第8章 8-1 だから、なんで、そうなるんだ その1
「明星。で、どうだったのだ?」
伊那笠財閥マルチビジネスタワー最上階の会長室。
大きなガラス窓の向こうには、カンパニー・ミゥ本社が入るファッションビルの最上階ウッドデッキが小さく見え、そのさらに奥には、公社の半月型の巨大建造物が静かに構えている。
その景色を背に、伊那笠財閥の会長、伊那笠 源一郎が革張りの社長椅子に深々と身体を預け、報告を受けていた。
報告していたのは、すらりとした均整の取れたプロポーションを持つ女性。精悍でいて美しい。特徴的なのは、耳と尻尾、そして猫髭。アプリコット、黒、白の3色が絶妙なバランスで混じり合った尻尾が、静かに揺れていた。
そう、カンパニー・ミゥのムードメーカーにして隠密役・・・もとい、舞と徹の警護役兼見習い配達員である董 玲華の母親、董 明星である。
玲華が猫の獣人であるように、母である明星も猫の獣人だった。
明星は第2世代の獣人で、玲華は第3世代。
明星は普通の人から遺伝子提供を受けて玲華を授かったが、その提供者が誰かは本人と提供者しか知らない。玲華にとって父親が誰かは不明だが、獣人の感性では特に問題はないらしい。
かくいう玲華も、徹の遺伝子を狙っており、秘密裏に動いているのだった。
やはり第2世代ということもあり、玲華と比べると明星には少し猫らしい特徴が残っていた。耳の色は玲華が白黒のツートンなのに対し、明星は白のみ。逆に尻尾は、玲華がアプリコットと黒の2色の縞模様なのに対し、明星はアプリコット・黒・白の3色が絶妙に混じり合っている。
猫は複数の遺伝子や、数世代前の隠れ遺伝子がいたずらをして、親とまったく違う毛並みの子が生まれることもある。ガチャのような運の要素もあるのだ。それを考えれば、2人とも女性であるため、むしろ毛並みは近い方と言えた。
これは、三毛猫やサビ猫は遺伝子的に女性(雌)が多いことに由来する。アプリコット色の遺伝子がX染色体にあるためだ。
だからこそ、2人ともアプリコット色が中心となっていた。玲華の耳に黒い毛が混じっているのは、おそらく父親の遺伝子の影響だろう。
もっとも、玲華は自分の父親のことを気にしたことはなく、明星も聞かれたことがない。
むしろ2人の関心事は、
「次は誰の遺伝子をゲッツするのか!」
という点で一致していた。
もっとも、明星は既に満足いく遺伝子を得ているらしく、子を為したいという欲求は薄いようだ。
獣人には発情期があり、春から夏にかけて欲求が強くなる。明星は薬で発情期を管理しているが、玲華は薬に頼っていない。
季節は冬に差しかかり、冬の終わりから発情期を迎える。そして玲華は、今回の発情期で狙う遺伝子を既に決めていた。
そう、徹である。
で、最初の話に戻るのだが・・・。
「明星。で、どうだったのだ?」
明星が頷きながら手元の資料を再確認し、報告を続けた。
「問題ないかと思います。玲華の目に狂いはありません」
「そうか・・・。さすがお前の子だな。舞に劣らぬ嗅覚を持つとは」
源一郎はそう言いながらも、ほんの一瞬だけ視線を窓の外へ向けた。
ウッドデッキのあるビルを見つめるその目には、舞と徹の関係が動き始めていることへの、父親としての複雑な感情がかすかに揺れていた。
「ありがとうございます」
明星が頭を下げる。その尻尾が、誇らしさと緊張の入り混じったように、わずかに揺れた。
覚えているだろうか。
実は、公社20階の面談室で事情聴取を受けた際、対応していた人間は4人いた。
1人は交通局担当官の伊藤。
もう1人はいけ好かないAI技師の望月。
さらに1人は警備隊で、ミゥ達を助けに来てくれたミハエル。
では、もう1人は誰だったのか。
そう、4人目が明星だったのである。
隠密メイドの玲華の母親であり、その隠密能力は折り紙付き。
事情聴取に立ち会い、メモを取るだけの女性がいれば「書記だろう」と思わせる心理を利用していた。
陰から源一郎を護り、支えてきたのが董 明星なのだ。
舞と徹に気付かれない変装をして、そこにいた。
もちろん、源一郎のコネを使い、伊那笠側の正式な立会人として。
ちなみに、ミゥは事情聴取の前に玲華から明星が立ち会うことを知らされており、玲華とは共同戦線を張る同士である。
徹と自身の利になると判断し、センサーですぐに明星だと分かっても何も言わなかった。
逆に言えば、この立会人が伊那笠財閥からの立会人であったため、技師がノクフェラリオン財閥寄りの人物となったのだ。
では、なぜわざわざ審査担当の技師がノクフェラリオン寄りになるリスクを犯してまで明星を立ち会わせたのか。
もちろん、玲華の狙っているアレと、舞の徹に対するソレのためである。
この2人、財閥に小さくないダメージを与えかねない重要な事情聴取を前に、アレとソレを優先していたのだ。




