7話 美しきラヴェーナ
「同盟国ラベンスカー公国より……ラヴェーナ・ラベンスカー公女殿下のご入場です」
その名が告げられた瞬間、大広間を満たしていたざわめきが、すっと静まった。
皆の視線が、一斉に入り口へ向く。
やがて、その向こうから一人の少女が姿を現した。
(……やっぱり、綺麗)
リュネットも思わずそう感じた。
一度目の人生ですでに見ているというのに、それでも目を奪われてしまう。
ラヴェーナが身にまとっているのは、淡い金色のドレスだった。
細い身体にやわらかく沿う、飾りの少ない上品なドレス。
派手な宝石で飾り立てているわけでもないのに、不思議と彼女自身が光をまとっているように見える。
大きな空色の瞳。
ふっくらとした柔らかな頬。
ほんのりと色づいた唇。
そして、柔らかな羊毛を思わせる、豊かなベージュ色の髪。
完璧に整った美人というだけではない。
無邪気で、愛らしくて、見ているだけで自然と心が明るくなる。
そんな魅力を持った少女だった。
まるで天使がそのまま地上へ降りてきたようだ。
けれど、ただ可愛らしいだけでもない。
大勢の貴族から視線を向けられているというのに、ラヴェーナはまるで緊張した様子を見せなかった。
背筋を伸ばし、堂々と歩いてくる。
その姿には、生まれた時から王族として育てられてきた者だけが持つ気品があった。
ラヴェーナが広間の中央へ進み出る。
そして、優雅に一礼した。
それを合図に、楽師たちが音楽を奏で始める。
最初の音が響いた瞬間、ラヴェーナの身体が動いた。
迷いのない動きだった。
腕を伸ばし、身体を滑らかにひねる。
一つ一つの動きが自然につながっていて、何百回、何千回と同じ舞を踊ってきたのだとわかる。
白鳥が水面を滑っていくように、軽やかで優雅だった。
先ほどまで小声で話していた貴族たちも、今は誰一人として口を開かない。
皆、ラヴェーナの舞に見入っている。
けれど、その中でも。
誰よりもわかりやすく目を奪われている人物がいた。
ーーエリオスだ。
リュネットは、そっと隣を見る。
「…………」
先ほどまであれほどリュネットに話しかけていたエリオスが、完全に黙り込んでいた。
目を見開き、瞬きすら忘れたようにラヴェーナを見つめている。
リュネットが隣にいることなど、もう意識にもないようだった。
(……ああ)
その顔を見て、リュネットは妙に納得した。
(この時には、もう惹かれていたのね)
一度目の人生では気づかなかった。
いや。
気づきたくなかったのかもしれない。
けれど、今ならよくわかる。
エリオスの目は、明らかに変わっていた。
つい先ほどまでリュネットを見つめていた時とは違う。
親しさでもない。
長く一緒に過ごしてきた相手への安心でもない。
初めて見るものに、心ごと奪われてしまった人間の目だった。
ラヴェーナが微笑む。
その瞬間、エリオスの喉が小さく動いた。
「……綺麗だ」
ぽつりと。
本人すら気づいていないような声で呟く。
リュネットの耳には、はっきりと届いた。
それでもエリオスは、隣にいる婚約者の存在を思い出すことすらなく、ラヴェーナを見つめ続けていた。
(なるほどね)
リュネットは、心の中で静かに息を吐いた。
(一目惚れって、こういうことなのね)
不思議と胸は痛まなかった。
嫉妬もしない。
悲しくもない。
腹も立たない。
一度目の人生で、そういう感情はもう使い果たしてしまったのだろう。
ただ、少し呆れた。
(こんなにわかりやすかったのに、どうして私は気づかなかったのかしら)
今思えば、エリオスは昔からそういう人だった。
好きだと思えば、一直線。
欲しいと思えば、周りが見えなくなる。
嬉しければ笑い、気に入らなければすぐ顔に出す。
いつだって自分の感情に正直で、その感情に簡単に引っ張られる。
変わったのは、エリオスではない。
リュネットの方だ。
一度すべてを失ったからこそ、今は少し離れたところから彼を見ることができる。
そうしているうちに、舞は佳境へ入っていた。
音楽がひときわ大きくなる。
ラヴェーナの足取りも少しずつ速くなっていく。
淡い金色のドレスがふわりと広がり、裾が大きな円を描く。
そしてラヴェーナは、一度深く身体を沈めた。
次の瞬間。
くるりと一回転し、そのまま軽やかに床を蹴った。
ふわり、と身体が宙へ浮く。
ほんの一瞬、時間そのものが止まったように見えた。
ベージュ色の髪が大きく広がり、シャンデリアの光を受けてきらきらと輝く。
そして音もなく着地した。
「……っ」
広間のどこかで、誰かが息を呑む。
一拍遅れて、大きな拍手が沸き起こった。
「素晴らしい!」
「なんて美しい……!」
あちこちから感嘆の声が上がる。
中には思わず席を立って拍手をしている者までいた。
ラヴェーナの舞は、ただ技術が優れているだけではなかった。
彼女が笑えば、つられて見ている者まで笑いたくなる。
彼女が腕を広げれば、次は何をするのだろうと目が離せなくなる。
そこにいるだけで、人を惹きつけてしまう。
そんな華やかさを持っていた。
舞を終えたラヴェーナは、満足そうに胸を張るわけでもなく、広間中へ向けて愛らしく微笑んだ。
その瞬間。
隣にいたエリオスが、小さく息を呑んだ。
目が合ったわけでもない。
ラヴェーナが、エリオスだけに笑いかけたわけでもない。
それでもエリオスは、まるで自分に笑いかけられたかのような顔をしていた。
頬がわずかに赤くなっている。
「……ラヴェーナ姫か……」
その名前を口にした声は、妙に熱っぽかった。
リュネットは、それを横目で見ていた。
(これはもう、完全に落ちたわね)
つい先ほどまで、「世界で一番美しい」と自分に言っていた男だ。
あとで二人で踊ろうとも言っていた。
けれど今、その瞳にはリュネットの姿など映っていない。
ラヴェーナしか見えていなかった。
一度目の人生なら、きっと、この光景だけで胸が張り裂けそうになっていた。
どうして私を見てくれないの。
私の方がずっと長くそばにいたのに。
そんなことを考えていたはずだ。
けれど今は違う。
むしろ、妙にすっきりしていた。
(この人を取り戻そうなんて、もう考えなくていい)
ラヴェーナを見つめ続けるエリオスを見て、リュネットの気持ちはかえって固まった。
自分がやるべきことは、ここにはない。
王太子の隣で、彼が自分を愛してくれるかどうかに怯えながら生きることでもない。
リュネットは、先ほど目にした人物を思い浮かべる。
大広間の端。
騎士団中央局に所属する、第一王子アステル。
そして、自分がこれまで身につけてきた知識。
人を見る力。
情報を整理する力。
物事の裏側を考える力。
それらを使って、実績を積む。
誰にも文句を言わせないほどの実績を残して、シルヴァレン家の家督を継ぐ。
(騎士団へ行くのよ)
迷いはなかった。
(中央局に入る方法を探すの)
ラヴェーナへ惜しみない拍手が送られる中。
リュネットの胸にも、別の意味で熱いものが灯り始めていた。
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