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帰ってきた人  作者: 陸 なるみ
第二章 帰ってきた人

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信也の事情

このお話は「年齢制限なし」です。念の為、強調しておきます。

 

 日曜日の朝、父が店に出たと聞いて、そっと祖父のいる座敷に行った。


 頭の中にわからないことが溜まり過ぎている。祖父が話してくれるとは限らないが、神社に行く前に、聞けることは聞いておきたい。


「お祖父ちゃん、信也さんってすごいファザコンだよね?」

「そうだな」


「私、冷血人間だから、お父さんがいなくなっても信也さんみたいにならないと思う」

 祖父は苦笑した。


「ならないほうがいいな。私が死んでもあんなには悲しまないで欲しい。もし克也(かつや)(たい)()が同時に信也みたいになったりしてみろ、私はどうにも浮かばれん」

 法子も祖父の口調につられて笑ってしまった。

 

「なあ、法子、人がつらいと思うことは人それぞれなんだよ。信也にとってつらいことが、法子にとってつらいかどうかは、なってみないとわからない。その上、同じ立場に陥っても、つらさの加減は同じじゃない。だからといって、信也をおかしいというのも間違いだし、法子が冷たい人間だというのも違う」


 明日が祝日なせいかどうかは知らないが、今日の祖父はいつもより饒舌だ。

 

「信也が母子家庭だったのは知っているだろう?」

 法子は頷く。


「お母さんとふたりっきり。苗字も加藤、加藤信也だった」

「あ、そうか、そうだよね」


「お母さん、奈緒子さんはピアノの演奏をしたり、教えたりして生計を立てていた。青造(せいぞう)は毎月養育費を渡すだけで」


「でも信也さん、小さい頃から青山(せいざん)さまを知ってたんでしょう?」

「ああ、遠縁ということにして隠すつもりだったらしい。うちの神社に関わらすまいとしていた。足長おじさんみたいに少し離れて身守ろうって」


 祖父はお茶を啜ってから話し続けた。

「奈緒子さんの結婚が決まって、その相手が信也の父親になってくれる。自分みたいに神社に縛り付けられた人生じゃなくて、普通の家庭に育って好きな道を選んだほうがいい、そう思ったんだな。何度かその人、堀内(ほりうち)さんといったかな、に会って仲良くなれるか試したんだ。でもだめだった」


「信也さんが嫌われたの?」


「いや、何というか、信也はいつも好き勝手なことをしているように見えるけれど、ひどく他人の気持ちに敏感なんだ。堀内さんと自分がお母さんの取り合いをしているように感じてしまった。奈緒子さんに安定した生活をさせてあげられる堀内さんに、負けたと感じたのかもしれない。自分はまだ子供でお荷物になるばかりだって。邪魔になるくらいなら離れていようと決めて、青造のうちになら住んでみたいと自分から言い出した」


「信也さんがいくつのとき?」

「小学校四年生の夏休みだな」

「そんな小さいときに……」

 何と言いたいのか、法子は自分でもわからなかった。「身を引いた」という言葉が心に浮かんだけれど、正しいのかどうか自信がない。


「ちょうどその頃、東京の青造の家には彬文が引っ越してきていて。それで青造と静香、母親から離された男の子ふたり、お手伝いさんひとり、で結構うまく暮らせていたんだ」

 

 祖父は法子の目を覗き込んでから続けた。

「信也はずうっと想像していた。

 僕の本当のお父さんはどこにいるんだろう? 

 僕のこと考えてくれてるかな? 

 もう忘れちゃったのかな? 

 会いに来てくれないのはどうしてだろう? 

 牢屋に入ってるから来たくても来れないのかな? 

 遠洋漁業の船乗りさんなのかな? 

 もし僕のこと嫌いだったらどうしよう? 

 心の中でずうっと悩んでた」


 どちらがよかったのだろうかと法子は考える。

 嘘だとしても、子供の頃から「あなたの父親はもうこの世にいない」といわれていれば、信也さんは堀内さんと暮らせたのだろうか?


