8話 騎士団に入りたい
「どうしたんだい? 急に里帰りしたいなんて」
「ちょっと、お父様に相談したいことがあって」
リュネットは王宮を出て、馬車でシルヴァレン家へ戻ってきていた。
もちろん、エリオスにはずいぶん文句を言われた。
「どうして急に帰るんだ」
「僕を置いていくのか」
「せめて明日にしよう」
そんなことを散々言われたが、なんとか押し切ってきたのだ。
馬車が止まると、父――エドリック・シルヴァレンが手を差し出してくれる。
リュネットはその手を取り、ゆっくりと馬車を降りた。
久しぶりに見る父の顔に、胸の奥が少しだけ熱くなる。
一度目の人生では、この人を救えなかった。
だからこそ。
今度は絶対に、同じ未来にはさせない。
「お父様」
「うん?」
「単刀直入に言います」
リュネットは足を止めた。
そして、まっすぐ父を見上げる。
「私、騎士団に入りたいです」
父の足が止まった。
「……騎士団?」
さすがに驚いたのだろう。
エドリックは目を大きくして、娘の顔を見つめた。
「どうして急に、そんなことを?」
「自分で生きていける力を身につけたいのです」
リュネットは迷わず答える。
「もし何かあった時に、お父様の後を継げるくらいの実績も作りたい。だから騎士団に入りたいのです」
「……なるほど」
「できれば、中央局を希望しています」
その言葉に、父の眉がわずかに動いた。
「中央局か」
「はい」
「……アステル殿下のところだね」
「はい」
しばらく沈黙が続いた。
父は腕を組み、考えるようにリュネットを見つめる。
けれど、その表情は怒ってはいなかった。
むしろ、娘がなぜそんなことを言い出したのか、きちんと理解しようとしてくれているようだった。
「中央局が、どういう場所かはわかっているね?」
「もちろんです」
「戦場の最前線で剣を振るう部署ではない。だが、楽な仕事でもない」
父の声が少し低くなる。
「中央局は騎士団の中枢だ。下の部署だけでは処理できない事件や、王都や王宮に関わる案件を扱う。諜報、情報分析、機密文書の管理。国家そのものに関わる仕事も多い」
「はい」
「そして何より――アステル殿下は厳しい」
リュネットは、やはりそうなのかと思った。
「とても優秀なお方だ。だが、使えないと判断した者を手元に置くような方ではない」
父は少し困ったように笑う。
「以前、家の力だけで中央局に入ろうとした公爵家の息子がいたそうだが、入局して一時間もしないうちに追い出された、なんて話まである」
「聞いたことがあります」
「冗談ではないと思うよ」
エドリックは肩をすくめた。
「アステル殿下は、身分で人を甘やかさない。お前が王太子殿下の婚約者だからといって、特別扱いもしないだろう」
そこで一度言葉を切る。
「それどころか、むしろ他の者より厳しく見るかもしれない」
「それでも構いません」
答えはすぐに出た。
声も揺れなかった。
父は、しばらく黙ってリュネットを見ていた。
「……それと、もう一つ」
「はい」
「騎士団に入るなら、今までと同じようにはいかなくなる」
リュネットは黙って続きを待つ。
「王太子殿下の婚約者としての役目もある。騎士団の仕事が忙しいからといって、すべて放り出していいわけではない」
「はい」
「それに、騎士団で実績を積むということは――王太子妃になる道から、自分で離れることにもつながる」
父の言葉は静かだった。
けれど、その一言は重かった。
「それでもいいのか?」
リュネットは、少しだけ目を伏せる。
「私は、お前がエリオス殿下と生きていくことを望んでいると思っていたよ」
その言葉を聞いて。
一度目の人生が、胸の奥をよぎった。
確かに。
昔の自分なら、そうだった。
エリオスの妻になること。
王太子妃になること。
そして、いつか皇后になること。
それが幸せなのだと、疑ったこともなかった。
でも。
もう違う。
リュネットは顔を上げた。
「はい。構いません」
父の目を見る。
「むしろ今は、皇后になることだけに頼って生きる方が危険だと思っています」
「……危険?」
「はい」
父の表情が少し変わった。
「何か考えていることがあるんだね」
「あります」
「なら、聞かせてくれるか?」
リュネットは一度、ゆっくり息を吸った。
「今回、同盟諸国友好法が施行されました」
父は黙って頷く。
「これから王家の婚姻は、国内の事情だけで決まるものではなくなると思います」
「……外交か」
「はい」
リュネットは続ける。
「同盟国との関係を強くするために、王族同士の結婚が使われる可能性も高くなるでしょう」
父は何も言わない。
だからリュネットは、さらに一歩踏み込んだ。
「私は、ラヴェーナ公女殿下とエリオス殿下が結婚する可能性もあると思っています」
「……!」
さすがにそこまでは考えていなかったのだろう。
父が少し目を見開いた。
「今日、初めてお会いしたばかりだろう?」
「はい。でも、外交のことだけを考えるなら、不自然ではありません」
本当は。
一度目の人生で、実際にそうなった。
けれど、それは言えない。
だから今は、あくまで自分の考えとして話す。
「もしそうなれば、私は王太子殿下の婚約者ではなくなります」
一度目の人生の自分が、頭をよぎる。
婚約を失い。
何も残らず。
ただエリオスが戻ってきてくれることだけを願っていた自分。
「その時に、何者でもない人間にはなりたくないのです」
父の表情が、少しだけ真剣になる。
「だから、今のうちに自分の立場を作っておきたいということか?」
