第六十二話 王国兵站局の日常
王国兵站局。
それは王都の中心部に建てられた、見上げるほどに巨大で真新しい石造りの建物だった。
本来なら、国家の物流と補給をすべて管理する最重要機関として、厳格で、真面目で、これ以上なく堅苦しい場所になるはずだった。
だが、現実は違った。
「局長――っ!!」
朝一番。
執務室の重厚な扉を勢いよく跳ね開けて、一人の職員が血相を変えて叫んだ。
「第三区倉庫のパン在庫が、今朝方すべて消滅しました!」
俺は並べられた書類から顔を上げる。
「消滅? 盗難か、あるいは他国によるサボタージュか?」
「いえ……」
職員は、なんとも言えない遠い目をして答えた。
「世界喰らいです」
(またか)
俺は心の中で盛大なため息を吐いた。
そしてペンを置き、急ぎ足で現場の第三区倉庫へと向かう。
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倉庫へ到着すると、そこには大陸サイズの巨体を無理やり数メートルほどに縮めた世界喰らいが、建物の脇でちょこんと『正座』していた。
どうやら本人なりに深く反省しているらしい。
その周囲には、文字通り空っぽになった木製のパン箱が山のように積み上げられていた。
俺は腕を組んで、その巨大な瞳を見上げる。
「何個食べたんだ」
『……百二十万個』
「食べすぎだろ」
後ろに控える職員たちも、揃って頭を抱えていた。
一国の軍隊が一ヶ月で消費するレベルの量を一朝食で平らげている。
すると、世界喰らいはさらに申し訳なさそうに身体を縮こまらせた。
『……だって、すごく、美味しかったから』
あまりにも素直だった。
そんな子供のような理由を言われると、逆に怒りにくい。
俺は片手で額を強く押さえた。
「……次からは必ず、事前に申請しろ」
『しんせい?』
「そうだ。勝手に食べるな。分かったな?」
『分かった』
本当につむじの先ほども分かっているのか怪しかったが、一応の決着はついた。
と、その時。
別の方向から、またしても職員が全力疾走でこちらへ走ってきた。
「きょ、局長ーっ!!」
もはや嫌な予感しかしない。
「今度は何だ」
「第二農場で、世界喰らいたちが働きすぎて、収穫予定が『一年分』前倒しになりました!!」
意味が分からない。
俺は今度は現場である王都郊外の第二農場へと向かった。
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そこには、数十体の世界喰らいたちが、それぞれの巨体を器用に操りながら、綺麗に整地された見渡す限りの大農園でテキパキと作業をこなしていた。
出迎えた農場長は、嬉しさよりも混乱が勝った涙目で訴えてくる。
「レクト局長、あいつら仕事が早すぎるんです! 一ヶ月かかるはずの収穫と耕作を、ものの数時間で終わらせてしまって……!」
世界喰らいたちは、俺の姿を見つけると、どこか自慢げに精神波を飛ばしてきた。
『レクト、褒めてほしい』
『いっぱい収穫したぞ』
『畑の面積も、あっちの山まで増やしておいた』
『ついでに、川から新しい用水路も引っ張ってきたぞ』
やりすぎだ。
完全にオーバーテクノロジーならぬオーバーワークである。
だが、山積みにされた作物の収穫量は間違いなく過去最高。
おかげで王国は今、歴史に残る空前の大豊作を迎えていた。
その頃、俺がいない兵站局本部では、さらに別の問題が勃発していた。
本部へ戻るなり、別の窓口の職員が悲鳴を上げる。
「局長!」
「……ああ、今度は何が起きた」
「二代目砦喰らいが、本部の裏手で勝手に倉庫を増築しています!」
またあいつか。
急いで裏庭へ向かうと、そこでは二代目砦喰らいが、自身の武装である巨大なハンマーを大振りに振るっていた。
――ドゴン! ドゴン! ドゴン!
