第74話「今はまだ、冷たいけれど」
夜半。
隣で寝ている彼女を見つめる。
外から見ても分かる程度には大きくなった腹部。
もう妊娠して、六ヶ月ほど。
彼女は……、恐らく考えていなかっただろう。
弱みに付け込んだという表現が正しいかもしれない。
奴らと距離を置いた俺。
これからもその溝は深くなってゆくかもしれない。
そんなことを思えば、恋人をどうしても放っては置けなかったんだろう。
精神的な距離が離れるのならせめて物理的に繋がっていたい。
彼女にはそういう気遣いがあった。
俺が迫った時、彼女は一瞬困った顔をして、誤魔化すように頷いた。
挙句、「私もそろそろ欲しかった」なんて嘘まで吐いて。
身重になればエドワードへの復讐がままならない。
冷静かつ合理的に考えれば今はその時期じゃない。
だが結果はこれだ。
俺のために望んだ。
……俺にはそれが分かっていた。
だからこうした。
それしか思いつかなかったから。
彼女の気持ちを踏みにじることしか、馬鹿な俺には考えられなかったから。
だけどこれでいい。
これなら、もう――。
横にある頭をゆっくりと撫でて、こっそりとベッドから出る。
部屋は暗いまま、扉を静かに開け、そのまま足を前に出した。
「……どこ行くの」
全く、勘が冴えてる。
生来のものか、現実がそうさせたか。
とにかく良くない状況ではある。
「ちょっと夜風に当たってくるだけだよ」
「なら私も行く」
暗くとも分かる強い眼差し。
「馬鹿、冷えるからやめとけ」
「少しだけ頭撫でて、自分は勝手に出てっちゃう方が余程おバカだと思いますけど」
これは俺のせいでもあるが、くだらないロジックで言い訳をすると、彼女はとても的確に痛いところを突いてくる。
今のがいい例だ。
「……今の君は2人分なんだ。ゆっくり休んでてくれ」
俺を行かせざるを得ない話にすり替える。
これで何とか許してはもらえないか。
「あら、お気遣いどうも。本当、今日みたいにお昼から飲み歩いて、ずっと私を放っておいてくれてとーっても助かってますわ」
……完全に悪手だった。
ぐうの音も出ない。
「……ごめん。これからは気をつけるよ」
「ねぇ、違う。謝って欲しいわけじゃない。……さっき言っていたでしょ?私だって貴方と一緒にいる時間を少しでも長くしたいだけ。ほら、外は寒いわ。こっちに戻ってきて、私の頭をもっと撫でて?」
必死さが伝わってくる。
これでは完全に俺が悪役だ。
いや、それももとより。
いつだってそうだったが、これは如実だ。
断れない。
そもそも断りたくない。
……どうせ、結果は変わらない。
「……ッ。分かった」
暗くとも笑顔が見えた。
それに近づき、暖かい毛布と彼女に包まれる。
それからしばらく他愛もない話を続けた。
彼女は微睡みながらも、丁寧にテレビや彼らの話をしていた。
それがどれだけ面白いだの、貴方が好きだの、手はゴツゴツしている方が好きだの、とにかく沢山のことを話した。
その間も俺は手を彼女の頭上を左右に滑らせる。
彼女はやがてうつらうつらとし始めた。
おでこにキスをして「おやすみ」と伝えると満足気に最後、こくりと寝息を立てた。
そこから十分くらい経ったところで、俺は再び音を殺してベッドから出た。
今度は呼び止められることはない。
順調だった。
ドアへ近づき、そこを開ける。
そうして通り抜け、扉をまた戻す。
想定していたより時間はかかったが、部屋を出れた。
背後から聞こえた「……大嫌い」という言葉に気付かないふりをして。
痛みを抑えるように胸元を手で力強く掴みながら、そのまま夜の街へと繰り出す。
今この手元に彼女の体温はない。
先程まで狂うほどに感じていた暖かさは、これで嘘のように消えていた。
