14話 月白朔と湖山澪の話3(終)
唇が離れても、手は離れない。
むしろさっきより強く、指を絡めてしまっている自分に気づく。
(……離したくない)
今まで触れられなかった。ただカウンター越しに見ているだけだった。
それが今、澪の体温がこんなに近い。
「……澪」
名前を呼ぶ声が掠れていた。
繋いだ手を、そっと自分の方へ引き寄せる。
「やっと、触れられた」
小さく、こぼれる本音。
澪の指がぴくりと動いた。視線を落として、絡んだ指を見る。
「ずっと、我慢してたんです」
「触れたいとか」
「隣に立ちたいとか」
「名前を呼びたいとか」
自分でも驚くくらい、一つ一つ本音が溢れてくる。
「澪がここに来るたびに……今日はどこまで近づいてもいいのかって、考えてた」
そんな願望も、独占欲も、全部隠してきた。でも今は伝えなきゃいけない、そんな気がした。
「……好きです」
もう一度確かめるみたいに、澪の手を両手で包むと、親指でそっと手の甲を撫でる。
自分でも笑えるぐらいに手が震えていた。
「こんなに好きになると思ってなかった」
顔を上げると澪と視線が絡んだ。少し、赤くなってる頬に潤んだ瞳が綺麗だった。
「……もう少しだけ、このままでいさせてください」
澪が小さく笑った。
それだけで許されたと感じてしまうその笑顔に、胸がまた締めつけられた。
(可愛い)
(どうしよう、本当に)
澪の手を握ったまま、祈るように手を額にそっと寄せる。
やっと手に入れた温もりを確かめるみたいに、何年分もの想いが、もう抑え込むなんて出来ないぐらい溢れてて、自分でも笑ってしまう。
俺は目を閉じて、小さく笑みを浮かべていた。
まだ名残惜しいけど、一度繋いだ指をほどく。離れた瞬間、少しだけ寂しい。
一歩、俺はカウンターの横へ回り込むと、少しだけ背の高い椅子に座る、澪と胸元の高さで視線が合う。
「……抱きしめてもいいですか」
いちいち確認するのもおかしいけど、大事だから、壊さないように、慎重になってしまう。
澪はふっと安心させるように優しく笑った。
その笑顔に、胸がいっぱいになる。
そっと、澪の背中に腕を回した。
慎重に引き寄せるととても軽い。思っていたより華奢で、体温があたたかい。髪から柔らかい匂いがする。
(ああ)
澪が腕の中に、いる。
澪の手が、俺のシャツをぎゅっと掴んだ。その小さな仕草で、胸の奥から更に何かが溢れてきた。
「……っ」
息が震え、目を閉じる。
俺は澪の肩に顔を埋めた。温もりが、胸に染みる。
ただ見てるだけだった。名前も知らなかった。
触れる未来なんて、想像すらしていなかった。
それが今、俺の腕の中に澪がいる。
「……よかった」
目の奥が熱い。
涙が一筋落ちると、澪の肩に静かに染みていった。
声がただ、震えている。
「本当に……よかった」
澪を引き寄せる力を少しだけ強めた。
「好きです」
隠さなくていいんなら、もう何度だって言える。
「ずっと、好きでした」
何故か涙が止まらない。
澪の指が、そっと俺の背中を撫でる。その優しさに、また胸が震えた。
(あったかい)
(やっと、ここにいる)
「……僕、こんなに感情あったんですね」
少し自嘲気味に呟いた。
腕の中に、恋焦がれた澪がいる。
こんな幸せがあっていいのだろうか?
でももう、手放せない。
――――――
「……僕、こんなに感情あったんですね」
そう呟いた朔の腕の中は、あたたかくて、規則正しく上下する胸の動きが、少しずつ落ち着いていくのが分かる。
でも、肩に感じる湿り気に、私はそっと顔を上げた。
「……泣いてるの?」
そう問いかけると、朔の体がわずかに揺れる。
ゆっくりと顔を上げる彼。
その瞬間、私は息を飲んだ。
目元が少し赤くて、睫毛が濡れていて、でもその目は、まっすぐで、柔らかくて。
こんなに綺麗に泣く男の人、いるんだ。
取り乱さず、ただ、気持ちが溢れただけ。
それが余計に、胸にくる。
言葉がなくても分かるほど、その目が全部語っている。
大事にしたいって。失いたくないって。好きだって。
思わず、小さく呟いた。
「……なんか、可愛い」
朔が一瞬目を丸くして、次に少し困ったように笑う。
「なんですか、それ……」
掠れた声でそう言うと、そのままそっと私の頬に触れて、親指でやさしく撫でられた。
触れ方が丁寧すぎて、また胸がきゅっとなる。
私は衝動的に、朔の首に腕を回し、今度は自分から朔を抱きしめる。
「……朔、好き」
少し恥ずかしくて、顔を見れずに耳元でそう呟いた。
朔の肩が少し揺れた後、彼の腕が、さらに優しく私の背中を包み込むように回る。
「……やっぱりずるいですね、澪は」
小さく笑いながらそう言う声は甘い響きを含んでて。
私はつい笑ってしまう。
「おあいこでしょ」
額と額が軽く触れた。朔の瞳が私を見ていた。
――――――
静かな店内は閉店後のやわらかい灯りだけが落ちている。
今、愛しさが、溢れて止まらない。二人の目の奥には深い熱が潜んでいた。
「……離したくないですね」
ぽつりと朔から本音が漏れると、澪は微笑んだ。
「離さなくても良いよ」
その返事に、朔がまた柔らかく笑った。
二人は抱きしめ合ったまま、少しだけ揺れる。
静かな夜にもう一度、二人の呼吸が重なった。
ここから始まる、ゆっくり、じっくり、重たくて優しい恋。
短期集中での短編連載小説でした。
重たくて一途な男を静かに泣かせたかったが為に書いたお話。
常に一定の態度の人が感情が溢れて理性が崩れる瞬間っていいですよね。
ここまで見ていただきありがとうございました!
一旦これで完結なんですが、なんとなくお付き合い後の話もぼんやりあるので、そのうち番外編みたいに追加エピソードを出すかもです。




