1-2:双峰森林へ
ピーちゃんが炎だけではなく、風も操ることができると判明したのは大きな転機だった。ファーストバードの羽根を持ち帰って以降も、私たちはひたすらに依頼をこなし、依頼の合間にピーちゃんの炎の制御や風魔法の練習をする日々が続いた。
以前のように素材を丸焦げにすることはほとんどなくなったものの、時折「あっ」と肝を冷やすような失敗で素材をダメにすることもある。それでも、以前よりずっと綺麗な状態で持ち帰ることができるようになったのは、間違いなくピーちゃんのおかげ。
朝になり私が目を覚ますと、いつもの宿屋の部屋に優しい朝日が差し込んでいた。私がベッドの上で体を起こすと、床にある小さなベッドで眠っていたピーちゃんがもぞもぞと起き上がった。
「おはよぉ…」
「おはよぉ…」
私はブラシで髪を梳かし、三つ編みにし、赤いリボンを付けて、まだ眠そうなピーちゃんを頭に乗せる。宿屋の階段を下りていくと、宿屋のおかみさんが朝食の準備をしていた。
「おはよう!」
「おかみさん、おはようございます!」
朝食は湯気の立つ温かいスープと焼きたてのパン、それに簡単なサラダ。ピーちゃんにも焼きたてのパンが一つ用意され、それを小さな嘴でちまちまとついばむのがお気に入り。スープを口に運ぶと、優しい温かさがじんわりと体に染み渡る。そんな穏やかな朝のひと時が、冒険へ向かう私たちの背中をそっと押してくれる。
宿屋を後にし、ピーちゃんと一緒に空を見上げた、まさにその時だった。あのドラゴンが空を飛んでいた。遠目ではあったが、青空を驚くほどの速さで飛んでいくその姿は、まるで光をまとっているかのようにきらきらと輝いて見える。私の頭の上という特等席でピーちゃんはじっと真剣にその軌跡を目で追い、真っすぐと西の方角へ飛んでいくその雄大な姿を、私たちは息を飲んで見送った。
ただ見ているだけで胸が高鳴り、初めて冒険者になりたいと強く願った日のことを私は思い出す。ピーちゃんはあのドラゴンを目にするといつも無言で、真剣にその姿を追う。その小さな瞳には強い意志が宿っているように感じた。あのドラゴンは、ピーちゃんにとって何か特別な存在なのか。それともピーちゃん自身もいつかあの広大な空を自由に飛びたいと願っているのか。私にはわからない。
父さんから聞かされた冒険譚では、西の山を越えた先には鏡のように綺麗な湖が広がっているという。その山は国境の役目をしているため「国境山」と呼ばれ、その麓には「双峰森林」という広大な森林が広がっている。
普段私たちがギルドで受けるF級の依頼は、安全に経験を積むため、もっぱら街から日帰りできるエリアが対象になっている。しかし今日は違う。あのドラゴンが西へ飛んで行ったのだ。新しい世界、新しい景色を、この目で見てみたいと強く思った。
「ピーちゃん、せっかくだし今日は西の森まで行ってみよっか。ドラゴンが飛んでいった先になにか面白いものがあるかもしれない!」
「行く!」
その足で私たちはギルドに向かった。活気に満ちた通りを抜け、様々な人たちとすれ違う。ギルドの扉を開けると、ギルド独特の空気と、依頼の紙を掲示板に打ち付ける音が私たちを迎える。依頼掲示板の前に立ち、真剣な眼差しで依頼の吟味をしていると、あやかが優しく声をかけてくれた。
「レイアさん、おはようございます」
「おはようございます!」
「ピー!」
私たちはあやかに挨拶をし、今日は双峰森林へ行ってみたいと思っていることを伝えると、あやかは驚いた表情で、しかし穏やかに説明を始める。
「レイアさんはまだF級です。平原にいるモンスターのほとんどがE級やF級なので、初級の冒険者は平原を中心に依頼をこなして経験を積みます。そしてレイアさんがおっしゃった森林ですが、あそこはD級やC級のモンスターが中心ですので、レイアさんにはまだ早すぎます」
「その…、森の中に入るんじゃなくて、入り口までなんです!入り口までなら大丈夫かなって…」
「たとえ入り口までだとしても容認しかねます」
「ピー!」
あやかが頑なに反対する中、頭上のピーちゃんが、バッと左右の翼を広げ、鋭く一鳴きする。
「ピーちゃんが、『レイアはぼくが守るから大丈夫!』って言ってます」
「…わかりました。お二人のその熱意には敵いません。森の入り口まで、という条件であれば認めましょう。ただし、森の奥には決して踏み入らないよう、固く約束してください」
「はい!ありがとうございます!」
「ピー!」
「往復で四、五日かかりますので、しっかりと準備をなさってから出発するように」
こうして、今日の目標はギルドの依頼をこなすことではなく、双峰森林の入り口に立つことに決まった。あやかとの会話を終えた私はすぐに準備に取り掛かる。
──干し肉は前に自分で作ったものがあるけど、ちょっと足りないから買い足しておこう。あとはクラッカーと、ドライフルーツも欲しいかなぁ。水は生活魔法で出せるから大丈夫っと。魔法の才能は全然なかったけど、これだけは使えるように教えてくれた母さんには感謝しなくちゃ!
