エピソード5-3
詰所を出ると、リタは、もう一度深く頭を下げた。
「わたし、そろそろお屋敷に戻らないと……」
「トビは、僕が探してみるよ。どんな子?」
「十二で、わたしと同じそばかすがあって……左の手首に、黄色いリボンを巻いてます。わたしとおそろいなんですけど、お守りだって言って、寝るときもほどかないんです」
リタの髪にも、同じ黄色いリボンが結んであった。
リタは何度もこちらを振り返りながら、人混みのなかへ帰っていった。
その背中が見えなくなると、レギウスは南の川べりへ足を向けた。トビが最後に行った場所だ。
古い粉ひき小屋を、そのまま施療院にしてあるらしい。大きな水車がごとごとと回る脇に、継ぎの当たった服の人々が、長い列を作っている。
列の後ろで、ブレイジールが足を止めた。
「あっしは、ここで待たせてもらいやす。薬草の匂いってのは、どうも鼻にきやしてね」
(猫だもんね)
順番が来て、薄暗い部屋に入ると、梁から下がった薬草の束が、頭の上でいくつも揺れていた。奥から、白い上着を着た痩せた男が、穏やかな笑みを浮かべてあらわれる。
「おや、その紅い目……勇者さまでしたか。こんな下町まで、ようこそ」
「グレイン先生ですよね。ひと月前に、トビっていう子が、ここへ薬をもらいに来たはずなんだけど」
「トビ……ああ、そばかすの子ですね。薬を渡して、すぐに帰しましたよ。お姉さんにも、そうお話ししました」
グレインは、棚へ手を伸ばした。
「勇者さまも、旅のお疲れが出ているでしょう。疲れによく効く薬草を、お分けしましょう」
差し出された束を見て、レギウスは息をのむ。
束の根元を縛っているのは、色のあせた、黄色いリボンだった。
「……ありがとう。でも、僕、どこでもすぐ眠れるから」
「それは、うらやましい」
グレインはにっこりと笑って、束を棚に戻す。
施療院から十分に離れてから、レギウスは口を開いた。
「薬草の束を縛ってたの、トビのリボンかもしれない」
ブレイジールの眉が、わずかに上がる。
「すぐに帰したって話じゃ、ありやせんでしたか」
「うん。……でも、リボンひとつじゃ、証拠にはならない」
レギウスは、水車小屋を振り返った。
「今夜、施療院が閉まったら、猫になって、なかを見てきて」
「へえ。じゃあ、お嬢は、城で待っててくだせえ」
「トビが怪我してたら、僕がいないと治せないでしょ」
ブレイジールは空を仰いで、長々と息を吐いた。
(ため息だけは、いつも長いんだから)
◇
夜更け、施療院の窓から、最後の明かりが消えた。
ブレイジールは、通りを挟んだ倉の陰で、レギウスのまわりに結界を張った。外からは、そこに誰かがいることさえわからない。
「ここから一歩も出ないでくだせえよ。出たら、あっしにはわかりやすからね」
それから、レギウスの外套のフードを、目深に引き下ろした。
「髪と目も、隠しといてくだせえ。夜でも、よく目立ちやすから」
「わかってる」
金色の猫が、水車の軸の隙間へ、するりと消えていった。
ブレイジールがいなくなってすぐに、川沿いの道を、大柄な男が荷車を引いてやってきた。引き手の先で、小さなランプが光っている。
荷台には布がかぶせてあり、その下から、酒臭いいびきが漏れていた。男は施療院の裏口に荷車を止め、戸を叩いた。
そのとき、積み上げた木箱の陰から、フードをかぶった少年が飛び出した。少年は荷台の布をめくり、寝ている男の腕をつかんで、引きずり下ろそうとする。
大柄な男が、振り返った。
灰色に濁った目。腐った水のような臭い。男は人とは思えない速さで少年の襟をつかみ、荷車に叩きつけた。
(出れば、ブレイジールが気づく)
レギウスは足元の石を拾うと、結界の外へ踏み出した。
投げた石は、男の背中に当たった。男が少年を放し、ぎこちなく首をめぐらせる。
「こっちだ!」
次の瞬間、男が地面を蹴った。
逃げようとした足がもつれて、レギウスは石畳に倒れ込んだ。腕を伸ばした男が、迫ってくる――。
がしゃん、と音がした。少年が、荷車のランプを男の足元に投げつけたのだ。
こぼれた油に火が走り、レギウスと男の間に、炎の帯が立った。男が、喉の奥でうなって後ずさる。
施療院の裏口が、細く開く。
「戻りなさい」
(グレイン先生の声だ……)
男はくるりと背を向け、荷台の酔っぱらいを肩に担ぐと、裏口のなかへ消えた。戸が、音もなく閉まる。
レギウスは立ち上がって、少年に歩み寄った。
「ありがとう。大丈夫?」
「余計なことをするな……」
(余計なこと!?)
少年は右手で左の二の腕を押さえていた。指の間から、血が滴り落ちる。
「見せて。治すから」
レギウスが伸ばした手を、少年は払った。
「いらない」
「でも――」
レギウスは、懐からハンカチを出した。少年は、今度は手を払わなかった。
少年が押さえていた腕に白い布を巻いて、きつく結ぶ。ハンカチの隅の獅子の刺しゅうが、赤く染まっていく。
「あの医者には、もう近づくな。あそこへ入って、出てきた奴はいない」
「待って。きみは――」
背後で、誰かが石畳を蹴る音がした。少年が、そちらへ顔を向ける。月明かりがフードの奥に差し込み、一瞬だけ、青い目が見えた。
瞬きをしたときには、少年の姿は、もうどこにもなかった。
「お嬢!」
駆けつけたブレイジールは、レギウスの擦りむいた膝を見て、黙り込んだ。
「大丈夫。……知らない子が、助けてくれたから」
ブレイジールの目が、少年の消えた路地の奥へ向く。
「……トビは?」
「なかには、あの先生しかおりやせんでした」
「トビたちはどこへ……」
ブレイジールは、閉ざされた裏口をにらんだまま、声を落とした。
「あの先生、魔族でも人でもねえ、得体の知れねえもんでやす」
「勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~」5-3を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
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挿絵をChatGPTに描いてもらいました!
※『記憶喪失勇者』のスピンオフです。本編未読でもお読みいただけます。
※ 本編の800年前の物語です。
※本編へのリンクはあとがきの下にあります!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




