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9話 入団試験

「この先に局長がお待ちです。どうぞ、中へ」


案内してくれた局員が、重い扉の前で立ち止まった。




ついにここまで来た。


今日は、リュネットの入団試験の日だ。




騎士団中央局は、廊下に立っているだけでも妙な緊張感があった。

人の話し声はほとんど聞こえず、行き交う局員たちも無駄口を叩かない。

皆、足早に自分の仕事へ向かっている。


王宮とはまるで違う。


華やかさも、愛想笑いもない。


ここでは、本当に力だけが見られるのだ。




(大丈夫)


リュネットは小さく息を吸った。


(私は、そのために来たんだから)




「失礼いたします」


扉を開け、部屋へ入る。


背後で、重い扉が静かに閉まった。


たったそれだけの音なのに、急に逃げ道を塞がれたような気がした。



部屋には、ほとんど何もない。飾りも絵画もなく、あるのは机と向かい合った二つの椅子だけ。


そして、その奥に一人の男が座っている。




ヴァルノール王国第一王子。


騎士団中央局局長――アステル。




歓迎会で遠くから見た時とは、また雰囲気が違った。

ただ椅子に座っているだけなのに、目を合わせただけで背筋が伸びる。


リュネットは一歩前へ進み、丁寧に頭を下げた。




「リュネット・シルヴァレンです。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。アステル殿下」


アステルは返事をしなかった。


ただ、向かいの椅子へ目を向ける。


座れ、ということらしい。


(……噂どおり、愛想はないのね)


リュネットは素直に腰を下ろした。




その瞬間。


アステルが口を開いた。


「最初に言っておく」


低く、静かな声だった。




「今から君の言葉も、態度も、すべて評価する」


リュネットは姿勢を正した。


「少しでも見込みがないと判断したら、その時点で帰ってもらう」


「はい」


「ここは騎士団の中でも、特に重要な仕事を扱う部署だ」



アステルの黄金の瞳が、まっすぐリュネットを見る。


「剣が得意でなくても出世できる。そう考えて志願してくる貴族も多い。

だが、そんな理由で務まるほど甘い場所ではない」


冷たい視線だった。


まるで、心の中まで見られているような気がする。




「君は何のためにここへ来た?」


その問いに。


リュネットは迷わなかった。


「生き残るためです」


アステルの眉が、ほんのわずかに動いた。



リュネットは続ける。


「私は今まで、シルヴァレン家の娘として、そして王太子殿下の婚約者として守られてきました」


胸元に手を添える。


そこには、シルヴァレン家の紋章。そして、王太子の婚約者であることを示す飾りがついている。


これまでのリュネットにとって、それらは自分が何者なのかを示す大切なものだった。


けれど、一度目の人生で知った。


そんな肩書きは、失う時にはあまりにも簡単に失われる。




「ですが、それだけでは……自分だけでなく、大切な人も守れないとわかりました」


アステルは何も言わず、リュネットを見つめている。


「だから私は、自分自身の力が欲しいのです」


リュネットは胸元の飾りに手をかけた。


そして、ブチッ!!と、ためらうことなく引きちぎった。


シルヴァレン家の紋章。


王太子の婚約者の証。


地面に投げ捨てられたそれらはカラン、と小さな音を立てた。



「ここでは、これらに頼るつもりはありません」


アステルの目が、わずかに細くなる。


「私はただのリュネットとして試験を受けます。

家柄も、婚約者という立場も関係なく、自分の力だけで認めてもらいたいのです」


一度目の人生なら、こんなことは言えなかっただろう。


家柄も。


婚約者という立場も。


全部、自分を守ってくれるものだと思っていたから。


でも今は違う。


誰かに与えられたものではなく、自分で手に入れたものが欲しい。



「ここで働いて、実績を積みます」


リュネットは、はっきりと言った。


「そして、誰かの妻になれなかったとしても、一人の人間として生きていける力を身につけたいのです」


しばらく、部屋に沈黙が落ちた。


アステルは何も言わない。




(……まずかったかしら)