買い物を終え、西門へ向かう道中、拠点にしている宿屋に寄り、少しの間帰ってこないことをおかみさんに伝える。そして宿屋を後にし、再び西門への道を進む。胸の鼓動がさっきよりも少し早くなっているのを感じる。西門を出ると見慣れた平原。しかし、今日はいつもと違って見えた。平原のさらに奥、薄っすらと確認できる目的地が、大きく、そしてどことなく威圧感を放ちながらそびえているのが見える。
「ピーちゃん、行こう!」
「おー!」
──いつもなら依頼対象のモンスターを探しながら進むんだけど今日は違う。目的はただ一つ。あの森林の入り口に立つことだ!
「ピーちゃん、今日は依頼じゃないからモンスターが出てきても全部倒しちゃっていいからね。証拠品も必要ないし、思いっきり炎をぶつけてやってよ」
「いいの?」
「いいよ。あ、でも平原を燃やさないようにね」
「わかった!」
平原を進むにつれて、私たちの行く手を阻むかのようにモンスターたちが姿を見せ始める。しかし、どのモンスターもピーちゃんにとっては敵ではない。ピーちゃんが小さな口を開き、炎を吐けば、全てが灰となる。その小さな体に秘められた力はいつ見ても驚かされる。
「ピーちゃん、そろそろご飯だと思うんだけど、なにかモンスターを倒して食べるのと、持ってきた保存食、どっちがいい?」
「モンスターを倒して食べる!」
「じゃあなにか探そう」
二人で昼食の相談をしていると、まるでタイミングを計ったかのように、丸々としたラージラビットが飛び出してきた。
「ピーちゃん、あれを今日のお昼にしよう。灰も丸焦げもダメだよ」
「うん!」
私の言葉に、ピーちゃんは頭上から迷いなく飛び出していく。ラージラビットは危険を察知したのか、ぴょんぴょんと可愛らしい跳ね方で逃げるものの、ピーちゃんの速さには敵わない。一直線でラージラビットに迫ると、ピーちゃんはその小さな口から極限まで圧縮された風の刃をヒュン!という鋭い音を立てて放った。それは見えない軌跡を描き、ラージラビットの急所を正確に貫く。風の刃を受けたラージラビットは抵抗する間もなく、ぴくりと一度だけ痙攣し、沈黙した。
「すごいきれいに決まったね!」
「えっへん!」
昼食を終えて少し進むと、今度は、昔何度か見たことのあるモンスターが現れた。体毛は固く土色のような茶色で、鼻先が円盤状に突き出し、ずんぐりとした体躯の四足歩行。額には二本の小さな角を持つそのモンスターは、デュアルピッグだった。
──あれは父さんが私の解体練習のために狩ってきたモンスターで、確かE級だったかなぁ?ということは、E級モンスターが出る場所まで来たんだ。少しモンスターが強くなるから気を引き締めていかなきゃね、って、あれ?デュアルピッグはどこいったのかな?
私が一瞬そんなことを考えている隙に、デュアルピッグの姿は消え、そこには灰だけが残っていた。
「もしかして…、倒した?」
「全部倒していいんでしょ?」
ピーちゃんは首を傾げながら答えた。このデュアルピッグも、言葉通り一瞬で灰にしてしまったようだ。「全部倒していい」と言ったのは私だ。文句は言えない。
さらに進むと、全身が漆黒の翼で覆われた中型の鳥、グラスクロウが空を旋回している。この平原では比較的強い部類に入るモンスターだと、出発前にあやかが言っていた。鋭い爪と嘴を持っている危険な相手だ。
グラスクロウが旋回しているのを見た時、特等席にいたピーちゃんの様子が変わるのがわかった。体をぴょこぴょこと動かし、小さな翼をばたつかせている。間近で見る空を飛ぶモンスターに興奮しているようだった。そして次の瞬間、私の頭上からふわりと飛び立つと、ピーちゃんは小さな体で空へと舞い上がった。
「ピーちゃん、気をつけて!」
私は思わず叫ぶが、ピーちゃんはもうグラスクロウへ向かっていた。グラスクロウはピーちゃんを格下の獲物と見なしたのか、縄張りを荒らす侵入者だと思ったのか、鋭い爪を剥き出しにして威嚇し、襲い掛かる。ピーちゃんはそれを素早くかわしながら、グラスクロウの周りをくるくると旋回。
小さな口から断続的に放たれる炎の塊が、グラスクロウの動きを牽制しているように見えた。グラスクロウも負けじと素早く反転し、体当たりを仕掛けようとする。空中で繰り広げられる二匹の激しい攻防は、まるで命懸けのダンスを見ているかのよう。
空中での機動力はグラスクロウの方が上に見える。しかし、ピーちゃんは持ち前の素早さと炎を巧みに使い、グラスクロウが懐に飛び込めないようにしながら、少しずつ、しかし確実に追い詰めていった。そして、グラスクロウが一瞬動きを止めたその刹那を逃さず、ピーちゃんが一直線に突撃。小さな体に緋色の炎を纏ってぶつかると、その炎がグラスクロウの全身へと燃え広がっていく。
グラスクロウはけたたましい悲鳴を上げながら、炎に包まれて地面へと落下する。ピーちゃんであれば、炎で簡単に灰にすることもできたはずだが、あえて空中戦を選び、その上で見事に打ち破った。そんなピーちゃんの強さと賢さに、私の心は震えた。
「すごい…!」
空から誇らしげに降りてくるピーちゃんに手を差し伸べると、小さな体が腕の中に飛び込んできた。その温かい体を胸に抱きしめ、何度も頭を撫でた。




