7-5 慰問、疑問、訪問 その1
翌日、徹はいつも通りに目を覚ました。仮眠室で寝る時は、時に着替えることもなく、ベルトやポケットの中の堅いものを引き出しに放り込み、そのまま眠ってしまうことが多い。メンテナンスルームは機械が所狭しと並んでいることもあり、1年を通してガンガンにエアコンを掛けているが、仮眠室はそうではない。
ただ、メンテナンスルームに面しているため、仮眠室も比較的涼しい。徹は身体に余分な肉がついていることもあって寒さには強いが、それでも時折ひんやりと感じることがあった。とはいえ、毛布を使うと必ず洗うように舞にちくちく言われるため、普段は白衣を肌掛け代わりに使うことが多い。
しかし今日は、目覚めてみると、自分の上にふわりと毛布が掛けられていた。毛布にはまだ微かな温もりが残っており、誰かに世話をされたような、久しぶりの感覚が胸の奥にじんわりと広がる。だが次の瞬間、玲華の顔が脳裏に浮かび、
『いや、あいつはないな』
と自分でツッコミを入れ、徹は小さく苦笑いを浮かべた。
玲華は昨夜、訳の分からない提案だけを残して、さっさと帰ってしまった。普段は警備警備と言いながら護衛役を主張しているくせに、夜は平然と帰宅する。徹は玲華の性格をよく知っているので疑問には思わないが、普通の人なら、
『一番危ない夜、護衛してないじゃん!』
と、間違いなくツッコミを入れたくなるだろう。
案の定、舞の屋敷に鼻歌交じりで戻ったところをアレンに捕まり、さらに母親の明星につままれ、怠慢さをしっかり叱られたらしい。
それでも、
『まあ、あのビルなら大丈夫』
ということで、本社に戻るように指示されなかったのだから、カンパニー・ミゥ本社のセキュリティがどれほど強固なのか、逆に問いただしたくなるほどである。
実際、ミゥのセンサーを潜り抜けられる存在などまずいないだろうし、戦闘力を含めても玲華より上なのは間違いない。それを理解した上での判断なのだろう。
徹が横に畳んで置いてあった白衣を乱暴に羽織り、メンテナンスルームに入ると、既にミゥの姿はなかった。朝のオフィスは静かで、ミゥの動きだけが規則正しく響いている。これから出社してくる舞やカレンのために、掃除とモーニングコーヒーの準備をしているのだろう。
徹は、これがアンドロイドでなかったら、間違いなく就業時間外労働になってしまうだろうと、いつも思っていた。
オフィスを見渡すと、案の定、ミゥは舞のデスクを拭いているところだった。徹が起きてきたのを確認したミゥは、顔だけを徹に向けて、
「徹サン、オハヨウゴザイマス。良ク眠レタデショウカ?」
と尋ねた。
その瞬間、ミゥの目の開き方がわずかに変わり、表情が柔らかくなる。昨日獲得したばかりの『嬉しい』が、自然に表情へと滲み出ているようだった。
徹はすかさず、
「ミゥ。毛布掛けてくれたのかい?ありがとう」
と声を掛け、軽く頭を下げた。
「ハイ。寝言ヲ言ッテイマシタ。寒イノカト思イ、毛布ヲ掛ケマシタ。良ク眠レタデショウカ?」
ミゥは夜間の徹の様子を見ていたかのように話題を続け、同じ質問をもう一度繰り返した。
「あ、ああ。ありがとう。おかげで良く眠れたよ」
「了解シマシタ」
「ところで・・・」
徹が次の話題に切り替えようとした瞬間、
「毛布ハ、ワタシガ洗濯ヲシテオキマス。舞サンニ言ワレル前ニ、洗濯機ニ入レテオイテクダサイ」
ミゥに先手を取られた。
「お、あ、うん。よろしく頼むよ」
いつそんなことを覚えたのか疑問に思いながらも、徹はとりあえず頷いた。
「ところでミゥ。毛布の事といい、洗濯のことといい、誰に教わったんだい?」
ミゥは一瞬だけ手を止め、徹に向き直る。
「ハイ。玲華サンニ教ワリマシタ。元気ナ精子ヲ得ルタメニハ、腹部ヲ冷ヤシテハイケナイト・・・」
「え・・・?」
徹は思わず頭を抱えた。胃のあたりがキュッと縮む。
「あいつ、本気なのか?いや、たぶんあいつのことだから本気なんだろうが・・・」
徹は深いため息をつきながら自問自答する。
「徹サン。既ニワタシト玲華サンハ、人間社会ニオケル口頭契約状態ニアルトノコトデス。コレカラハ、ワタシハ遺伝子提供ニ関ワル事柄ニモ細心ノ注意ヲ払ウコトヲオ約束シマス」
「・・・」
徹は返す言葉が見つからない。
この話題が舞やカレンの前で展開されれば、社会的な死は免れない。
幼馴染の玲華に手を出し、しかもその子をミゥとの間の養子にする。しかも、ミゥは人ですらない。そんな狂っていると思われてもおかしくない話が飛び出せば、もうカオスでしかない。
しかも、玲華は本気だ。獣人としての本能も絡んでいるのだろう。
ミゥはミゥで、きっと人との約束を遵守しようとするだろう。子育て能力が現時点であるかは別として、アンドロイド用の子育てデータが存在するのは確実だ。インストールすれば、機械的には可能なのだ。
だが、舞が許すはずがない。そもそも舞は玲華の気持ちを知らないし、玲華も舞の前でそんな話をして刺激するような真似はしないだろう。
だから、舞が知れば、真っ先に徹が槍玉に挙がる。
さらに、仮に玲華が遺伝子提供を受けたとしても、提供者が口を割らないのは明白だ。それは玲華の母親である明星も同じで、今もって玲華自身が誰の遺伝子提供を受けたのか知らないままなのだから。だからこそ、ミゥからバレてしまう可能性が最も高い。
とりあえず、今は、時間がない。
今は、この話題を2人きりの時以外では絶対に口にしないよう、ミゥに約束させなければならない。
「ミゥ。遺伝子提供の話は、個人情報を含む微妙な問題となる。今後、私の許可なく口にしてはいけないよ。特に舞やカレンの前では言わないようにね」
徹は、ミゥにも理解しやすい“個人情報保護”という基準を使って説明した。徹が考えている間も掃除を続けていたミゥは、徹の言葉を聞くと、
「了解シマシタ」
と返し、再び作業に戻っていった。
徹が安堵のため息をついたちょうどその時、舞、カレン、そして玲華が次々と出勤してきた。
徹は、出勤してきた玲華が、昨日の件などまるで気にしていない様子で、いつも通りのテンションだったのを、少しだけ恨めしく思うのだった。