さすがに少し緊張してきた、その時。


「……なるほど」


アステルの口元が、ほんのわずかに上がった。


笑った、というほどではない。


けれど、先ほどまでの冷たい顔とは明らかに違った。


「思っていたより、ずいぶん勇ましい令嬢だな」


「お褒めの言葉……と受け取りますわ」


リュネットがためらいがちと言うと、アステルは気にした様子もなく手元の書類へ視線を落とした。


「だが、試験を受ける資格はある」


リュネットの肩から、少しだけ力が抜けた。


「ありがとうございます」


「--今時点では、試すに値するだけと言っただけだ」


「……はい」


思わず安心しかけてしまった。


リュネットは慌てて背筋を伸ばす。


そんな様子を見ていたアステルは、ほんの少しだけ目を細めた。




そして、机の上に数枚の書類を並べる。


「中央局の仕事について、勘違いしている者は多い」


淡々とした声で話し始める。


「ここは、剣を振るう場所ではない。英雄になる場所でもない。

だが、知識が多ければいいという場所でもない」


アステルは一枚の紙を指先で軽く叩く。


「私たちの仕事で一番大切なのは、目の前の情報から、その先に何が起きるのかを考えることだ」


リュネットは黙って耳を傾ける。


「目の前では、小さな事件にしか見えないかもしれない。


だが、その小さな違和感を見逃したせいで、後になって多くの人間が死ぬこともある」


黄金の瞳が、まっすぐリュネットを射抜いた。


「剣を使わずに国を守る。それが中央局の仕事だ」





リュネットは、ゆっくり頷いた。


「理解しています」


「ならば、試してみよう」


アステルは三枚の報告書を、リュネットの前へ滑らせた。


「最近、王都で起きた三件の事件だ」


リュネットは書類へ目を落とす。



一つ目。王都内にある倉庫での盗難事件。



二つ目。平民街で起きた、小さな暴行事件。


三つ目。税関で見つかった、帳簿の数字の食い違い。



どれも、一見すると大した事件には見えない。



「この三件は、すでに下位局で処理されている」


アステルが言う。


「すべて、偶然起きた小さな事件だと判断された」


リュネットは三枚を見比べた。


「ですが、中央局では違うのですね?」


「そうだ」


アステルは腕を組む。



「この三件の中から、一つだけ選べ。放っておけば、最も危険なことにつながる可能性があるものだ。

そして、なぜそう思うのか説明しろ」


リュネットは書類へ視線を戻す。


「犯人まで特定する必要はありますか?」


「ない」


アステルは即答した。


「証拠も?」


「今はいらない」


「では、可能性だけで判断するのですね」


その言葉に、アステルの目が少し変わった。


「そうだ」


今度は、ほんの少しだけ満足そうな声だった。


「中央局が最初に求めるのは、犯人を捕まえることではない。危険に気づくことだ」


リュネットは黙って聞いている。


「判断を間違えれば、一週間後には暴動が起きているかもしれない。場合によっては、王族の命が狙われるかもしれない」


部屋の空気が、少しだけ重くなった。


リュネットは改めて三枚の報告書を見る。


盗難。


暴行。


帳簿の食い違い。


どれも、小さな事件だ。


普通なら、その場で犯人を探して処理して終わる。


けれど。


(中央局は、その先を見る)





リュネットは、一枚ずつ丁寧に読み始めた。


倉庫の盗難。


確かに気になる。


暴行事件。


こちらにも不自然な点はある。


けれど。


最後の一枚を読んだ時。


リュネットの目が止まった。


税関。


帳簿。


数字のずれ。


ほんの小さな違い。


普通なら、単なる書き間違いで片付けられてしまう程度のもの。


だからこそ。




リュネットは、その書類をもう一度最初から読み返した。


そして。


「……これです」


帳簿の数字が食い違っている報告書を取り、アステルの方へそっと押し出した。


「私なら、この件を調べます」


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