第五十一話 解放
――ゴン。
――ゴン。
――ゴン。
不気味なほどの一定のリズムで、大陸サイズの巨大な鉄門が内側から揺れる。
収納世界の最北端、第零封鎖区画。
そこに閉じ込められている「何か」が、明確な意思を持って外へ出たがっていた。
その様子をモニターで見ていた異界少女は、恐怖のあまり完全に半泣きだった。
「ぜ、絶対ダメです! こういう歴史的な封印は、開けたら確実に世界が滅ぶって相場が決まってるんです!」
「俺もそう思う……」
俺の至極まともな呟きに、王女も青ざめた顔で激しく同意する。
「ええ、物語なら確実に失敗して全滅する流れです」
セレフィナも完璧な真顔で冷酷な確率を弾き出した。
「九割九分、状況が悪化します。敵が増えるだけですわ」
全員が全力で反対。
開けるな、絶対に。
だが――ただ一人、あの監視者だけはどこまでも合理的で、冷徹だった。
「状況は既に最悪だ。これ以上悪化する余地などない」
反論できなかった。
その言葉を裏付けるように、コントロールルームに新たな緊急警報が鳴り響く。
【第三防衛線、崩壊】
【世界侵食率:二十八%】
【住民の避難、遅延中】
メインモニターに映し出される都市の映像。
世界喰らいが模倣した黒い侵食体の大軍が、容赦なく防衛線を破って街へと押し寄せていく。
血を流して倒れていく防衛軍の兵士たち。
絶叫しながら逃げ惑う住民たち。
……もう、猶予は一分一秒たりとも残されていなかった。
俺は北方荒野にそびえ立つ、巨大な扉をじっと見つめた。
そして、重いため息を一つ吐き出す。
「……まあ、聞くだけ聞いてみるか」
「は?」と、全員が硬直した。
異界少女がひっくり返った声で叫ぶ。
「は、話が通じるんですか、あの化け物と!?」
「さあ、知らない。試すだけだ」
俺は覚悟を決め、手元の端末から「管理者権限」の通信ラインを強制起動した。
北端の封印門へと、俺の意思と声をダイレクトに叩き込む。
『――おい。中にいるやつ、聞こえるか?』
静寂。
数秒の間、何も返ってこない。
やはり知性のない怪物なのか。
やっぱり駄目か、そう思った瞬間だった。
――ゴォォォォォォォォン!!!
スピーカーが割れんばかりの轟音と共に、扉全体が激しく震えた。
前線の兵士たちが恐怖で悲鳴を上げる。
そして、その地鳴りのような振動の奥から、低く、重苦しい声がはっきりと響いてきた。
『……聞こえる』
鼓膜を圧迫するような重圧。
だが、その声は――意外なほどに、理性的だった。
異界少女も王女もセレフィナも、完全に開いた口が塞がらない。
本当に話せるのか、こいつ。
俺は唾を飲み込み、さらに問いかける。
『お前は、誰だ?』
数秒の沈黙の後、返ってきた言葉は、
『……砦喰らい』
そのままだった。元も子もない直球の答えに、異界少女が頭を抱えて座り込む。
「やっぱり本人(本物)だったぁぁぁ!!」
怯える一同を余所に、扉の向こうの声は淡々と続けた。
『正確には、二代目、だ』
またしても嫌な単語が出た。
王女の顔が引きつる。
「本当に、中で増えてますね……」
「巨人レクトの奴、本当に余計なことしかしてねえな」
俺が内心で毒づいていると、扉の向こうの二代目・砦喰らいは、どこか憂いを帯びた声でこう告げた。
『父は、弱かった』
世界が、シンと静まり返った。
……父?
『一度ならず、二度、三度と管理者に収納され、ただの倉庫の一部と化した。実に、情けない』
砦喰らいが、重々しくため息を吐き出す。
お前、化け物のくせに父親の不甲斐なさにため息とか吐けるのか。
その奇妙な光景に、監視者がぽつりと呟いた。
「なるほど、突然変異個体か。知性を獲得している」
二代目は誇り高く言葉を続ける。
『だが、私は違う。私は、前任の管理者に育てられた』
全員が固まる。
管理者。
つまり、俺にすべてを押し付けて光になって消えた、あの巨人レクトだ。
本当に、嫌な予感しかしない。
『徹底的な、教育を受けた』
「……何を教わったんだ?」
俺が恐る恐る尋ねた、その瞬間。二代目は澱みなく即答した。
『――物流』
完全なる静寂。
コントロールルームの空気が完全に消え去った。
異界少女はその場にへたり込み、王女は両手で顔を覆い、セレフィナは天を仰いで現実逃避を始めた。
ただ一人、監視者だけが納得したように目を閉じる。
「やはりか」
「やはりじゃないわ!!」
俺は叫びたかった。
なんで世界を滅ぼすレベルの災厄の化け物に、よりによって物流の英才教育を施しているんだ、あの巨人は!
すると、封印の向こうから、少しだけ不満げな尖った声が聞こえてきた。
『私は、戦いたかった。砦喰らいの血のままに、すべてを喰らい尽くしたかった。だが、管理者は私に言ったのだ。――「戦いたければ、まず帳簿を覚えろ」と』
巨人レクト、お前は隔離区画で一体何をやってたんだ。
化け物をワンオペの倉庫番にでも仕立て上げようとしていたのか。
その時、中央モニターが赤く激しく明滅した。世界喰らいの軍勢が、いよいよ最終防衛線へと接触。
【警告:第二防衛線、交戦開始】
タイムアップだ。
もうこれ以上、一歩も引けない。
すると、扉の向こうの二代目砦喰らいが、静かに、だが地響きのような威厳を持って告げた。
『新しき、管理者よ。……命令を』
俺はモニターに映る巨大な扉を見つめ、それから隣の監視者を見た。
監視者は何も言わず、ただ深く頷く。
「選べ、レクト」
解放すれば、世界喰らいをも噛み砕く最強の切り札。
だが一歩間違えれば、この世界そのものを終わらせる最悪の災害。
俺は一瞬だけ目を閉じ、深く息を吸い込んで、二代目に告げた。
『一つだけ、聞く』
『……なんだ』
『お前、外に出たら、この世界の人間を襲うか?』
数秒の静寂。張り詰めた緊張感の中、二代目砦喰らいは、極めて真面目で理路整然とした声で答えた。
『――物流の補給担当は、顧客や現場を襲わない。それが、我が師レクトの鉄則だ』
(……そこ限定なのかよ!)
突っ込みたかったが、その「レクトの鉄則」とやらに、今は救われた。
その瞬間、俺の意思を読み取ったかのように、メインモニター中央の封印制御画面が眩い光を放ち始めた。
【管理者承認:待機中】
【プロトコル:世界運営機能・封印全面解除】
【カウントダウン開始――残り10秒】
どうやら、この収納世界のシステムは、新管理者の俺を巻き込んで勝手に話を進める気満々らしかった。
俺は腹を括り、承認ボタンへと手を伸ばした。




