第六十話 世界最大の炊き出し
「――全宇宙規模の、炊き出しの量」
俺がそう言った瞬間。
コントロールルームの全員が、示し合わせたように揃って頭を抱えた。
異界少女がデスクをバンバンと叩きながら叫ぶ。
「無理です! 正気の沙汰じゃありませんって!!」
王女も激しく首を横に振って詰め寄ってくる。
「レクト、相手は世界を何百個も滅ぼしてきた本物の神格ですよ!? その数百体に炊き出しなんて……!」
セレフィナも完璧な真顔で、冷酷な現実を突きつけてきた。
「普通、あれだけの絶望を前にしたら戦力計算をして撤退か玉砕かを選ぶ場面です。なぜ食糧の計算をしているのですか」
その指摘は、ぐうの音も出ないほどに正論だった。
だが、俺は不敵に笑いながら、管理者権限の在庫一覧をさらにスクロールしていた。
そのままシステムの根幹、これまで一度も開いたことのない領域へとアクセスする。
すると、新しいポップアップ画面が目の前に表示された。
【プロトコル:超長期備蓄倉庫】
【閲覧権限:現管理者レクトのみ】
「あれ? ……なんだこれ」
前任者から引き継いだ記憶にもない隠しフォルダ。
不審に思いつつも、俺はその権限を使って深く開いてみる。
そして、固まった。
俺のあまりの変貌ぶりに、異界少女が引きつった嫌な顔になる。
「な、何があったんですか……。まさか、中身が全部爆薬だったとか言わないでしょうね?」
俺は震える指先で、画面に表示された文字をじっと見つめた。
「巨人レクト……。あの野郎、生前一体何を考えてこれだけのものを溜め込んでやがったんだ……?」
王女が恐る恐る俺の肩越しに画面を覗き込む。
次の瞬間、コントロールルームは完全な沈寂に包まれた。
【超長期備蓄倉庫・在庫データ】
保存食:二百七十億食
小麦:九千億トン
果物:三百億個
非常食:百二十億食
王都特製パン:三億個
背後で、監視者がぼそりと呟いた。
「……貯めすぎだ」
本当にその通りだ。
国家どころか、宇宙規模の戦争を数百年維持しても絶対に使い切れない。
どこまで貯め込んでいたんだ、あの巨人は。
そのデータの隅に、巨人レクトが残した直筆の記録メモがひっそりと表示された。
備蓄は裏切らない。
足りないより余る方がいい。
ちなみに王都特製パンは重要。
最後の一文だけ相変わらず私欲が混じっている。だが、これだけの量があるのなら――。
足りる。
絶対に、足りる。
俺は思わずニヤリと笑った。
「……いけるな」
異界少女がサッと青ざめる。「ほ、本気ですか?」
「ああ、大真面目だ。うちは物流と補給の世界(倉庫)だからな」
その時だった。
世界の外側、割れた空間の向こうから無数の世界喰らいたちが、ついに本格的な侵攻を開始した。
ビキビキと砕け散る世界の境界線。
そこから這い出てくる、星系をも呑み込む無数の怪物たち。
一体ごとに一つの世界を確実に終わらせられる、本来なら絶対に抗えない絶望の象徴。
だが、俺は怯むことなく管理者権限を最大出力で起動した。
『――収納世界の全住民、および全軍へ告ぐ』
空がまばゆく光り、世界全域へ俺の声が響き渡る。
『これより――前代未聞の「大炊き出し」を開始する』
世界中から盛大なざわめきが巻き起こる。
誰もが「炊き出し?」と耳を疑った。
俺は一呼吸置き、その『客』を指差して続きを告げた。
『目標、世界の外側にいる世界喰らい全員だ! 腹を空かせた客を、一人残らず満腹にして帰すぞ!!』
静寂。
誰も、管理者が何を言っているのか理解できなかった。
だが、この世界を支える最高の創造主軍は、俺の突飛な命令に即座に動き出した。
兵士たち、住民たち、宮廷料理人たち、農家たち、そしてパン職人たち。すべての者が、武器を置いて調理器具を握り締めた。
王都では巨大な魔導窯が一斉に火を噴き、海上都市では捕れたての巨大魚を使った料理が次々と大鍋に放り込まれ、砂漠国家ではスパイスの効いた保存食が目にも留まらぬ速さで準備されていく。
収納世界全体が、一つの巨大な「厨房」へと変貌を遂げたのだ。
世界の外側から侵入してきた世界喰らいたちの群れは、完全に困惑していた。
『……何をしている?』
『攻撃の魔力ではないのか?』
『なぜ、我々に向けて武器ではなく、妙な煙(湯気)を放っているのだ?』
当然の戸惑いだ。
滅ぼしにきた世界が、一丸となって料理を作っているのだから。
その時、二代目砦喰らいの背中からクレーンで吊り下げられた巨大な鍋が、最初に現れた世界喰らいの目の前へと差し出された。
中には、肉と野菜の旨味がこれでもかと凝縮された、並々と注がれた特製スープ。
ふわりと、香ばしく温かい香りが混沌の闇へと広がっていく。
世界喰らいは戸惑いながらも、恐る恐るそのスープを口へと運んだ。
静寂。
数秒の後、怪物の巨大な目が見開かれた。
『……美味い(・・・)』
その満ち足りた精神波が、共鳴するように他の世界喰らいたちへ瞬時に伝わった。
次の瞬間、世界の外側で大混乱が巻き起こった。
『私にもくれ!』
『おい、その香ばしい塊は何だ!?』
『果物をこちらへ回せ!』
『スープのおかわりを追加だ!』
混沌の闇から、無数の巨大な手が、まるで食堂の列に並ぶように整然と伸びてくる。
その信じられない光景を見つめながら、王女が呆然と呟いた。
「……本当に、大人しく並んで食べていますね……」
セレフィナも、持っていた剣を鞘に収めて信じられないという顔をしていた。
世界を滅ぼしてきた最凶の怪物たちが、完璧なマナーで炊き出しの列に並んでいるのだ。
その光景を眺めながら、監視者が静かに、どこか感慨深そうに口を開いた。
「宇宙の長い歴史を観測してきたが……こんな方法で世界滅亡の危機を解決した例は、ただの一度も見たことがない」
その時、中央モニターの数値が劇的に減少し始めた。
【世界侵食率:10%】
【世界侵食率:5%】
【世界侵食率:1%】
世界を覆い尽くそうとしていた漆黒の霧が、嘘のように消えていく。
彼らの世界を喰らう衝動――その根底にあった「飢餓」が、俺たちの補給物資によって急速に満たされ、消え去っているのだ。
世界喰らいたちは、生まれて初めて知ったのだ。
世界には、貪り喰らう以外の価値があることを。
料理を作る者がいることを。
それを完璧に運ぶ者がいることを。
そして、それを惜しみなく分け合う者がいることを。
その喧騒の中心で、俺はコントロールルームのデスクに座り、文字通り山積みになった大量の物資帳簿のデータと睨み合いながら、ふぅ、と深いお荷物を吐き出した。
「はぁ……。結局、こうなるのか」
王女がその様子を見て、クスリと楽しそうに笑う。
「何ですか、レクト?」
俺は苦笑交じりに、手元の端末画面を叩いた。
「……世界が滅びかける大決戦の結末がこれかよ。俺、最後までただの『補給担当(運び屋)』だったな」
その言葉に、異界少女も、セレフィナも、そして監視者さえもが、温かい笑声を上げた。
世界の外側では、まだまだ怪獣たちによる配給の手が止まらない。
星々を救う世界最大の炊き出し大会は、どうやらまだまだ、終わりそうになかった。




