第六十三話 パン戦争
「――総員、緊急会議だ」
王国兵站局本部、中央第1会議室。
集まった職員たちの表情は、いつになく真剣、というか完全なる真顔だった。
その席には、なぜか視察中だった王女の姿もあり、さらには護衛のセレフィナ、さらには二代目砦喰らい、そして世界喰らいの代表(現在は人間の大人サイズに縮小中)までが同席している。
なぜなのか。
ホワイトボードに大書された議題は、ただ一つだった。
【重要案件:王都特製パン深刻な不足問題について】
あまりにも緊迫感のない文字を前に、異界少女が両手で頭を抱えて低く呻いた。
「……世界を滅亡から救った超重要組織が、朝一番でやる会議の内容じゃないです、これ……」
「俺だってそう思う。だが、これは我が局における最優先事項だ」
何しろ、世界喰らいたちは飯の有無に文字通り命(というか本能)を懸けている。
彼らにとってこれは、世界防衛の根幹に関わる重大なバグ報告なのだ。
その時、世界喰らい代表が厳かに立ち上がった。
『――我が同胞を代表し、兵站局長へ要求がある』
(嫌な予感しかしない)
『あの至高のパンを、早急に増産してほしい』
即答だった。
それを受けて、物資管理担当の職員が手元の資料をめくりながら現状を報告する。
「現在、王都市内の全ベーカリーと兵站局直属の窯をフル稼働させ、一日十万個を生産していますが……」
『足りない』
「では、第二農場の小麦を回して一日二十万個に増産する予定ですが……」
『足りない』
「……い、一気に一日五十万個までラインを跳ね上げるというのは……」
『全く足りない。話にならない』
どれだけ食う気だ。
お前らの胃袋は本当に宇宙と直結しているんじゃないか。
すると、別の窓口担当の職員が、怯えたようにガタガタと震えながら追加の資料を差し出してきた。
「きょ、局長……! さらに問題が発生しました。最近、我が王国の周辺諸国、果ては遠方の他国からも、兵站局宛てに大量の注文書が届き始めています!」
王女が驚きに目を丸くする。
「他国から? 一体何の注文ですか?」
「はい、これです……」
配られた資料の束には、各国の国家紋章が押された正式な発注書が並んでいた。
だが、その発注品目の欄には、狂ったように同じ文字だけが並んでいる。
『王都特製パン(カツサンド)』
『王都特製パン(3万箱)』
『王都特製パン(大至急)』
全部パンだった。
どうやら、一か月前の大炊き出しの際、世界を滅ぼすはずの超巨大怪獣たちが「美味い、美味い」と涙を流してパンを貪り食う姿を世界中の商人が目撃しており、「あのバケモノたちが世界を侵略するのをやめるほど美味いパンとは何事だ!?」と、王国中で大流行してしまったらしい。
意味が分からない。完全な風評被害(?)による大ヒットだった。
その時、会議室の隅で重低音の駆動音を響かせ、二代目砦喰らいがスッと右手のクレーンを挙げた。
『――私から、局長へ提案がある』
(もっと嫌な予感しかしない)
『工場を建てる』
職員たちが一斉にカチコチに固まる。
二代目の提案は、いつもスケールが斜め上を突っ切るのだ。
砦喰らいは重々しく続けた。
『兵站局直轄、超巨大パン製造工場』
(嫌な予感しかしない)
『魔導オーブン千基を配備、二十四時間連続稼働』
(もっと嫌な予感がする)
『そして、出来上がったパンを即座に格納する、超大型倉庫六百棟を敷地内に併設する』
いつものやつ(倉庫増築)だった。
その瞬間、建築課と予算管理の職員たちが椅子から転げ落ちんばかりに悲鳴を上げる。
「だから! 事前の許可なしに勝手に敷地を増築しないでくださいと言っているでしょう!!」
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その頃、王都の中央市場では、本当に影も形もパンが消え失せていた。
毎朝、焼き上がる端から一瞬で売り切れる。
店の前には、お目当てのパンを買いにきた一般の住民が並び、他国へ輸出したい商人が並び、携帯食にしたい冒険者が並び――そして、その後ろに全高数メートルの世界喰らいが大人しく並んでいた。
最後尾だけ圧倒的に空間の圧が強い。
パン屋のおじさんは、粉まみれになりながら半泣きで生地を捏ねていた。
「焼いても焼いても、一瞬で消えちまうんだ! 誰だ、あんなデカブツどもにパンの味を教えた奴はーっ!」
王都全体を巻き込んだ、完全に異常な社会現象だった。
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そんな大混乱の会議室へ、バタバタと足音を立てて王宮からの使者がやって来た。
使者は一礼すると、国王陛下の直筆サインが入った、金縁の立派な命令書を俺に差し出した。
「兵站局長レクト様、陛下より緊急の御言伝にございます」
俺は命令書を広げ、目を通す。
そして、そのまま彫刻のように固まった。
王女が心配そうに横から覗き込んでくる。
「どうしたのですか、レクト。何が書かれて……」
俺はゆっくりと、魂の抜けたような声で答えた。
「……パンの増産が、国策になった」
静寂。
会議室の空気がカランと凍り付く。
差し出された特級命令書には、王国の最高印章と共に、力強い筆跡でこう書かれていた。
本日を以て、王都特製パンを王国最重要『戦略物資』に指定する。
兵站局長レクトは、あらゆる権限を用いてその供給ラインを盤石なものとせよ。
意味が分からない。
パンが国家を揺るがす戦略物資に昇格してしまった。
異界少女が立ち上がり、頭を抱えて絶叫した。
「なんでですかーっ!? おかしいでしょ、この国!!」
その疑問に対する答えは、誰にも分からなかった。
だが、管理者の命令と国王の国策が重なった以上、我が兵站局の動きは光速だった。
その日のうちに、王都郊外の広大な国境荒野で、大地を揺るがすような巨大工事が開始された。
【王国兵站局:総合監修】
【二代目砦喰らい:設計・施工】
【世界喰らい労働組合:重機代替協力】
完成予定――三日後。
変わり果てた荒野を遠隔モニターで見つめながら、王女はぽつりと遠い目をして呟いた。
「……ふふ、もう、誰もこの勢いを止めることはできませんね」
「全くだ。俺の管轄、いつの間にか兵站局じゃなくて巨大食品メーカーになってないか?」
俺は執務室の窓を開け、遠くの空を見上げる。
地平線の向こうには、三日後の稼働に向けて着々と組み上がっていく巨大な工場の煙突、山脈のような倉庫群、そして超大型のパン窯のシルエットが見える。
そしてその周囲では、完成を今か今かと心待ちにしている数百体の世界喰らいたちが、実におとなしく、嬉しそうに地べたに座って作業を眺めていた。
平和だった。
少なくとも、彼らが飢え狂って世界を滅ぼそうとしていたあの絶望的な危機に比べれば――今のこのパン狂騒曲は、ずっと、ずっと平和だった。




