第四十四話 融合
『俺と融合しろ』
その言葉が落とされた部屋は、完全な静寂に支配された。
誰も動かなかった。いや、あまりの突拍子のなさに、誰も動けなかったのだ。
もちろん、俺もその場に縫い付けられたように固まっていた。
だが、数秒のフリーズののち、俺の口から出たのは至極真っ当な一言だった。
「いや」
即答だった。コンマ一秒の迷いもない拒絶。
それを聞いた巨人レクトが、やれやれと言わんばかりに巨大なため息を吐き出す。
『即答するな』
「だって嫌だろ。なんか怖いし」
自分の体に別の巨大な存在が混ざり合うなんて、恐怖以外の何物でもない。
俺の至極まともな主張に、背後にいた王女が深く頷いていた。セレフィナも神妙な面持ちで頷いていた。オペレーター席の異界少女までもが、ぶんぶんと首を縦に振っている。
よかった、みんな俺と同じで「なんか怖い」と思っているみたいだ。
だが――ただ一人、監視者だけはどこまでも真面目で、冷徹だった。
「最善手だ」
感情の起伏のない声が、無情にも現実を突きつけてくる。本当に嫌な展開だ。
その時、空間が大きく震えた。
外モニターの中で、世界喰らいが再びその凶悪な顎を動かしたのだ。
山脈のごとき巨大な牙、すべてを飲み込む巨大な口。
それが、収納世界の端を空間ごと丸ごと削り取っていく。
バキバキバキッ!!
ガラスが派手に砕け散るような轟音とともに、空が崩壊していく。また一つ、美しかった都市が跡形もなく消え去った。
画面の向こうから、肌を刺すような住民たちの悲鳴が響いてくる。
直後、中央のモニターの数字が書き換わった。
【収納世界消滅予測】
【28日】
また減った。早すぎる。このペースでは一ヶ月も保たない。
巨人レクトの顔が、かつてないほど険しく歪んだ。
『もう時間がない』
巨躯から発せられるプレッシャーが、部屋の空気をピりりと張り詰めさせる。彼はじっと俺を見据えた。
『聞け』
その声には、有無を言わせぬ重みがあった。
『俺はお前ではない。だが、お前でもある』
……哲学的なことは言わないでほしい。頭が追いつかない。
『収納世界は、これまで俺が管理してきた。しかし、俺はこの中から外へ出られない』
確かにそうだ。彼は今までずっと、この収納世界の内側に引きこもるようにして存在していた。外の世界で活動していたのは、いつだって俺一人だ。
だからこそ、巨人レクトは言葉を繋ぐ。
『外側と戦えるのは――お前だけだ』
静寂が、再び部屋を包み込む。
俺は少しだけ、思考を巡らせた。
この収納世界に住む住民たち。高度な文明を持つ異界都市。そして、俺が守ると決めた王国。
今やそのすべてが、この空間の中で複雑に、密接に繋がり合っている。
そして何より……ここは、俺がただの「倉庫」代わりに色々なものを詰め込み、俺が収納した物だけで出来上がった世界なのだ。
(俺にも、責任があるのかもしれないな。……ほんの少しだけだけど)
そんなことを考えていた、その時だった。
背後から衣擦れの音がして、王女が一歩前へと歩み出てきた。
「レクト」
「なんだ」
振り返ると、王女はいつもの凛とした佇まいのまま、どこか優しく、慈しむような微笑みを浮かべていた。
「あなたは昔からそうです」
「?」
「困っている人を見ると、どうしても放っておけない」
面と向かってそんなことを言われると、流石に少し恥ずかしい。
だが、その言葉に、いつもは手厳しいセレフィナまでもが深く頷いた。
「同意します」
珍しく二人の意見が完全に一致していた。セレフィナは真っ直ぐに俺を見つめ、告げる。
「あなたは補給兵です」
「……そうだな」
「ならば、答えは一つでしょう。大切なものを守るために、あなたがすべきことは」
その瞬間、遠くのモニターから、避難民の小さな子供が泣き叫ぶ声が聞こえた。
崩壊していく街、逃げ惑う人々。その混沌の中で、住民たちの祈るような、縋るような声が波のように押し寄せてくる。
『創造主様……』
『どうか、我らをお救いください……』
(……ずるいだろ、そんなの)
あんな声を聞かされて、あんな光景を見せられて、断れるわけがない。
俺は小さくため息を吐き、乱暴に頭を掻きむしった。そして、諦めたように前を向く。
「分かったよ」
俺の答えを聞き、巨人レクトの口元が不敵に吊り上がった。
『そう言うと思った』
その瞬間、収納世界全体が、まるで呼応するように眩い輝きを放ち始めた。
監視者が厳かに巨大な手を天空へと掲げる。
「境界接続開始」
「エネルギー上昇! 各セクション、臨界突破します!」
異界少女が計器にへばりつきながら叫ぶ。
「な、収納世界そのものが反応しているというのですか!?」
セレフィナが驚愕に目を見開く。
溢れ出す光、光、光。
世界を満たす眩い輝きの中で、巨人レクトがゆっくりと、その巨大な右手を俺の前に差し出してきた。
『来い、レクト』
俺は小さく息を吐き出し、その大きな手に向かって、自分の手を真っ直ぐに伸ばした。
二つの手が触れ合った瞬間、視界のすべてが圧倒的な白に染まった。
肉体が、精神が、世界の境界線が溶け合っていくような奇妙な感覚。
その光の渦の向こうで、最後に巨人レクトが、心底満足そうな声を漏らすのが聞こえた。
『ああ……やっと休める』
次の瞬間、世界を揺るがすほどの巨大な魔力の奔流が、収納世界全体を優しく、そして強大に包み込んでいった。




