エピソード4-3
「あの男が逃げたのは、滝へ登る道でさ」
走る主の後ろから、ブレイジールが言った。
「お嬢、本当に追うんですかい? 衛兵の仕事でやすよ」
レギウスは答えず、足を速めた。
わざとらしいため息がひとつ聞こえた。足音は、ちゃんとついてくる。
街を出ると、道は川に沿って山へ登っていった。
近づいてくる滝の音を聞きながら、白い水煙の脇を抜けて、さらに上へ。川は道のはるか下を流れ、雨の後で水かさを増していた。
「ベン!」
男の名前を叫んだ。壇の上で、興行師がそう呼んでいた。
返事はなかった。
滝の上に出たところで、道が開けた。
崖の縁を背にして、金髪の男がうずくまっていた。剣も盾もマントも、もうない。汗で張りついたシャツ一枚きりだ。
顔を上げたベンの茶色い目が、レギウスを見る。その目に、涙は浮かんでいなかった。浮かんでいたのは、別のものだった。
「……なんで、俺じゃなくて、おまえなんかが、勇者なんだよ。ひょろひょろの小僧のくせに」
(……)
レギウスの手が、腰の剣にかかった。
ブレイジールが、主の顔を見る。
「そんなに勇者になりたいなら」
レギウスは剣を抜いて、男の目の前に突き立てた。
「代わってあげるよ」
白い刀身が、地面に沈む。柄だけが、太陽の光を受けている。
「その剣が抜けたら、今日から貴方が勇者だ」
ベンは、弾かれたように立ち上がった。土に立つ柄を両手でつかむ。腰を落として、全身で引いた。
動かない。
もう一度。今度は足を踏ん張って、背中で引く。
動かない。刀身は、土に沈んだまま、まったく浮いてこない。
「……なんだよ、これ」
柄を強く握り直す。手のひらが赤くなった。指がすべり、皮が剥ける。それでも構わずに、引きつづけた。
剣は、ぴくりとも動かなかった。
「なんで抜けないんだよ!」
ベンは柄から手を離し、血のにじんだ両手に、目を落とした。
「俺だって、あんなことがしたかったわけじゃない。ただ、特別になりたかった。誰かを助けられるような人間になりたかった。……あいつの口車に乗って、勇者にでもならなきゃ、誰にも見向きもされなかった。それなのに……なんで、おまえは特別なんだよ! 目が紅いってだけじゃないか!」
崖の下から、滝の音が上がってくる。
「金髪で、目が紅いのが、この国にふたりしかいなかった。もうひとりは、生まれたばかりの王女さま」
ベンが、眉を寄せた。
「だから、僕が選ばれた。それだけだよ」
淡々とした声だった。
「その剣は、本当にあげるつもりだった」
ベンの口が、開いたまま止まった。
「盾も王都にあるから、取りにいけばいい」
「……なに言ってんだよ」
「そうしたら、魔王と戦うのを、代わってもらえた」
「じょ、冗談だろ」
「僕は、剣が使えない。……でも、魔王を倒せって、王の勅命を受けてる」
レギウスは、ベンの茶色の目を見つめた。
「代わってもらえるものなら、代わってほしいよ!」
「なんだよ、それ……」
声が、上ずっていた。
「なんだよ、それ! なんで、そんなの、おまえひとりで――」
逃げるように、一歩、下がった。
雨で緩んだ崖の縁が、その足の下で崩れた。
「ベンっ!!」
レギウスが崖を見下ろすと、はるか下の白い水が、なにかを巻き込んで流れていく。
「落ちやしたね」
ブレイジールが、のんびりと隣に並んだ。
「ブレイジール、彼を助けて!」
魔族の従者は、川を見たまま、言った。
「……見なかったことに、しやしょう」
「助けて!」
ブレイジールが、ようやくこちらを向いた。
「お嬢。あっしは、泳げやせん。猫は水が苦手でやして……」
(こういうときだけ、猫になるんだから)
「僕も泳げない」
レギウスは、懐から白い貝のようなものをふたつ取り出し、片方をブレイジールに押しつけた。
「これは離れていても話せる魔道具。耳につけて」
「そんなもんを、懐に入れて歩いてたんで?」
「いいから、早く!」
「お嬢……」
「結界。水に入れるやつを作って、僕を川まで下ろして。命令だよ」
「……へえ」
ブレイジールは嫌そうに貝を耳につけた。レギウスも、自分の耳に同じ貝をはめる。
金色の光が、レギウスのまわりに生まれた。
球だった。
人ひとりが立って入れるほどの、光る球。足元も、頭の上も、透き通った壁に包まれている。
レギウスは、球ごと、崖から踏み出した。球は急には落ちなかった。川に向かって、すこしずつ下りていく。
川面に触れた球は、そのまま水のなかへ沈んでいった。
水が球のまわりを流れていくのに、冷たさはすこしも伝わってこず、なかは乾いたままだった。
(どこ。どこにいるの)
レギウスは目を凝らした。
流れが速い。下流へ引かれていく光の壁の外を、水の泡と、砂と、ちぎれた草がぶつかっては流れていく。
濁った流れの向こうで、人の足が力なく揺れていた。
レギウスは、球の壁に手を押しつけた。そこから腕だけが、水のなかに出た。
川の水が、刺すように冷たかった。
伸ばした指先が足首に届き、レギウスは思いっきり引いた。
(重い)
水を吸った身体は、岩のように重かった。片手ではびくともしない。今度は両手でつかんで、懸命に引いた。
(頼むから、こっちに来て!)
球のなかに、人の身体が転がり込んできた。壁が閉じる。
ベンは目をつぶったまま、口の端から水を流していた。
「起きて! ねえ!」
何度も胸を押した。昔、叔父に教わったとおりに。
水が口からあふれ出し、咳とともに、荒い息が球のなかに響いた。
(生きてる)
そう思った瞬間、球が大きく傾いた。
本流につかまった金色の球が、滝へ、ぐんぐんと運ばれていく。前方で、水の音が、岩に砕ける白い音に変わった。
「まずい! ブレイジール……!」
「勇者レギウス ~最弱勇者と最強従者~」4-3を読んでいただき、本当にありがとうございます!!
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※『記憶喪失勇者』のスピンオフです。本編未読でもお読みいただけます。
※ 本編の800年前の物語です。
※本編へのリンクはあとがきの下にあります!
※この小説は執筆に一部、AIを使用しています。
・自身で執筆した文章をAIに改変させているが、再度全て自分で編集・改稿
・自身で執筆した文章の誤字・脱字チェック




