第四十七話 補給線
『遊ぼう』
世界喰らいがそう告げた瞬間、収納世界全域に黒い侵食体が容赦なく降り注いだ。
黒い竜が空を覆い、黒い獣が大地を埋め尽くし、黒い巨人が防壁を叩き割る。
各地のモニターから次々と悲鳴が上がり、都市が炎に包まれ、防衛線の崩壊を告げる避難警報が鳴り響く。それは一国や一地域の紛争ではない。世界そのものを巻き込んだ、完全なる世界戦争の幕開けだった。
「第八区画陥落! 侵食体の侵入を許しました!」
「北部防衛都市も交戦開始! 敵の数が多すぎます、防衛線が保ちません!」
「侵攻速度が速すぎます! 予測演算が追いつかない……!」
オペレーター席の異界少女が狂ったように端末を叩きながら叫ぶ。
王女もその凄惨な戦況マップを見つめ、険しい表情で唇を噛んだ。
「これでは、どこに軍を集めても間に合わない……!」
その通りだった。敵は同時に、あらゆる場所へ現れている。
世界が広すぎるのだ。そして敵が多すぎる。どこか一箇所を重点的に守れば、手薄になった別の場所が確実に蹂躙される。このままではジリ貧だった。
その時、一段高い席から監視者がじっと俺を見つめてきた。
「どうする」
試されている気がした。世界を支える管理者として、この最悪の盤面をどう動かすのかと。
俺は融合した感覚を研ぎ澄まし、収納世界のすべてを見渡した。
頭の中には、全都市の状況、張り巡らされた全街道、世界中に点在する全倉庫、そして必死に戦う全住民のバイタル――すべての情報がリアルタイムで流れ込んでいる。
そして、俺はある事実に気づいた。
「あれ……?」
「どうしました、レクト殿!?」
異界少女がすがるように振り返る。
「敵の移動速度より、俺が補給する速度の方が圧倒的に速いな」
静寂。
俺の呟きに、王女がパチパチと目を瞬かせ、セレフィナも思考がフリーズしたように固まった。
「……はい?」
俺は中央のホログラム地図に、収納世界全域の情報を表示させた。
大陸全体に、無数の赤と青の光点が浮かび上がる。赤が敵の侵食体、青が味方の防衛軍だ。
それを見つめているうちに、俺の口元から自然と笑みがこぼれていた。
「これ、戦争じゃないわ」
全員の視線が俺に集中する。俺は地図の青い光点を指差して言った。
「ただの『物流』だ」
その言葉を聞いた瞬間、あの無表情な監視者がフッと口元を緩めて少しだけ笑った。彼がそんな表情を見せたのを、俺は初めて見た。本当に、ほんの少しだけだったけれど。
その頃、最前線の一つである北部防衛都市では、絶望的な戦いが繰り広げられていた。
押し寄せる侵食体の群れを前に、兵士たちは完全に疲弊しきっていた。
「クソッ、弾薬が足りない!」
「魔力回復薬も残り少ないぞ! 前線が維持できない!」
「もう無理だ、突破される……!」
誰もが死を覚悟した、その瞬間だった。
兵士たちの頭上の空が、不自然にぐにゃりと歪み、大きく開いた。
「なんだ……!? 上空に敵か!?」
兵士たちが見上げる。
次の瞬間――ドサドサドサドサッ!!!
天から雨のように、大量の木箱が降ってきた。
あまりの光景に、突撃しかけていた侵食体すら足を止める。箱の隙間から覗いていたのは、大量の弾薬、山積みの食料、最高級の回復薬、そして新品の予備武器。すべてが、今この瞬間に現場が最も欲していた物資だった。
唖然として固まる兵士たち。
「な、なんだこれ……!? どこから降ってきた!?」
見れば、その木箱の表面には、見慣れない文字が堂々とスタンプされていた。
【創造主物流便】
(……誰だ、収納世界の中でそんな恥ずかしい名前のブランド立ち上げた奴は。後で問い詰めよう)
一方、中央王都ではさらに別の現象が起きていた。
世界喰らいの衝撃で派手に崩壊した巨大な第一防壁。侵食体がそこから街へなだれ込もうとした瞬間、その目の前の空間が爆発的にねじれ、ズドォォォォン!!と地響きを立てて「巨大な岩壁」が突如として出現した。
しかもそれは、ただの石壁ではない。かつて俺が仕事で邪魔だからと丸ごと収納した、山脈の一部だった。
防衛司令官が剣を落としそうになりながら絶叫する。
「ば、壁が生えたぞ!? いや、山が降ってきたのか!?」
その頃、緑豊かな南部地域では、侵食体の大軍が都市の目と鼻の先まで迫っていた。
絶体絶命の瞬間、突如として上空から、かつて俺が雪山で収納した『雪巨人』たちがまとめて自由落下してきた。
ドゴォォォォン!!!
凄まじい質量兵器となった雪巨人たちが、侵食体の群れを容赦なく押し潰す。それだけでなく、起き上がった雪巨人たちは咆哮を上げ、残った敵をなぎ倒し始めた。
地元の兵士たちが頭を抱えて叫ぶ。
「なんで昔俺たちを襲ってきた魔物が味方してんだよ!?」
俺だって分からない。どうやら収納世界の中で、住民たちにうまく飼い慣らされるか、共生関係を築いていたらしい。結果オーライだ。
コントロールルームでは、刻一刻と塗り替えられる戦況マップを見て、異界少女がガタガタと震えていた。
「て、敵の侵攻速度を……物資と戦力の強制配置速度が完全に上回っています……あり得ない……こんな防衛戦、見たことがありません……!」
セレフィナも息を呑み、ぽつりと呟いた。
「これは……軍による防衛ではないですね」
王女も深く、深く頷く。
「ええ。超空間規模の『補給網』そのものが、世界を守っているのです」
そう。結局のところ、俺の専門分野であり、一番得意なのはこれだった。
世界を守れと言われても、勇者みたいに剣を振るって戦う方法なんて知らない。俺は運び屋だ。だから、運び屋としてのやり方で、この世界を救う。
その時、次元の裂け目の奥から、世界喰らいの巨大な目がぎらりとこちらを睨みつけた。
怪物の目が、じわじわと細められていく。
『面白い』
その声には、さっきまでの傲慢な嘲笑ではなく、少しだけ――本当に少しだけ、戦いを楽しんでいるかのような響きがあった。
だが、その直後だった。
世界喰らいの巨大な身体の背後、さらに深い闇の奥から、それを遥かに凌駕するほどの「巨大な影」がゆっくりと姿を現した。
その影の質量がモニターに感知された瞬間、異界少女の顔から完全に血の気が引いた。
「そんな……嘘、でしょう……?」
部屋中に、これまで聞いたこともないような最大級の緊急警報がけたたましく鳴り響く。
【最上位侵食体反応】
【災害級を超過】
【分類不能】
メインモニターに映し出されたのは、あまりにも見覚えのある、だが規模が違いすぎる絶望の象徴だった。
――黒い『砦喰らい』。
しかも、かつて俺が戦い、苦労して収納した個体など比較にすらならないほど、文字通り星を噛み砕かんばかりの巨躯を持った、超巨大個体だった。