***
ナカトミからは数キロ、ネオ・フランシスコメインストリートの裏通り。
闇夜に紛れた夜道。
「……それだけか?」
「はい。す、すいやせん、ヴェンデッタ様」
各地にいる“仲間”の集めた情報を現地で収集する。
半年は続けているが、これといって大きな成果は数件しかない。
「謝るってことは何か不手際があったわけか?」
「い、いや、とんでもない!頑張りましたが、やはりどうしても末端ログはこれしか……」
この男が最近、こちらの羽振りが良い事にかまけて仕事をしていないのは既に掴んでいる。
「分かった。次も頼んだぞ」
「は、はい!」
元気だけはいい。
バイタルも身体もこの上なく良い。
こんな野郎が本当に元気でどうする。
その無駄な力をどこに使うつもりだ。
「……何度も言うが、嘘だけはやめろよ。もし吐いた場合は殺すだけじゃすまなくなる」
「もちろんです!」
どうやら、正直になるつもりはないらしい。
まぁそっちがその気なら、こっちもそれなりだ。
「ならいい。ほら、今回の分だ」
「ありがとうございます!」
薄汚さと小綺麗さが混在したような身なりのまま、その男は何度も頭を下げる。
「手のパーツが壊れかかってるぞ。多めに振り込んだから治しておけ」
「さ、流石。ありがたくいただきます……」
見ての通り、彼の右手のパーツは壊れかかっている。
まぁただの劣化だろう。
こんな仕事をしてれば、消耗も早くなるというもの。
もっと真面目にやれば、もっと早いのかもな。
「大手のはやめておけ。裏パーツの良いヤツを付けろ」
「分かりました。では、お、お気をつけて、へへ」
……完全にこちらを舐めている。
このままバレずに穏便に終われば良いとしか思っていない。
そうなるとまたくだらない事で、この街に俺の名前を響き渡らせなければならない。
俺は半身の状態で睨みつける。
「――次は無いからな。二度と手を抜くな」
それで全てがバレていることに気づいた。
彼は慌てて取り繕い、頭を深く下げる。
「……は、はい!す、すいませんでした!」
「いいか。そういうスケベ心を企業人は狙ってくるんだ。……今に見てろ、俺が手を下すまでもなくなるぞ」
「そ、そんなことは――」
もう十分だ。
俺は右拳に力を込める。
そして青い閃光が一瞬灯り、電気が散る。
そのまま彼の壊れかけた右手を貫く。
勢いのまま彼は後ろに倒れ、壁に激突し、悶え始めた。
「っ、ああああぁあぁああ!!」
「今回はこれで済ませてやる。ちゃんと換えとけよ」
まだ焦げ臭く火花が微かに残る中、俺は後ろを振り向き歩き出す。
「ぐっ、はあああぁ!は、はいいぃ!」
「じゃあな」
絶叫と悶え苦しむバタバタとした音をBGMに、俺は次の現場へと歩を進める。
そこでもまた、ロクな情報も無ければロクな人間もいない。
だがそれでも、1ナノでも希望がそこにあるなら、俺は五劫の努力だってしてやる。
靄のかかる冷たい夜道を少し猫背に進む。
虚しいだけの時間。
どんな強い感情をも散らすように暗闇が覆う。
それを避けようとしたところで鬱陶しいネオンに照らされるだけだ。
……もうすぐ目的地。
淡い期待を寄せて今かという時、視界の端で新規通知が届く。
誰かからチャットが送られてきた。
――最近、ウチの島で随分と暴れてくれてるようじゃねぇか、えぇ?
―SHINERに来い、断ったら覚悟しとけ
……やはりいつまでも慈母ではいてくれないか。
今後の円滑で友好的な関係のためにも無視をするなんてのは下の下だ。
ドン・シルヴィオ。
恐らくビルもいるだろう。
小さく溜息が出る。
踵を返し、メインストリートを通る。
冷えた身体を誤魔化すように俺はそのまま、久しぶりの古巣へと向かっていった。