 それとも、神社のことがどうであれ、実の父親を隠すべきではなかったのでは?

 今信也さんが抱えている悲痛を考え合わせると、法子の頭は混乱してしまう。

 

「青造は青造で、好きなように生きてみろ、ここで見守ってるから、ちゃんと見ていてやるからって気持ちで一緒に住んでいた。


 だが勘のいい信也のことだ、周りの人や、(あき)(ふみ)、青造の態度からどんどんわかってきた。氏子の誰かに(しゅ)(ぎょう)さまそっくりだと言われたことがあって、長慶家(ながよしけ)を母方、加藤の親戚だと思っていたのが、違う、父親の親戚らしいと気がついた。


 いつまでも隠し通せることでもない。青造は自分が父親だと告げた。

 それでも親権は奈緒子さんにある。お母さんが堀内姓になれば自動的に信也もなってしまう。信也はそれを嫌がって、お父さんの名前になりたいと言い張った。


 だが長慶にしてしまうと、それはうちの一族の宗家の名だ。青造、春雄、彬文、三人と同じで問答無用に神官をせざるを得ない。それで阪口にしたんだ。青造の母親は私の叔母、阪口ちえだから」

 

 すぐには法子の頭に入って来なかった。

「どうして一緒に住まなかったの? どうして京都に来たの?」


「信也はね、お父さんが誰か知ったときに大声で泣いて、全てのジグソーパズルがぴたっとハマった気がしたそうだ。どれ程大切に愛されてきたかわかってしまったんだよ。そして探していた相手は青造という、すごいヤツだったんだ。

 

 他の誰がわからないことでも、青造だけは信也が表現したいことがわかる。歌も踊りもピアノを弾いても琴を奏でても。話せば話すほど、側にいればいるほど、ふたりはお互いがどんどんわかってしまう。


 青造は、当代様としては威厳を保っていたけれど、元々明るくて、ちゃめっ気があり情にもろい、人間味溢れる男だ。信也はそのまま凄い勢いで青造を好きになってしまった。普通にお父さんが好きっていうよりももっと、もっと」


「そうか……」


「それで少し距離を置く必要があったんだ。でも突き放されたら会いたくなる。やっと見つけたお父さんだ、京都に来てもずうっと思い続けてた。


 青造は神官になんてならなくていいと思っていたのに、信也はお社にいれば青造の話が聞ける、お祭りには会える。親子ではいられなくても、祖父と孫、当代様と京都本社の神官候補、縁が切れることはない、そう思って修業を続け、立派な神官になってしまった」


 祖父はそこでため息をついた。


「あのふたりはテレパシーで通じ合うようなところがあって。高校一年の夏休みだったから、今の法子と同じ年頃だ、信也は学校に行かず、ふらふらしていた。


 何を思ったか、京大キャンパスに潜りこんで不良にからまれ、殴られて入院したことがある。

 青造は丹沢にいて、同じ時期水ごり中に倒れた。彬文が見つけてすぐ救急車を呼び、二週間ほど入院していた。


 その同時期の入院中に青造はお互い大人として、信也と腹を割って話し合うことを決めた。それで信也の誕生日に(たっ)(さい)の儀をした」


 法子が初めて巫女を務めた信也さんの十六の誕生日のお祝い。

 彼が眩しかったのは大好きなお父さんときちんと話ができたからだった。そう思うと複雑な気持ちがした。

 

「その後、信也が輝くほど幸せだったのはおまえも憶えているだろう? お父さんさえ僕を見ていてくれれば何でもできるといった雰囲気だった。

 

 高校生活、神社の神職、受験勉強、全てをさらりとこなして東京の大学に合格してみせた。青造が逝くのが早すぎた。せめてもう少し、信也に時間があれば……。


 いや、だが、よかったのかもしれん、信也の人生はこれから始まるのかもしれない。きっと、そうだ、私はそう信じたい」


 祖父の声はだんだん小さくなって、自分に言い聞かせるように終わった。



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