1-3:治癒
いくつかの戦闘を終えると日が傾き始める。完全に日が落ちるまでに私たちは野宿の準備をする。鞄から布を出し、地面に敷き、私とピーちゃんはそこに座る。夕食は持ってきた干し肉とクラッカー、ドライフルーツ。生活魔法で火を起こし、干し肉を少し炙る。その間に、ピーちゃんは周囲を一周し、モンスターが近くにいないか確認する。
保存食であっても、炙った干し肉の匂いで食欲が出てくるのがわかる。ピーちゃんは嘴でそれぞれをつつきながら楽しそうに食べていた。夜間はモンスターが出現する可能性があるため、交代で見張りをする必要があり、私たちはその相談をする。
「どっちが先に見張りをする?」
「ぼくがする!」
「じゃああとで起こしてね」
「うん!」
私はピーちゃんに見張りを任せ、布の上で横になる。ピーちゃんは近くの木の枝に乗り、平原全体を見渡せる位置で見張りに当たる。そして深夜、ピーちゃんが私を起こす。
「ん…、おはよぉ…」
「おはよう!」
「交代するねぇ…」
「うん!」
私が布の上で座り直すと、ピーちゃんは私の隣で丸くなる。私はまだ頭がはっきりしていなかったが、丸くなったピーちゃんを撫でる。ピーちゃんも眠かったのかあっという間に寝息を立てて眠りに落ちた。翌朝、起きたピーちゃんに挨拶をする。
「ピーちゃん、おはよう」
「おはよぉ…」
メイカルトを出発してから二日。私たちは目的地の双峰森林の入り口へと到着する。木々が鬱蒼と茂り、昼間だというのに薄暗い。足元には落ち葉が積もり、踏みしめるたびにカサカサと乾いた音が響く。平原とはまったく違う湿り気を帯びた空気が肌を撫で、どこか神秘的な香りを運ぶ。
少しだけ、本当に少しだけ、私たちは森の中へと足を踏み入れる。一歩、また一歩と進むにつれて、聞こえてくる音が変化する。豊かな自然の音が響き渡り、都市の喧騒から隔絶された静かで力強い世界が広がっていた。地面から生える草や木の根も、他とは違う生命力を秘めているように感じる。この場所だけが持つ独特の空気感に、私の心は静かに満たされていった。
「不思議なところだね」
「うん!」
入り口付近の雰囲気を十分に堪能した私たちはあやかとの約束を守るため、森には深く立ち入らずに引き返す。来た道を少し戻り始めた時、突如として私の胸のアザがじんわりと熱を帯び、淡く光り始めた。痛みはなく、内側から温かい光が広がるような感覚。
「あれ?」
「レイア、大丈夫?」
不思議に思い、胸元に手を当てた時、頭上のピーちゃんが心配そうな声を上げた。「大丈夫だよ」と言いかけた瞬間、ピーちゃんは森の方を鋭く見据え、私に何かを知らせるかのように必死で翼をばたつかせた。
「なにか来るよ!」
振り返ると、森から二つの影が飛び出してきた。一つは、大きな耳がピンと立ち、体が傷だらけの四つ足の小さなモンスター。元の体毛は藤色のように見えるが、傷により体は赤に染まっている。小さな尻尾にも傷があり、ふさふさだったであろう尻尾からは豊かさが失われていた。その後ろからは、見るからに屈強で、灰色の毛皮に覆われた大きな牙を持つモンスターが、唸り声を上げながら執拗に追いすがっていた。
森から飛び出してきた傷ついた藤色のモンスターと、それを追う灰色のモンスター。私が身構えるのと同時に、ピーちゃんは私の頭上を離れ、臨戦態勢に入った。
必死に逃げてきた藤色のモンスターは私の目の前で力尽き、足をもつらせ倒れ込む。そこへ、待ってましたとばかりに灰色のモンスターが襲いかかろうと跳躍した時、小さな体が両者の間に割り込む。
「ダメ!」
ピーちゃんは小さな体を精一杯大きく見せようと翼を広げ、灰色の獣に向かって威嚇しながら私に叫ぶ。
「レイア!絶対に助ける!」
かなり興奮しているピーちゃんは、おそらく無意識のうちに小さな体に炎を纏いながらそう訴えかけてきた。
ピーちゃんの言葉を聞いて私の心は決まった。私は迷わず動けなくなった藤色のモンスターの元へ駆け寄る。モンスターは怯えているようだったが、逃げる力もなくじっと私を見つめていた。その隣にそっとしゃがみ込み、声をかけようとしたその瞬間だった。私とその傷ついた動物は眩い光に包まれた。
──これって…!
