14話 嫌がらせ
サラ・スナイデルは、スナイデル伯爵家の令嬢だった。
艶のある黒髪に、気の強そうな顔立ち。彼女は大量の書類を抱え、ふらふらとリュネットの机へ近づいてきた。
「これ、追加資料です……アステル様から預かりましたぁ」
そう言うと、サラは書類の束を、リュネットが確認していた資料の上に乱暴に置いた。
書類が、机の上で大きく崩れる。
「……書類は丁寧に置きなさい」
リュネットが厳しい口調で注意すると、サラは悪びれもせず、ふふっと笑った。
本来なら、王太子の婚約者であるリュネットに対して、こんな態度を取ることは許されない。
しかし、リュネットが騎士団に入ったことで婚約破棄の噂が流れているためか、サラは以前よりも強気になっているようだった。
口論をしている時間が惜しい。
リュネットは眉をひそめながらも、追加された書類を一枚ずつ確認し始めた。
そして、すぐに手を止める。
「こちらは、私が本日担当している事件とは関係のない資料のようですが」
リュネットが指摘すると、サラは首をかしげた。
「え? そうですかぁ?」
サラは書類を覗き込み、わざとらしく眉を下げる。
「うーん。でも、似たような内容なんじゃないですかねぇ」
似ているどころか、管轄も関係者もまったく違う。
しかも、書類の順番までばらばらだった。
(……この人、わざとやっているわね)
中央局に入ってから、メイドたちは明らかにリュネットへ嫌がらせをしていた。
昼食に虫を混ぜられたり、掃除のふりをして部屋に埃をまき散らされたりしたこともある。
不満は積もっていたが、リュネットはこの場では追及しないことにした。
就任したばかりの自分が、メイドに嫌がらせをされたなどと訴えるのは、あまりにも幼稚に思えた。
それに、今は余計な波風を立てない方がいい。
「こちらで整理します。ただし、今後はアステル様から渡された状態のまま持ってきなさい」
「はぁい。あ、それから、お茶もお持ちしましたぁ」
サラはにこにこと笑いながら、机の端にティーカップを置いた。
カップは、書類のすぐ横に置かれている。
リュネットの眉が、ぴくりと動いた。
「気をつけなさい。こぼれたら――」
「大丈夫ですよぉ。こぼさないように置いていますから」
サラはリュネットの言葉を遮ると、わざとカップを少しずらした。
次の瞬間、ティーカップから小さなしずくが飛び、書類の上に落ちた。
「……!」
インクが、じわりとにじんでいく。
胸の奥がひやりとした。
それでもリュネットは何も言わず、布を手に取って、書類をそっと拭いた。
「中央局のお仕事って、本当に大変そうですねぇ」
サラは、からかうような表情で書類を覗き込んだ。
「頭を使うことばかりですし……女性に務まるのかと心配している方も、いらっしゃるんじゃないですかぁ?」
「ただの伯爵令嬢なら、難しいかもしれませんね」
リュネットはにこやかに答えた。
「ですが、私は皇后教育を受けています。情報を整理したり、状況を分析したりすることには慣れていますわ」
淡々とした口調だったが、そこにははっきりとした皮肉が含まれていた。
サラの口元が、わずかに引きつる。
「そうですかぁ?」
そして、わざとらしく首をかしげた。
「てっきり、皇后教育がうまくいかなかったから、騎士団に逃げてきたのかと思っていましたぁ」
サラはそこで声を落とし、リュネットの耳元へ顔を寄せた。
「でも、アステル様は結果にとても厳しい方ですよ。たった一度の失敗で、職を失うこともあるそうです」
さらに、楽しそうに続ける。
「以前、一日で辞めさせられた方もいたんですから。リュネット様も、気をつけてくださいねぇ」
「ご親切にどうも」
リュネットはサラをまっすぐ見つめた。
「ですが、これ以上無駄話を続けるのはやめてくださるかしら。業務妨害に当たりますわ」
鋭い視線を向けられ、サラは一瞬、身を縮ませた。
しかし、すぐに口元へ笑みを浮かべる。
「あら、怖い顔をなさらないでくださいな。未来の皇后さまぁ」
最後までリュネットを苛立たせる言葉を残し、サラは部屋を出ていった。
本来なら、今すぐにでも解雇を申し渡すべき態度だった。
けれど、リュネットは誰かに相談する気にはなれなかった。
(アステル様が仕事に厳しい方だということは知っているわ)
(だからこそ、こんな嫌がらせを大ごとにはしたくないのよ)
部屋に静けさが戻った。
しかし、机の上は元の状態には戻っていなかった。
順番の乱れた資料。
にじんだ文字。
そして、途切れてしまった集中力。
「……いけないわ」
リュネットは小さく首を振り、再び書類へ目を向けた。
(きちんと終わらせなきゃ。ただでさえ、今日中には終わりそうにない量なんだから)
リュネットは、もう一度作業を始めた。
一枚ずつ書類を確認し、必要な情報を書き出していく。
けれど、この時に生じた小さな乱れが、後に大きな間違いを引き起こすことになる。
そのことに、リュネットはまだ気づいていなかった。