凄まじい地響きと共に、新しい巨大な倉庫が、まるで魔法のように異常な速度で組み上がっていく。
「おい、何をしてるんだ!」
俺が下から声をかけると、二代目砦喰らいはガシャガシャと胸の装甲を張って得意げに言った。
『在庫が増えた』
「うん」
『今の倉庫じゃ足りない』
「うん」
『だから、私が自分で増やした』
理屈は正しい。
言っている理屈だけは、完璧に合っている。
だが、担当の建築課の職員たちは半泣きだった。
「建物を建てる時は、事前に許可申請書を出してくださいって言ったじゃないですか!」
『申請書は、ちゃんと出したぞ』
「昨日ですよね!? 審査に一週間はかかります!」
『……待てなかった(・・・・・・・)』
待てよ。
そんな大騒ぎの現場へ、華やかなドレスを纏った王女が、護衛を引き連れて視察にやって来た。
最近、彼女は何かと理由をつけては頻繁に兵站局へやって来る。
理由は知らない。
たぶん、国家規模の流通を監査する仕事の一環だろう。
きっとそうだ。
「ふふ、今日も本当に楽しそうですね、レクト」
王女はくすくすと笑っている。完全に他人事だと思って楽しんでいた。
俺は執務室に戻るなり、机の上に山積みにされた書類の束を指差す。
「どこがですか。見てください、この地獄のような量を」
机の上を埋め尽くしていたのは、
王国全体の予算書。
各区の倉庫拡張計画書。
天文学的な数字が並ぶ食料管理表。
世界喰らい用配給計画。
第二農場拡張申請。
そして、二代目砦喰らいによる新規倉庫建設の事後承諾案。
完全に書類の山脈だった。
王女は楽しげに笑いながら、執務室の大きな窓の外へと視線を向けた。
「でも……」
その先には、平和に満ちた王都の景色があった。
活気に満ち溢れた市場。行き交う人々。
そこかしこで見られる、弾けるような住民たちの笑顔。
「――これが、あなたが守った世界ですよ」
その言葉に、ペンを動かしていた俺の手が、少しだけピタリと止まった。
確かに、いろいろなことがあった。
勇者パーティを理不尽に追放され、途方に暮れ、戦いに巻き込まれ、最後には世界を喰らう化け物の群れまで出てきた。
だが、今はこうして平和だ。
少なくとも、この世界に生きる誰もが、飢えることなく笑っている。
その時だった。
執務室の頑丈な木製の扉が、凄まじい衝撃と共に内側へ吹き飛んだ。
――ドォォォォォォン!!!
「な、何事ですか!?」
王女の護衛たちが一斉に抜刀し、全員が入り口を振り返る。
そこに立っていたのは、一匹の巨大な世界喰らいだった。
大急ぎでここまで走ってきたのか、肩を大きく上下させて息を切らしている。
俺の脳内の防災アラームが、本日最大の音量で鳴り響いた。
「どうした。……何か事件か?」
空気が張り詰める。
新たな敵の襲来か、あるいは世界の境界線に異常が起きたのか。
誰もが最悪の展開を覚悟した、その瞬間。
世界喰らいは、これ以上なく真剣な顔で、衝撃の事実を告げた。
『――大変だ、レクト。街のパン屋の『王都特製パン』が、すべて売り切れている……!!』
静寂。
張り詰めていたすべての空気が、一瞬で文字通り無に還った。
俺はゆっくりと椅子の背もたれから身体を起こし、静かに立ち上がった。
「――総員」
職員たちが、キリッとした表情で一斉にこちらを振り返る。
「緊急の物資融通会議だ。これより、王都中の全ベーカリーへ、小麦とカツの特急配給ルートを構築する」
「ぷっ……あはははは!」
ついに耐えかねた王女が、上品な仕草を忘れて盛大に吹き出した。
こうして今日も、王国兵站局の一日は、この上なく平和に過ぎていく。
元・荷運び屋の局長と、飯のために世界を守る怪使いたちの、美味しくて騒がしい日々は、これからもまだまだ続いていきそうだった。




