エピソード2-2
千二百年前。
突如、出現した奈落から、魔王ギリヨンの軍勢が人界へなだれ込んだ。
その行軍のなかに、魔王国ギドレの序列第五位の魔将として、ブレイジールもいた。
人界は、驚きに満ちていた。目にするすべてのものが美しかった。
城や建物。ガラスの器。窯から出たばかりのパン。橋の欄干に彫られた小さな花。魔界には、どれひとつ存在しないものだった。ブレイジールは進軍の合間に立ち止まっては、飽きもせずそれらを眺めた。
魔王軍は、そのすべてを踏み砕いて進んだ。
人間たちが逃げまどい、斬られ、倒れていく。ブレイジールは止めなかった。助けもしなかった。ただ、燃えていく街を眺め、心底うんざりしながら思っていた。
(壊すために、わざわざ人界まで来たんですかい)
みっつの国を滅ぼしたところで、魔王ギリヨンは勇者に討たれた。魔王軍は総崩れとなり、魔族たちは先を争って魔界へ逃げ帰った。
ブレイジールは、帰らなかった。
「また、魔王さまのお供をして、今度は勇者に斬られる? ……冗談じゃありやせんや」
どさくさに紛れて、そのまま人界に住みついた。
それからの八百年は、上々な日々だった。四百年に一度、魔界に四人いる魔王のひとりが人界に攻めてきたが、ブレイジールは争いには関わらなかった。
焼きたてのパンは美味く、酒場の娘の身の上話は毎晩違った。見た目が老いないので、十年ごとに街を替える必要はあったが、新しい街にはまた新しい発見があった。
(そう。あいつらが来るまでは)
八百年目に、魔界でブレイジールが仕えていた魔王ギリヨンが復活した。
脱走した元魔将のもとへ、追っ手が差し向けられるようになった。
初めは下級の魔族がぱらぱらと来るだけで、結界を張って、その内側からあくびまじりに眺めていればやり過ごせた。だが、追われる暮らしというのは、じわじわと心を蝕む。
住みかを替える周期は、十年から三年になり、一年になった。なじみの店を持つのをやめた。娘たちの話を聞く夜も減った。
焼きたてのパンは、いつからか、味がしなくなっていた。
そうやって、四百年逃げつづけた。
(あっしは、いったいなんだって、こうまでして生きてるんでやしょうねえ)
その問いに答えが出ないまま、ある夜、街道にそれは立っていた。
「見つけたぞ、ブレイジール」
岩を人の形に削り出したような巨躯。黒々とした二本の角。石臼をすり合わせたような声。
「魔界へ戻り、魔王ギリヨンさまに忠誠を誓え。それが嫌なら、ここで死ね」
魔王国ギドレ、序列第四位の魔将ゲルゴランドだった。
どちらもごめんこうむると、いつもなら笑ってみせるところだ。
だが、その夜は、言葉が出てこなかった。
戻る気は、ない。逃げるのは、もう飽きた。なら、残る道は――。
(まあ、それも、いいかもしれやせんねえ……)
投げやりに、それでも身体だけは勝手に動いて、千二百年ぶりに本気の結界を張った。
ブレイジールの前に金色に光る透明な盾があらわれた。
ゲルゴランドは、鼻で笑うと、一枚の薄氷みたいに簡単にそれを突き破った。
格が、違った。
勢いよく伸びた黒い角がブレイジールの脇腹を裂き、大量の血が噴き出した。
ブレイジールは素早く猫の姿になった。最後の力で、瓦礫の隙間へ、気配を消して逃げ込む。
巨躯はしばらく夜道を見まわし、やがて低く言い捨てた。
「逃げたか。……魔王さまに背いた者は、必ず見つけ出す。次こそ、その息の根を止めてやろう、裏切り者ブレイジールよ」
◆
王都を発った、その日の夕暮れ。
レギウスを乗せた馬車は、ドワンテロの都ウォルツへ向かう街道の、最初の街に停まった。
宿を探して路地へ入ったところで、足が止まった。
塀の根元に、毛の塊がうずくまっていた。
黒みがかった金と、白っぽい金の、二色の長い毛。たいそう立派な毛並みの猫だ。その毛が、脇腹の辺りだけ、赤黒く固まっていた。
「……嘘でしょ」
駆け寄って、膝をつく。息はある。浅いけれど、ある。
「大丈夫、いま治すから。創造神ソラよ。この小さき生命に御身の慈悲を」
手のひらに白い光を灯し、傷にかざした。
なにも、起こらない。
「え?」
もう一度。
光は明るく灯る。なのに、傷はまったく閉じない。ランク5の神聖術士が、猫の傷ひとつ治せないなんて話があるだろうか。
(神聖術が効かない生き物……)
考えるより先に、腰の道具袋を開けていた。魔導人形の動力用に持ち歩いている、親指の先ほどの魔晶石をひとつかみ。それを傷の上にかざす。
石が、呼吸をするようにまたたいた。淡い光が傷へ吸い込まれるたび、裂けた肉がゆっくりと閉じていく。石は最後に強く光って、砂のように崩れた。
「効いた」
(きっと魔獣だ)
(これ、人を襲う類だったら、どうしよう……)
猫が薄目を開けた。金色の瞳だった。
「いい? 人を襲っちゃだめだよ。どうしてもって言うなら、せめて僕より強い悪い奴にして」
自分でもむちゃくちゃなことを言っていると思いながら、レギウスは猫を抱えて門の外まで歩き、草むらにそっと下ろした。
「ほら。お行き」
猫は、行かなかった。
歩き出したレギウスの三歩後を、当然の顔でついてくる。止まれば止まる。抱えて置き直しても、同じ。三度目に振り返ったときには、先回りして行く手に座っていた。
「……なんでついてくるの」
「にゃあ」
返事だけは、やたらといい。
「……おまえ、言葉、わかってるでしょ」
猫は聞こえないふりをして、前足をなめはじめた。
根負けして、猫を連れたまま宿の扉を押した。
宿の女将は、血で汚れた猫を見るなり、帳場から飛び出してきた。
「おやまあ、かわいそうに。坊ちゃん、拾いなすったのかい? ちょいとお待ちよ、古い毛布があったはずだから」
(坊ちゃん、と来たか)
訂正する間もなく、女将は毛布と、温めたミルクの皿まで運んできてくれた。宿代に上乗せするでもなく、「猫は福を呼ぶから」と笑っている。
優しい女将さんだと思った。
ただひとつの誤算は、当の猫がミルクに鼻先を寄せもしないことだった。
「……飲まないの?」
猫は皿から顔をそむけ、寝台のすみで丸くなってしまった。
「魔獣って、なにを食べるんだろう……」
悩む勇者を、金色の目が、毛布の陰からじっと見ていた。
「勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~」2-2を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
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※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
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