしない。


 何かぶつぶつ呟いていて、いっちゃ悪いが薄気味悪い。何かにとり憑かれて丑の刻参りでもしそうな感じだ。


 音楽の神さまとして明るい神社を目指しているのに、昔から陰口言われるように、呪詛や洗脳をする黒魔術宗教みたいなイメージが戻ってきかねない。せめて髭を剃り、髪を短くして袴をはいてくれると助かるんだが……」

 

 今までの目撃は、お社の柵内、神域側だった。お参りの人々は、普通は入れない。それがお社の境内前面、鳥居や社務所のある側に出てきたとしたら、確かに人は驚くだろう。


 奥の院の廊下からそっと座敷を窺うと、信也さんはお昼寝しているようだった。


 翌、日曜の朝、前日の夕食のお茶碗などはどこだろうと思い、台所まで入ってみた。

 食器は台所にきちんと洗われて水きりカゴにあった。信也さんが洗ったのだろうか。不思議だった。


 午後は、社務所の隣の窓口で御神籤(おみくじ)などを売る店番をしていた。その後、お社の拭き掃除をしていた年上の巫女さんと交代してあちこち見て廻った。

 

 奥の院の方向に足を進めると、人の声が聞こえ始めた。何かつぶやいている。でも姿はない。恐る恐る近寄った。


「ショパンナオコシンヤ」という言葉をお経のように繰り返している。

 信也さんなのだろう。信也さん以外にあり得ないだろう。

 

 突然、縁の下から大きな声がして飛び上がった。

「のって、縁側にのって、早く! 縁側に上がってって言ってるの! もう」


 驚いて踏み石に草履を脱いで半分駆け上がった。

 信也さんはもぞもぞと縁の下から這い出して来て、両手を腰に法子のほうを見上げた。


「体重軽すぎる。みしりとも言わないじゃん!」

 何のことかわからなかったけれど、期待に添えなかったらしい。


「ごめんなさい。私やせっぽちで」


 信也さんは膨らませていた頬を緩めてにこぉっと笑った。

「のり子だぁ。のり子なら体重無くて当たり前じゃん」

 両手を差し出してきた。


 一歩前に出て縁側の端につま先をかけると、信也さんは何故か法子を抱き上げてくるりと廻った。お社や裏山の景色が目の前を斜めに通り過ぎる。


「きゃあ」

 地面に下ろして足袋履きなのを見てとると、また抱えて法子を縁にすとんと座らせた。今度は信也さんが見降ろしている。


「信也さん……」

「大きくなったね、のり子」


「えっとあの、何してたんですか?」

 しどろもどろになってしまう。


「アリジゴクの巣、昔はいっぱいあったのに、無くなってた」

「探してたんですか?」

「ううん、思い出してた」


「ショパン?」

「うん、縁の下でね、僕が笛を吹いたことがあって。話しかける勇気がなくて、でも笛の音なら届くと思って。吹いてみたらすっごく下手くそだったんだよ、僕」


「信也さんも下手だったことあるの?」

「あるよ、もちろん。今はもっと下手だと思う。笛てんで吹いてないもん」


「いつ頃のことですか?」

「う〜んと、ついこの間」


 いや、それはちょっとムリだと思った。一年以上丹沢にいて加代伯母さんや東京の親戚の人たちに身の周りの世話をされていたのだから。


「そしたら中から出て来て、『ショパン、奈緒子、信也』ってつぶやいた」

「お父さま?」


「うん。そのとき床がみしみしいったの。のり子じゃ何の音もしなかったね」

 信也さんが笑っている。昔のような手放しの笑いじゃないけれど、微笑んでいた。

 

「奈緒子さんってピアニストの」

「うん、僕のお母さん」


「今、どちらに?」

「千葉ってとこ。ちゃんとお嫁さんになって奥さんになって幸せだよ」


「あ、そうなんですね、よかった」

 信也さんが子供の頃は今よりもっと、未婚の母なんて大変だったろう。

 

 お祖父ちゃんが言った通り、信也さんは狂ってない。言ってることちゃんとわかるし、こっちの言うこと全部通じてる。


 身ぶりが子供っぽくて言葉も甘ったるいけれど、それだけのことだ。


 ――私のことちゃんとわかってくれた。名前を呼んでくれた。


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