第四十六話 管理者権限
『見つけた』
世界喰らいがそう告げた瞬間、収納世界全体が目に見えて震え上がった。
空がガラスのように軋み、大地は悲鳴を上げるように激しく揺れる。荒れ狂う海は巨大な津波となって海岸線を飲み込もうとしていた。まるで、世界という一つの生命体そのものが、絶対的な捕食者を前にして恐怖に震えているかのようだった。
だが――不思議と、俺の心は凪のように冷静だった。
巨人レクトと融合したからだろうか。今の俺には、この収納世界のすべてが手に取るように分かった。
そっと目を閉じてみる。
それだけで、頭の中に世界のありとあらゆる膨大な情報が、クリアな映像と数値になって流れ込んできた。
【東部第三都市。人口十二万人。避難率七十三%】
【北部山岳地帯。大型魔獣二百三十四体】
【中央王都。人口百二十万。食料備蓄残り二百七日分】
視界を遮る壁など存在しない。全部が見える。全部分かる。
コントロールルームのモニターに映し出される俺の脳波波形を見て、異界少女が悲鳴を上げた。
「じょ、情報処理量が異常です! 人間の脳が耐えられる数値を遥かに超えています!」
驚愕に目を見開いたセレフィナも、息を呑んで俺を見つめる。
「まるで……レクト殿自身が、世界そのものになったみたいですね……」
「俺も、なんとなくそんな気がする」
口を開くと、自分の声に世界の残響が混ざっているような奇妙な全能感があった。
その時、一段高い席から監視者が静かに頷いた。
「半分正しい」
相変わらず、含みのある嫌な言い方だ。
「管理者とは、世界そのものではない。世界を支える存在だ」
「なるほどな」
つまり、世界が崩れそうになったら俺の肩にそのすべての重量がのしかかってくるわけだ。改めて、とんでもなく責任が重い役職を引き受けてしまったと痛感する。
その時、収納世界の空が、さらに大きく引き裂かれた。
ズズズズズ……!!
現れたのは、悍ましい光沢を放つ巨大な黒い爪。世界喰らいの身体の一部だ。それ単体だけで、地平線を埋め尽くす山脈ほどの質量がある。
あまりの絶望的な光景に、前線の兵士たちが完全に青ざめた。
「でかすぎるだろ……あんなもの、どうやって防げばいいんだ……」
王女も白磁のような顔で息を呑む。
「あれが……世界喰らいの『幼体』だというのですか……」
成体がどれほど恐ろしいのか、今は絶対に考えたくなかった。
爪が、重力に従ってゆっくりと降下を始める。その落下予測地点は、よりによって人が密集する中央王都の直撃コースだった。今からではどうあがいても避難は間に合わない。
(……させ変えるか)
俺は無意識に、画面に向かってそっと手を伸ばした。
そして、新しく手に入れた「感覚」に従って、なんとなく思った。
――あそこへ、移そう。
次の瞬間、王都の頭上に迫っていたはずの山脈のごとき巨爪が、音もなく掻き消えた。
「え……?」
前線の兵士たちが固まる。王女も固まる。セレフィナも何が起きたか理解できずに固まる。
異界少女に至っては、持っていた端末を床に落とすことすら気づかないほど目を見開いていた。
「な、何が……」
慌ててモニターを確認する。
王都を滅ぼすはずだった巨大な爪は、そこから何千キロも離れた、収納世界の「無人荒野」へと綺麗に移動していた。
衝撃波が荒野を吹き飛ばす映像を見ながら、監視者が静かに呟く。
「空間転送」
(……本当にできるんだな)
仕掛けた俺自身が一番驚いていた。
すると、頭の中へ新たなシステムログが次々と流れ込んでくる。
【管理者権限:解放】
【空間転送】
【区画生成】
【地形修復】
【資源再配置】
【管理者通信】
なんだか、使える機能が一気に増えた。
カチカチと震える手で端末を拾い上げた異界少女が、上ずった声で言う。
「こ、これは……世界運営機能です……!」
まるで神様のシミュレーションゲームでも遊んでいるような感覚だ。
だが、そんな俺の抵抗を見て、次元の裂け目の奥で世界喰らいが低く笑った。
『面白い』
初めて、その怪物から感情らしい響きが感じられた。
こちらを凝視する巨大な目が、愉悦に細められる。
『前任者より、強い』
ちっとも嬉しくない評価だった。
そして、世界喰らいの周囲の空間に、ぽつぽつと無数の小さな黒い穴が開き始める。その数は、数十、数百、いや――数千。
全員の顔色が、一瞬で土気色に変わった。
「まずい! 侵食体です!!」
異界少女が叫ぶ。
黒い穴の中から次々と這い出てきたのは、禍々しい異形の群れだった。
黒い獣、黒い竜、黒い巨人。あらゆる災厄を具現化したような軍勢が、収納世界の全域へと雨のように降り注いでいく。
王女が血の気の引いた唇を震わせた。
「世界規模の、同時侵攻……!」
監視者も険しい顔になり、低く、重い声で告げる。
「始まったな」
上空の黒い目が、世界全体をあざ笑うように見下ろしていた。
世界喰らいは、傲慢に、そして残酷に宣言する。
『遊ぼう』
その瞬間、収納世界の全土が赤く染まり、未曾有の戦火が一斉に広がっていった。




