コインの表と裏1
「それで隼人くんと今度出かけることになったわけ」
「はい、そうなんです」
あの後、隼人と来週の土曜に出かけようって話が、まとまった。
ぼくが尊敬している三上さんはもちろん、憧れの先輩たちが出演し、聡太先輩が主役を務めたアニメの聖地巡礼へ行く。
早朝から電車に揺られて一日、隼人と、ふたりだけで出かけるんだ。
あいつからしたら、小さい子どものときみたいに遊びに行くだけ。
でも、ぼくからしたら、好きな人とデートするようなものだから一日、一日が、すごく待ち遠しい。
聡太先輩と電車の中で話しながら、ぼくは窓の外にあるビル群を眺めた。
「健太くんのおかげで隼人の前でも素直になれたんです。もう、さまさまですよ! 池袋のほうに足向けて寝れません」
「じゃあ契約したのか?」
「それは……まだ考え中で」
黄緑色のつり手を握り直す。
「なんで?」と聡太さんが怪訝な声を出す。ガラスに映った左右反転した彼の顔つきは、怒る一歩手前のものだった。
「おまえ、自分の状況を冷静に考えろよ。今度、隼人くんと喧嘩したら、どうなるか、わかってるだろ」
「もちろんです。そうならないように努力してます」
「努力とかの問題じゃなくて! 健太くんとか周りの子たちのおかげで、なんとかなってるだけじゃないのか?」
すると電車のアナウンスが流れる。
聡太さんが朗読劇を行う劇場がある駅名だった。
ぼくは、このままアフレコへ行くから、ここでおわかれだ。
眉間にしわを寄せた聡太さんが横にいるぼくへ目線をやる。
「『健太くんのおかげだ』って言いながら結局、おまえの心は変わらないし、変えられないんだな。だけど、こればっかしは隼人くんが決めることだ。渉、傷つくのは、おまえ自身だぞ。
人生の先輩としては、手に入れられるかどうかも知れないない理想に手をのばすより、妥協して手に入る最善を選んだほうが、お互いのためだと思うけどな」
そうして聡太さんは名前も知らない人たちと一緒に電車を降りていった。
*
リテイクなしでガヤアフレコが終わったぼくは、トボトボと廊下を歩いた。
聡太さんにバレたくらいなんだ。三上さんや健太くん、お父さんや、お母さんにも気づかれているかもしれない。
ぼくだって、いくらなんでも無謀なことを考えているって頭では理解してるんだ。
ぼくが人間として毎日を過ごせているのは当たり前なんかじゃない。奇跡のようなものだ。いろんな人の力を借りて、犬になり、一生を終えることがないようにしてもらっているだけ。
でも声優になれたのは、ぼくが特別に選ばれた者だからじゃない。
動物になれるヒューマン・トランスフォーマーだからでも、犬になるのをあわれまれて事務所に入れてもらったんじゃない。
オーディションに勝ち抜いて、実績を積み、日々声優として活躍できるよう鍛錬していることを少しずつ、周りに認めてもらえたからだ。
会社員になって働くのがいやだから楽な道を選んだじゃない。
好きだから、やめることができなかったんだ。
憧れて見ているだけでは終われなかった。
何十回も、何百回も諦めようと挫折しかけた。そのたびに凡人でしかない。なんてちっぽけな存在だろうと思い知らされたんだ。
聡太さんのように誰の目から見て輝く才能と強運を持っているわけでも、小池さんのように「親の七光」とは言わせない絶対的な実力を持つ努力の天才とも違う。
一生がんばったところで敬愛している三上さんのように世間から認められ、国民から名前を知られる有名人にはなれないのかもしれない。
今でも主役はもらえないし、端役ばかりだ。
でも夢や希望を追いかけるのをやめたら何もなくなってしまう。どこへ行ってもきつことも、つらいこともある。
そんな中で一番できること、がんばれことは何かと聞かれたら、今のぼくが精いっぱいできるのは声の演技だ。
もしかしたら未来のぼくは声優を辞めるようなできごとがあるかもしれない。もっと違うことをしたくなったり、うまく立ち行かなくなってまったくべつの道を選ぶ可能性もある。
だからって先のことは誰にも予想できるものじゃないんだ。
「声優を辞められないのと同じなんだけどな」
「何が同じだって?」
耳もとで声がしてサブイボが立つ。
慌てて後ろを振り返り、頭を下げた。
「鷺ノ宮プロデューサー、お疲れ様です」
「お疲れ、信濃くん」
ポンと左肩に手を置かれる。
それだけで嫌悪感が顔に出そうで、ぼくは愛想悪いを浮かべて頭を上げた。
「今日も最高にかわいい演技だったよ」
「ありがとうございます。もったいないお言葉です」
「だけどガヤやモブばっかじゃつまんないんじゃない? あれ以来、いい役来ないみたいだねー」と彼はニンマリ笑った。
「それは今のぼくの実力が及ばないからです。努力と研鑽を積んで真摯に――」
「そんな悠長なことを言ってたら、いつまで経っても大成できないよ。若手も、志望者も吐いて捨てるほどいる業界なんだからさあ」
「っ!」
力を入れて鷺ノ宮プロデューサーのほうへと身体を寄せられる。