「はい」
リュネットは頷いた。
「王太子妃になれなかったとしても、私は私として生きていけるようになりたいのです」
未来を知らない父からすれば。
皇后になれるかもしれない娘が、それを自分から手放そうとしているように見えるだろう。
もったいないと思っても不思議ではない。
それでも。
リュネットには、避けなければならない未来がある。
「中央局なら、剣が得意でなくても国を守る仕事ができます」
そして。
「皇后教育で学んできたことも、きっと役に立つと思うのです」
人の表情を読むこと。
言葉の裏を考えること。
情報を集めて、整理すること。
噂と事実を分けること。
そして、そこから何が起きるのかを考えること。
一度目の人生では。
全部、皇后になるためだけの勉強だと思っていた。
けれど。
今なら、それを別の場所で使えるかもしれない。
「王太子妃教育も落ち着いてきましたし、中央局での業務は内政にも繋がっているので、いい経験になると思います。
ーーそれに、もしそうならなかったとしても、私がシルヴァレン家を継ぐ道も開けると思っています」
そこまで言うと。
父は、ゆっくり息を吐いた。
「……なるほど」
しばらくして。
優しい笑みを浮かべる。
「お前は、本当にいろいろ考えているんだね」
「……お父様」
「さすがお母さんの子だ」
そう言って、父は少し嬉しそうに笑った。
リュネットの胸の奥が、じんわりと暖かくなる。
(よかった……)
絶対に駄目だと言われる可能性も、少しは考えていた。
王太子の婚約者である娘が、王太子妃になる道以外を探す。
それは見方によっては、王家への反逆と受け取られてもおかしくない。
それでも父は。
まず、リュネットの気持ちを聞いてくれた。
「王家への忠誠はもちろんあるがーーそれ以前に私は、お前の気持ちを尊重したい」
「……!」
「できることがあるなら、力も貸そう」
リュネットの顔が明るくなる。
けれど。
父はすぐに人差し指を一本立てた。
「ただし、一つだけ条件がある」
リュネットは背筋を伸ばした。
「はい」
「特別扱いは、一切なしだ」
父の表情が真剣になる。
「シルヴァレン家の娘だから。王太子殿下の婚約者だから。そんな理由で優遇されることを期待してはいけない」
「はい」
「入る前も、入った後も同じだ。自分の力だけで認めてもらうこと」
「承知しています」
「失敗すれば、普通に落とされる」
「はい」
「場合によっては、社交界で笑いものになるかもしれない」
「それでも構いません」
即答だった。
父はそんな娘を見て。
少し困ったように、けれど嬉しそうに笑った。
「まったく……」
リュネットの頭に、ぽんと手を置く。
「本当に、私の娘だね」
「お父様……」
「よし」
父は頷いた。
「すぐに話を進めよう。入り口だけは私が作ってやろう。推薦状は私が書く」
「本当ですか!?」
リュネットの顔が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございます、お父様!」
深く頭を下げる。
「私、必ず実力で認めてもらいます。シルヴァレン家の娘として、恥ずかしくない働きをします!」
父は、そんな娘を見て優しく笑った。
「シルヴァレン家の娘が、中央局への入局を希望している?」
月が明るく城を照らす夜。
騎士団中央局の一室に、低い声が響いた。
「はい。先ほど、エドリック・シルヴァレン卿から直筆の推薦状が届きました」
窓から、青白い月明かりが差し込んでいる。
部屋には余計な装飾がほとんどない。
机と椅子。
そして、必要最低限の書類棚だけ。
その簡素な部屋の中央に、一人の男が座っていた。
ヴァルノール王国第一王子のアステル。
ただ椅子に座っているだけなのに。
まるで玉座にいるかのような威圧感があった。
部下から差し出された封筒を、アステルは受け取る。
表には、エドリック・シルヴァレンの名。
アステルはそれを一瞥した。
「中央局は……」
低い声が落ちる。
「剣を握れない名門貴族の子供を預かる場所ではない」
そう言うと、アステルは、まだ封すら開けていない推薦状を無造作に破いた。
びり、と。
乾いた音が部屋に響く。
「で、殿下……?」
部下がわずかに目を見開く。
アステルは気にした様子もない。
破いた紙を机の上へ落とす。
「推薦状に何が書いてあるかなど、どうでもいい」
黄金の瞳が、冷たく細められた。
「我が局に必要なのは、家柄でも肩書きでもない」
指先でとん、と机を叩く。
「絶対的な判断力だ」
静かな声だった。
それなのに。
部屋の空気が、一気に張りつめる。
「王太子殿下の婚約者であろうと、シルヴァレン家の娘であろうと関係ない」
アステルは、破かれた推薦状へ一度だけ視線を落とした。
「使えない者なら、わが局には不要だ」
「では……お断りしますか?」
部下が尋ねる。
すると。
アステルは、ほんの少し考えるように目を伏せた。
「いや」
そして。
再び顔を上げる。
「シルヴァレン家の娘に伝えろ」
「はい」
「本気で中央局に入りたいのなら、一度だけ試験を受けさせる」
部下が驚いたように顔を上げる。
アステルは表情を変えない。
「ただし、生半可な覚悟で来るならやめておけとな」
月明かりが、淡い金色の髪と冷たい横顔を照らしている。
「ここでは、王太子の婚約者という肩書きは何の役にも立たない」
黄金の目が、鋭く光った。
「それでも来るというのなら――」
アステルは、静かに言い放った。
「自分の力で、価値を証明してみろ」