私は思い出す。私が十歳になったある日のこと。胸が急に熱くなり苦しくなったかと思うと、胸のアザが淡く光り始めたことを。子供の頃から病気一つしてこなかった私が突然苦しみだしたので、両親はひどく慌てていた。その時、ピーちゃんが私のそばまでやってくると、私とピーちゃんは同じような光に包まれたのだ。
「レイア、大丈夫?」
「だれ?」
「あ!ぼくの言葉がわかるようになった?ピーちゃんだよ!」
「え?ピーちゃん?」
私は光の中でピーちゃんと短い言葉を交わしたのを、今でもはっきりと覚えている。光が消えた後もピーちゃんの言葉は不思議と理解できるままだった。「ピー!」という鳴き声に込められた意味がわかるようになってから、私たちの日常は大きく変わっていった。そして今回もまた、光の中で言葉を交わす。
「これは…?」
「大丈夫、安心して。絶対助けるから」
「言葉が…」
「私もわかるよ」
光が収まった時、私の腕の中には、藤色のモンスターが安心したようにそっと寄り添っていた。そして目の前では、ピーちゃんと灰色のモンスターがお互いを睨みつけたまま、まるで時間が止まったかのように動きを止めている。緊迫した空気が場を支配していた。
「レイア、大丈夫?うまくいった?」
ピーちゃんが私の無事を確認するように言った。その声には安堵と、まだ拭えない緊張が混じる。
「大丈夫、ありがとう」
私は立ち上がり、腕の中に藤色のモンスターを抱きかかえたまま、灰色のモンスターと向き合う。灰色のモンスターは私を見ても怯む様子もなく、低い唸り声を上げている。
──このモンスターは危ない。ここで倒さないと…。
助けてくれたピーちゃんのためにも、そしてこの傷ついたこの子のためにも、ここでこのモンスターを見過ごすわけにはいかない。
「ピーちゃん、倒そう」
「うん!」
「一つだけお願いね。後ろは森だから燃やさないようにね」
「わかった!」
私は、大切な相棒に慎重な戦いを促す。次の瞬間、ピーちゃんは纏っていた緋色の炎をまるで生きているかのように操り始めた。生きた炎は灰色のモンスターを閉じ込めるかのように半球状を形作り、完全に包み込む。包み込まれた灰色のモンスターは断末魔の叫びを上げる間もなく炎の中に飲み込まれ、逃げることも抵抗することもできず、ただ無力に焼かれていった。
炎が収まった時、そこには何も残っていない。灰色のモンスターの姿はなく、ただ灰が地面に薄っすらと散らばっていた。私は腕の中の子を抱き直し、ピーちゃんは元気に私の頭上へと舞い戻る。
「ピーちゃん、ありがとう。おかげで助かったよ」
「レイア、手当て!」
「あ、そうだね」
──そうだった。この子はまだケガをしているんだ。早く手当てしてあげないと…。
私は抱きかかえた藤色のモンスターをそっと地面に横たえた。浅い傷も多いが、中には出血のひどい深い傷も見受けられる。私は慌てて自分の荷物を探し、簡単な救急セットを取り出す。しかし持ってきた救急セットでは深い傷には対応できず、浅い傷でさえ全てを手当てするには不十分だった。
──どうしよう、全然足りない…。もっとちゃんと準備してくるべきだった…。
私の目が潤んでいるのに気づいたのか、ピーちゃんは心配そうに尋ねた。
「手当てするものなくなった?」
「ピーちゃん、ごめん…。私の準備不足でこれじゃ全然足りない…」
私が泣きそうになりながらそう言うと、ピーちゃんはその場で大きく翼を広げ、力強く宣言した。
「ぼくがやる!」
──ピーちゃんが治す…?傷は多いし、深いものだってあるし…。それをピーちゃんが治せるとは…。だって、ピーちゃんが今まで治したことのある傷なんて、擦り傷程度だったはず。治癒能力があるのは知ってるけど、これだけの重傷はピーちゃんでも…。
私が戸惑っていると、ピーちゃんはその小さな翼に再び緋色の炎を纏い始めた。それはいつもの、戦う時の炎と同じ色だった。
「ピーちゃん!ダメだよ!」
「大丈夫!」
私は思わず叫び、ピーちゃんを止めようとしたが、私の制止を軽やかにかわし、炎をまとった翼を藤色のモンスターの最も深い傷口へそっと近づける。炎をまとった翼が傷口に触れるも、私が想像していたような熱さや痛みはなさそうに見えた。その証拠に、藤色のモンスターは苦しむことなく大人しいまま。
ピーちゃんが傷口を撫でるたびに、開いていた傷口がみるみるうちに塞がっていく。その上には新しい毛が瞬く間に生え、まるで時を巻き戻しているかのようだった。
ピーちゃんは全身の傷を一つ一つ丁寧に撫でていく。足の傷、脇腹の傷、尻尾の傷。その小さな体が持つ途方もない力に、私はただ見ていることしかできなかった。
全身の傷を全て治し終えた時、ピーちゃんは翼の炎を静かに消し、疲れたように小さく羽を休める。藤色のモンスターには、先ほどの痛々しい傷跡は一切残っていない。美しい藤色の毛並みが体を覆っている。特に、傷つき萎びていた尻尾は本来の豊かさを取り戻し、艶やかでふさふさになっていた。
しかしこの子はぴくりとも動かない。心配になり、そっと顔を覗き込むと穏やかな寝息が聞こえてきた。深い傷と恐怖から解放され、安心して眠っていた。
「ピーちゃん、ありがとう…」
「もう大丈夫!泣かないで?」
ピーちゃんに感謝を述べるが、傷が治ったことで感極まって涙が溢れる私を、ピーちゃんは心配そうに見上げる。私は傷が癒えぐっすりと眠る子を起こさないようゆっくりと抱き上げた。
──こんなに軽くて小さな体であのモンスターから逃げてたんだ…。
「帰ろう。今日はメイカルトまで戻れないけど、森からできるだけ離れよう」
「うん!」
もうここに長居する必要はない。私は腕の中に眠る小さな命をしっかりと抱きしめ、ピーちゃんを頭に乗せ、双峰森林の入り口に別れを告げた。




